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最終的に蓮花山、張先生を訪問しましょうと、てい先生が案内をしました。さすがに大きな授業をやっているときに蓮花山を訪問していますから。授業の内容を聞いて場所を経験して、これだと受け入れられたのです。理論的なものがあって、どうやってそうなるのか、前と後の話が納得できる。初めて日本に紹介しますということで日本に持ってきました。
それまでは日本から勉強する方がいませんでした。こういう紹介があって、日本でテレビ放映して、日中交流センターの広岡先生が本を日本語で書いて宣伝してくれました。まもなく増田先生が日本の方をたくさん蓮花山に紹介して、日本の方に勉強してもらおうと初めて国際クラスを作りました。蓮花山は中国の湖北省、真ん中にあります。当時まだ直行便がなくて、行きづらいところでした。大連は蓮花山から離れていますが、東京などどこからも直行便がありますので、大連で国際クラスをやりましょうと言うことで、大連で何回か、大連地区で授業をやるときに国際クラスとして日本の方にも来て頂きました。
何回か経験していますが、大連で授業をやるときに張先生がわざわざ大連まで来て、小規模で日本人だけということで、ホテルを貸し切って授業をやりました。張先生が身近で手を見せてくれて光っていて香りが出るということを身近で感じられました。そういう場面を感動することを経験しました。
もう一つ感動しているのは、その中の一回は日本の方がテレビを見て元極を全然勉強していないけど、「行こうよ。」という方がいました。一回は70または80名の日本人の皆さんが大連に集まって、小規模のクラスをやりました。中には病気、歳をとったということで27名が車椅子に乗ってきました。当時中国に飛行機が来て、いっぺんに27台の車椅子がいるというのは空港ではものすごく混乱がありました。病気や年配の方が多いというのが。大連で授業を受けて、帰りまで貸し切りの車椅子でしたが、空港で帰るときは車椅子に乗るのではなくて、車椅子を押して帰るという感動の場面がありました。そのときは張先生も空港に来て、皆さんの見送りをして、最後の最後に貫頂をするという場面がありました。あのときはさすがに空港の方も全て見ていますから、ものすごく張先生を尊敬して、空港の責任者、偉いさんも来て張先生に面会をして、次回張先生が大連に来るときにはVIP扱いにしてくれました。
こういう実績を見て他の所でもそういうことがありますから、張先生が大連でものすごく歓迎されます。毎回てい先生が支所長という形で司会をされますが、毎回張先生が大連に来るには大連市政府の方から招聘状を出します。張先生に来て頂くという形で。1週間クラスを作るときに、政府から市長なり、重要な人が来て挨拶をしてくれます。そうこうしているうちに大連で元極を勉強する学生が10万人に達しました。10万人おります。張先生が大連に来るときには、日本人だけではなくて、大きな会場を貸し切ってたくさんの人が来ます。日本人の方も来ますし、日本人のホテルを貸し切ってやる場合もありますが、同時に受けるわけです。
全国で1千万人というのは、張先生があちこち行って教えた結果です。大連でも10万人いますから。皆さんが勉強することによって恩恵を受けている。張先生に感謝している。毎回毎回中国でこういう授業をやるときには、元極と言ったら非常に有名で、みんな知っているという場面です。
今、中国ではもうそういう場面が見られなくなっています。色々な原因がありますが、でもまだ密かにやっている人が多くいます。てい先生の周りにはもっと歳をとって年配の方が多いですが、当時支所長という形でやっていましたので、まだまだ自分が若い年代であると、もっと年上の人達がまだ頑張っています。ですから蓮花山も大連も張先生の名前が残っています。そういう場面を体験しに大連に来ませんか?

