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[増田]
大多数を占める、修練出来ない者に対してどのようにしたらよろしいでしょうか?

[発達の神]
修練が出来ない者に対しては、我々の指示の通りに、

増田が処置を施した上で、
その者が与えられた環境に為せる録音教材等グッズで
補えるところから始め、その上で改善がなされて来れば、
本人の行える修練を少しでもさせるべきでしょう。
両親、家族があるならば、その者に対しても修練を働きかけることは、ご承知の通りです。

その上で、治ったという実感がわく者と、わかない者が出てきます。
それらは脳の伝達によって、差が出てくるということに為ってきます。
脳の伝達物質が行き届きやすい環境にある者には、

そういった効果が感じられ、行き届きにくい者には、
施術を施そうとも、欠陥が補えないという感覚を持ち続けるが為に、
その者の回復を実感するという感覚が薄れますから、
その辺りの差に気を付けて、特徴を捉えて修練を進めさせること、
施術を行うことが重要です。

本人が自覚というものを持たなければ、その回復に取り組めない。
本人の意志が必要ですから、その回復をさせる為の状態を受け入れなければ、その先に進めない。
そういった問題が出てきます。
本人の情報を改めさせる、この感覚を身に付けなければ、

なかなか前に進むことは難しいのです。
健康になる為に、病気を治す。
そのことを覚悟として受け入れて、
脳内の返還に対する感覚を身に付けなければなりませんから、
その者に対する状態の回復を全て感じる者だけではないということを、それこそ周りの人たちも覚悟しておくことです。

病気の確実な治り方として、本人の意識を高めなくてはなりませんから、

そのあたりのサポートが必要になってきます。
必要な事は、命じるままに動けるかどうか。
肉体及び意識の掃除を進められるかどうか。

これから扱う発達障害のケースの判断の難しさがあります。

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[増田]
最新医学で全くお手上げ状態な発達障害について、回復させる手立てはあるのでしょうか。

[発達の神]
混乱を防ぐには、脳の中の伝達が行われていない情報を、

しっかりと把握してその為の処置を行う事。
これが回復をさせる為の唯一の方法です。

そして、その回復する為の情報一つ一つを与えるという点について、

お話していきましょう。

我々の施術の方法により、脳の中の活性化を図らせますが、

それにはパターンがあります。
一つには、元極功法をやらせるべきか、やらせないべきか。
やることが出来る者と、やれない者に対して処置を行うということを、
どのように分けていくか、ということです。

修練を行える者に対しては、あらかじめ施術を行った上で、

回復プログラムとしてのカリキュラムを組んで、
その者にやらせるべきです。
その到達の過程で、その者に対してのそのとき必要な情報を
与えていきますから、その情報を受け取りながら、
その者の完成圏を目指すということが望ましいのです。

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[増田]
その他学習障害の主だった症状を教えてください。

[発達の神]

増田がこれまで取り組んだ例の中に味覚が分からないという者を

担当したことが有りました。
味覚を感じる脳に新しい刺激を与えて、
そのものが刺激を感じて味の判断をするという所の
脳細胞の入れ替えを行った、という経緯がありました。
脳の代替作用のひとつです。
そのような働きを脳に持たせる、働かない所に働く知識や情報を与えて、
働くように持っていく。
このように、状態の変化として脳細胞の働きを記憶させ、
以後同様に働かせる。

どのように動くかの情報を伝授し、

その情報を元に脳が働くようエネルギーを膨大に送り、動くようになった一つの例です。
あの時の例に倣って、細胞の入れ替わりは進むことでしょう。
考えている対策についてお伝えします。
学習障害の患者が、抱える問題として、物事の制限、
物事をする上での制限ということがあります。
制限をすることによって、今後の学習障害の改善する道筋、
手立ての所が弱まりますから、やらないのではなく、
やる方向で進めるよう工夫するのです。

学習能力を伸ばすためには、日頃の成果を求められることになります。
訓練を組み合わせる事で、その働いていなかった脳の活性化を図ります。
体の奥の方のコントロールと、表出する表のコントロール、

訓練をしてコントロールをすることを身に着けなくてはなりません。
学習障害の子供たちに対する処置としては、
気功をして自らの脳の内部で衝突が起きます。
様々なことにおいて。脳を働かそうとすれば、その分の反動があり、
障壁に感じることが出てきます。
しかし、それとて同じこと。
障壁に感じていたことを障壁に感じないようにする。
認識の部分でも、出来ない事を出来ることに感じる、
という意識を身に付ける事が必要となります。