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蓮花山で元日、3月3日、5月5日、9月9日に大きな授業をやります。こういう時は修練者にとっては非常にいいのです。また蓮花山という場が格別いいのです。いい時にいい場所で修練します。当然皆様にとっては日本にいますので、いい日にここ、元極の基地として新宮修練舎に来て修練するのも同じく重要になります。
蓮花山に毎回1万人~2万人の人が集まって行ってきました。講座は1週間ほど続きます。7日間です。講座を毎日続けて、最後の日に張先生が貫頂してくれます。みんな貫頂を受けます。いつも蓮花山で、賑やかで、元気いっぱいで、疲れを感じない。理由は場所がよくて季節のいい日にやっているということなのです。
元極を公開する時に、張先生が蓮花山という場所を探しました。一方は湖があって、一方は山がある。山は蓮の花の形になっている小山が9つの山あります。張先生がこういうところを発見して、またエネルギーをそこ作用させて、いい場に作られました。蓮花山という場所を開拓したというのも一つの貢献であると思っています。
蓮花山を開拓できてから、こういう授業を受けていて、当時日本でも影響受けていて、7人の日本人の記者を同行して、蓮花山の基地を案内しました。7人の記者の案内を蓮花山でしました。それまでにその7人が団を作って超能力を探すという目的で、世界をまわった。ロシアとインドを探しに行きました。ロシアで超能力の方と会って、具体的に何も理論がなくて、土だけをとってきて、土を食べることで人の病気が治る。という話だけを受けて、さすがにそれを文章にするか、テレビにするのは難しい。ということで受け取りませんでした。次にインドに行ってヨガの大師と会いました。「何の方法があるでしょう?」と尋ねたら、いっぱい水を持ってきて、水飲んだら病気が治ると言われて、非常に信じがたいことなのです。有名な先生ではありますが。そういうことで受けられない。

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主に3月3日、5月5日、9月9日と書いています。旧暦で、陽の季節になります。3月は春です。花が咲く頃、草が生えてくる。陽の気が生まれてくる。「青陽」と言います。みどり、草が芽生えてきて、陽気の最初の頃を青という形で表現します。さらに5月5日も大きな授業をやります。5月5日は陽の気が強くなり、「盛陽」と言います。この頃には自然界もそうですが、人間の身体も同じです。陽の気が強いです。5月から、6月、7月の間には陽の気が強くなります。陽の気が発生する段階です。こういうときに修練すると効果が高い。9月9日の頃は「老陽」と言います。老は老人の老です。陽がだんだん収まるという時期になります。老陽が過ぎたら、陰が生まれる時期になります。「老陽」という時期に修練するにはとくに人間に対応して老人、年取った方には気が重要です。腎臓と肺臓には効果的です。
一番理解しやすいのは、二つに分けてご説明しますが、元極というのは人天学、人天説、性命説、全て何を言っても人天、人間の身体が天地宇宙と合わさっているのです。全部対応しています。季節のことを言っても、人間は天地宇宙の中に生まれていますから、天地宇宙と対照することになっています。これが人天説。性命説、性は先天、命は後天。元極の理論はこの二つの面から考えて頂くと少しわかりやすいというお話です。今日、明日の講座は人天説でいうと季節のいい日にやっています。これはこの日に設定してくださった増田先生のおかげです。
常に修練して、修練者にとっては季節のことを重視されています。人間の脊髄には24の骨があります。それぞれ二十四節気の時期と合致しているのです。修練者がそれぞれどの時期にどこを意識して修練するかは決まっています。
もう一つは場所です。場所のいいところ、気の場のいいところで修練することは大事になってきます。修練者はこういう理論、お話を身につけて、どういうときに何を修練するか。例えば陽のいい日に冷たいものを飲まない、ビール、酒を飲まない。と覚悟しないといけない。その時期によって効果が違いますので、一番してはいけないときにその何かしてはいけないことをやれば、ひどい結果が現れます。逆にこういうときに何かしたらいいということもありますので、こういう理論を勉強した上で修練するのが重要ではないかと思います。

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話は、また戻りますが、しょうほうちん大師と普善禅師が中国の歴史上では非常に尊敬されています。こういう理論を作っただけではなくて、これらを利用して世の中を助けました。例えば、災害があるときはお札を使ったり、災害退治をしていました。中国の農耕社会で、畑ですが、洪水が氾濫する。イナゴが大量発生する。そういうことが歴史上ではたくさんあります。普善禅師のお力で助けられた、救われたということが非常に多い。そういうことがあったから、世の中で道教、太一道という形で代々慕われてきました。
太一道というのは、もとは道教です。だんだん二つの流れとして伝わっています。一つの流派は同じく中国の道教の一つで「ぜんしん派」という道教の流れになっています。もう一つは民間の中で密やかに張先生の先祖まで伝わってきています。張先生の先祖から張先生までは4代伝えられ、張先生のところに手渡されました。そういう流れで張先生のところまできて、張先生のすごい所は、それを公開した事です。理論を世の中に、一般の人でも身につけられるという形で本をお書きになり、元極理論という形で公開されています。こういうわかりやすく勉強できるようになってからは、学生さんが多いときで一千万人を超える数になっています。皆さんの中には経験されている方もいるかもしれませんが、蓮花山ですね。年に4回お勉強の期間を1週間くらいの時間を取って公開してきました。旧暦の3月3日、5月5日、9月9日、そして元旦と。年に4回ほど沢山の学生が蓮花山に集まって授業を受けていました。毎回中国各地から集まってきていますので、1万人~2万人くらい集まっていたのです。増田先生が一番経験されていますね。