これまでの学習障害は障害のあること以外の事に目を向けて、

行動させるという方法に転換されていきましたが、
日之本元極功法の受功を受けた者に対しては出来ない事を出来る事に
という変換が求められますので、調整して頂く事を望みます。

覚書として、修練によって回復が早まる。

しかしそれが叶わぬ者においては、
日之本元極功法の中の施術を求めます。
そして、継続的なエネルギー補給を可能にしたうえで進行が
進められるということを把握して下さい。

学習障害における働きは、折り返す地点をつけて

気質と意識の両面から、出来ないことを出来ることに転ずる
という働きかけをすることが重要です。
そうでなければ、脳細胞が破壊されて死が進むことは、
学習障害において致命的欠陥となりますから、
そこのところの改善を図ります。
三元エネルギーの供給によって、
毎日の修練の継続や出来ない事を出来ることにするプログラムを
組んで、その通りに出来る様になることが当面の働きとなるでしょう。

学習障害に対する対応は、修練と訓練の二本柱で進める事が必要です。
修練は時々では無く、常にエネルギーを取り入れ続けることが出来るわけで、

その訓練が生きることに為ります。
訓練は出来ない事を出来る事にする為に、学習方法を考えて、
その学習方法に従ってやりぬくことが求められますから、
修練によってエネルギー補給が必要という事になります。

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元極秘録の簡単な言葉に「道理がわかる」ということがあります。道理がわかれば、これこそ修練である。この身体、自分がそういう物事がわかって、今度初めてそうであると、無理させない。自分がいい状態になります。一人一人がいい状態になります。家庭では両方があります。陰と陽。男が陽で、女が陰。一方ができなくてバランスが崩れると和の状態になりません。それぞれできた自分になると初めて家庭も幸せになります。人はそれぞれ自分の努力で家庭がよくなる。みんなの努力で会社、世の中がよくなるという理論で元極では唱えます。
以前インドネシアから来て元極学を勉強している「りんさん」という方がいます。蓮花山にきて勉強する。インドネシアの方々は寄付が多いです。毎回毎回寄付します。ある日一緒になって蓮花山とは違いますが、お寺に行って寄付をしようとしたのです。お寺のお坊さんに褒められた。あなた方は本当に幸せな人間です。幸せな一人一人というのは、本人が修練しているということです。修練できて幸せに来れる。また寄付の心をもってさらに幸せになれるという言葉を聞きました。当時てい先生が隣にいたから。お坊さんにこの話を言われました。そこで思ったには人間がいい人になると、家でも修練している。一人一人家にいても自分を幸せにさせるという修練こそ、うちで言う修練であります。
こういう道理を理解して家にいても修練できます。対照的に中国の沢山のお寺では修練者というよりは仕事で行っている人が多い。大学を卒業して修練しています。それがあくまでも形で、本当の修練とは家にいてもできます。
今仏教の話をしていますが、翻訳は難しいですから。意味はウサギの頭から鹿の角を探す。これは不可能ですね。人間は無理をさせない。無理をする。不可能のことをすれば、自分を苦しめる。結果としては何も生まれません。苦しみだけが生まれる。物事を理解することが大事です。家にいても修練できる。言いたいのは、こういう方法論は、張先生が教えてくれました。張先生のしたことは、こういう理論を世の中に公開する。たくさんの人が深い山奥に行かなくても修練できるという方法を教えてくださいました。こんなに素晴らしいことを教えてくれた先生は、今は亡くなりましたけど、蓮花山には2億の財産があります。何もない土地から、開拓してたくさんのものを作られました。財産としては2億人民元があります。最後に張先生がすべて寄付しました。元極に寄付しました。元極のものになると。契約的には、政府で証明できる形でやっています。張先生の子供でも受け継げない。元極にあげるという形にしました。張先生がこんなにたくさんのことを残して、元極を残して、蓮花山を残してくださいました。我々は縁があって、元極に接して、本当に勉強を続けて欲しいと思います。
時間が来たようです。
短い時間でこれ以上話せませんが、ありがとうございました。