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本日よりしばらく、「発達障害について」を
お休みさせていただき、昨秋わざわざ中国よりおいでいただいた「てい老師」「おう通訳」による講演会の模様を掲載させていただきたいと思います。
皆さんこんばんは。毎回高山にこの二人で来る事が出来てうれしいことです。特に皆様の顔を見られてうれしいです。
張先生が亡くなられました。旧暦の11月9日です。亡くなられたときもこの日ですし、生まれたときもこの日です。「生死が一」という言葉が中国にはあります。生まれた日と亡くなる日が同じであると言うことは、特に修練者にとっては、如来が来る。如来が去るというふうに例えられて、なかなか理解しがたいことであります。在籍の皆様、元極学を勉強されて、全部張先生の学生であるということは覚えておいて頂きたい。張先生は生と死が一つであるということを覚えて頂きたい。張先生の最大の功績は元極学を世の中に公開されたことです。
元極学は太一道から始まり、歴史上では「しょうほうちん」と普善禅師という著名な方がいます。そういう方方々と同じく張先生は役割を果たしています。歴史上で書いてあります「しょうほうちん」は太一道を中国・元の時代に皇帝に召し抱えられ、拡大しました。皇帝が太一道を重視し、広げられたのです。その後は普善禅師が「元極秘録」を作られています。一つの理論体系として作られました。ですから、この二人の貢献は大きいのです。
皆様が接している元極功法、元極テキストなどの本は「元極秘録」からの言葉などを使って作られています。張先生が現代に使えるものを取り出して、元極功法、元極理論を作られています。元極功法の一部、二部、三部までは公開されていますが、その元が「元極秘録」であります。元極秘録はまだ公開されていません。たとえ公開していなくても、一番基本のものが元極図であり、すでに公開されています。元極図はすべての物事、天地、宇宙の解釈ができる基本のものであります。

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昨年の12月8日に日之本元極の修練者たちが、
細川きよさんの100歳になるお祝い会をしました。
その時に話した私の言葉です。

きよさん、100歳おめでとうございます。
正確には 明日が百歳なんですが、

私はきよさんの百歳のお祝いを三回もしています。
このNさんが描いたお祝いのポスターも三回みました。

昨年、身体が弱ってきたので、

100歳のお祝い会を一つ取って、
99歳のお祝い会をやりましょう。
ということで「白寿」のお祝い会をしました。

この百寿が どれほど大変なことか。

Yさんが、先日古稀の祝いを会社でしてもらったそうです。
これは、70歳が古来まれなる「古稀」という意味がありますから、
ここまで生きたということも 大変なことなんです。

はじめて、婆タヌキさんが蓮花山に行くとき、

一緒にきよさんを蓮花山まで連れて行ったのが、
2004年の八月でした。
その時、きよさんは86歳でした。
ヨチヨチと歩く姿が手を後ろにしないと 
バランスが取れなかったんです。
ご飯を食べるときにも 中国のテーブルは円卓なので、
右手が痛くて料理を取ることが出来なかったんです。
隣の人に料理を取ってもらって食べていました。
ところが一週間滞在して
治療を受け、元極の講座を受講し続けたら、
帰るときには、
隣の人に食べるものを取ってあげられるようになっていました。

それから、日本に戻って修練をし始めました。
修練だけでは無くて 

のりと を毎日30分は、必ず唱え続けてきました。
6年前に高山に来たときから、
毎日のように 新宮修練舎に通ってきて修練を続けました。

高山に来たときには、たぶん、1~2年くらいしか持たないと思っていましたが、
その一途な姿勢に感動して、

私は神様に「長生きさせてください」とお願いし続けてきました。
すると最初にお会いした時から、
なんと14年間も生きているではありませんか。
神様もその生きる姿勢をちゃんと評価していてくださったですね。

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修練段階の神より
この地に修練者たちが大勢集まってきます。
この地に、修練者たちが、集まってきて自然の空気を吸って、
自然に悟ることがあります。

この地に来たならば、修練段階を上がっていきたいと思うようになります。

修練者たちは、さらにうえの、

さらに上の段階に上がっていきたいと思うようになります。
修練を極めていくように設定がなされました。

しかし、この地に来て、修練段階を上がっていっても、
さらに上の段階へ上がっていけるかどうかは、

人の意識にゆだねられているので、わかりません。

あなた方が思っているとおり、大勢がこの地に来たとしても
上の段階に、上がれる者は ほんの少数だと言えます。

然れども、ココに来れるということは、極めて重要な事です。
ココに来れない者たちの方が遥かに大勢います。

この48滝の上がっていく道筋が修練段階であることが

設定されています。
これは、蓮花山の元明塔に相応します。

このことは、皆さんに紹介しても構わないことです。

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何年か前の蓮花山の写真です。
今は面影もありません。

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2000年8月、前年の法輪功事件の余波を受けて
蓮花山講座が禁止されてから初めて、蓮花山を訪れました。
元極康復医院から蓮花山病院と名を変えた病院での治療と
中医学の基礎講座という内容です。
その時中国全土で3カ所しか認められていなかった
気功治療(貫頂・帯功)を受けること、
薬草風呂、おなじく薬草の足湯、
全身点竅按摩(ツボから修練者が三元を入れながらの全身マッサージ)、
同じく点竅足裏マッサージ、
中医学の基礎講座、そしてその時初めて受けることになった「意念鍼」というような内容です。
一〇名にも満たない少人数での体験旅行でしたが、
緊迫した中国の体制内で、
張先生とお話しできる時間を持てた貴重な訪中でした。
五日間ほぼ同じ内容の繰り返しという毎日でしたが、
病人にとっては日々の回復が目に見え、
修練者にとっても自己の修練時間が
日本国内のあわただしい生活で充分ではないのに比べて、
満足できる内容になっていたと思われます。
意念鍼とは、施術者が被術者の体内を内視し
悪いと思われるところに通ずる経絡上の経穴(ツボ)に
鍼を打つ真似をします。
そしてその結果、体調の悪かったところの改善が図られるというものです。
実際に鍼は使わず意念により気の鍼を指先に造って、
その無形の鍼にて作用させるわけです。
被術者は目をつむっているのですが、
敏感な人は「あぁ、ここに打たれる。」と、
打たれる前から場所が判ったり、
打たれた場所がチクリと痛んだりするのですから、
プラシーボ効果ではありません。
また、被術者の悪いところも事前に施術者に
伝えているわけではありません。
この功法は、図書館司書をしている女性が
張先生の指導を受け開発したもので、
その時点で蓮花山病院でも三名の方しかできない功法でした。

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私は元極功法を始めて3ヶ月目に、
その普及基地である蓮花山に初めて行きました。
そして戻ってくるとすぐに、自分の竅穴が
どれぐらい出来上がっているのか、
その大きさが判るようになりました。
蓮花山は修錬者にとって(一般の人にとっても)特別な所ですし、
特別講座が開かれる年5、6回の時は、
特別に気の場の強い刻(とき)な訳で、
その時に特別な功法を授かるわけですから、なおさらです。
現在、蓮花山は特別な所ではなくなってしまいました。
その場所にあった七つの龍穴は全てなくなり、
高山新宮に移動させられました。
今修錬をしている皆さんにとって特別な所は、
ここ日本の高山新宮で、
特別な時とは日之本元極で開催される特別講座の刻(とき)です。
蓮花山から戻って2ケ月ほどすると、
講師になるようにとの依頼があったので、
軽い気持ちでそれを受け、
元極を始めて5ヶ月で講師になったのです。
今から思うと、冷や汗が出るようなことでした。
講師になってしばらくすると、
他人の竅穴のでき具合も判るようになっていました。
しかし、自分の教えた人たちの竅穴は観るものの、
師や先輩の竅穴を観ることは一切しませんでした。
それは、師については、恐れ多いことだと思いましたし、
先輩について言えば、
それをすることは失礼なことだと思ったからです。