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せいか(精華)不明だと苦しい。世の中の規律、決まった流れ、人間は規律、流れがわからないから苦しんでいます。物事の運営の規律が理解できないから、自分が苦しいです。人間は先天の状態では幸せな状態です。子供はみんな喜ぶ。苦しみを知らずに。先天の人間は幸せです。後天になるとだんだん苦しくなるのです。人間の口、耳、鼻によって外部世界と接していて、人間の欲望や雑念が生まれてきて、苦しみが身についてきます。人間の欲望、人間の喜び、悲しみ、怒り、考えすぎ、憂鬱などがそれぞれ我々の五臓六腑を痛めています。
人間の欲が身体を痛めています。あと自然界、四季によって自然界も、風、雷、暑すぎる、寒すぎるなども身体に影響してきます。陽のとき、陰の時、夜と昼それぞれ人間の身体に影響します。欲望で痛められる。周りの環境で痛められる。何を言っているかというと、「せいか」のことです。「せいか」とは世の中の規律。それがわからないから人間は苦しい。どうやってそれをわかるかと言えば、無理をしません。無理に怒りすぎると自分の感情を痛めてしまいます。そういう規律がわからないから、いつも自分を無理させます。それで人間が苦しくなります。病気になります。四季のこと、自然のことで色々ありますから、悪い日に無理に何かをしようという時も自分が苦しくなる。それが世の中の規律なのです。規律を知らないと人間が苦しいです。苦しくならないためにはそういうこと理解した上で、理論を勉強して、修練して、きれいな自分になる。安定した自分になる。という話です。

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この図は増田先生が作った図ですね。もとつきわみ内景図。
これを見て毎回来て、いつも感動します。この図を見て日本の皆さんは理解しやすい、わかりやすいと思っています。こういう図で、元極の竅穴は、絵で、本で世の中に公開すると誰でも勉強できる。全て張先生によってなのです。それまでは何百年も歴史上では秘密で伝わってきたわけです。他人には教えない。とくに貫頂、玄関、天目を開ける。という方法は、近代になって張先生によって初めてこれが元極説が流れます。張先生の素晴らしい理論を公開されています。
今皆さんも同じですが、元極に出会って元極を勉強することはなかなかの縁だと思います。恵まれていると思います。中国でも昔や修練者を探す。修練したいという方が多いのです。深い山に入って仙人を探し、勉強したいという人が多くいます。本当のものを身につけるには、本当の人、大師に出会って教えてもらうことはとてもできません。皆さんがこういう形で簡単に勉強できることは、張先生のおかげだと思います。
一万人も、二万人も集まって勉強しますが、当時張先生が公開するために、学費が非常にに安い。入門しやすいという形で設定しています。それでも、貧乏で、蓮花山に来ることができない。自分の都合で蓮花山に決まった授業に行けなくて、家で修練するには本にまとめて教えるようになっています。昔の修練者は山の中に行って先生を探して、山の中で修練する。これが昔のやり方です。今は一般の人、たくさんの人に勉強してもらうには、家にいても修練できる。家で修練するという形にしますというのが張先生のお考えです。今の現代社会になってみんな生活、仕事があります。全部捨てて山の中に入って修練するという人はごく何人もいないでしょう。たくさんの人に勉強してもらうには家でも修練できるという形にしないといけませんと、張先生がいつもおっしゃいます。
私が重要に思うのは、「和」の字です。それぞれ人間は自分の家でも修練できる。一番の元は「和」を考えなければなりません。「和」は元極が求める徳でありまして、「和」ができてこそ、家庭も幸せになるし、会社も、世の中もバランスよくなります。「和」を忘れずに修練して頂く。

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「ひりん」の話からこのようなお話になります。詳しくは明日展開します。簡単に言うと元極学では道教、仏教、儒教の3つの精華(せいか)、素晴らしいこと集めて元極学にしています。道教も、仏教も儒教も性命の「性」に対しては非常に重視しています。そういう意味で元極では性命説、人間の先天と後天を分けて考えています。「浄、定、観、運、真」それぞれ修練のレベルを表しています。元気の段階、元光、元気と元光を化合、一緒にする段階。元音の段階。最後は気と光と音が一緒になって人天という段階になります。「浄、定、観、運、真」はたぶん最初は難しいだろうという印象です。それぞれ対応します。逆に考えると理解しやすいかもしれません。元気が満ちてくると浄、きれい、静か。という意味です。元気がたまると人間はきれいになります。頭がきれいになります。中がきれいになります。さらに修練しますと元光の段階。光が満ちてくると、「定」は安定の「定」です。人間が、中国語では「定力」という言葉がありますが、日本語でもそう言いますか?
定める力。定力というのは地震があっても慌てません。台風が来ても、津波がきても、安定します。ある程度までいくとこういう人が非常に落ち着くというか、しっかりするわけです。元光の修練の段階に来ると、人間はこういうふうに安定する。さらに次の段階にいくと「観」。これは観るという段階です。自分が物事がわかってきて、全てが観れるようになります。世の中の決まったこと。普通の人はどうしてそうなるんだろう。と思うような不思議が多いですが、こうなるとすべてが見えるという賢い時になります。次の段階は「運」。運会の「運」です。全部略字ですが。この段階に来ると動かせる。他のことも全部動かせる。人も、物事も動かせる。最後は「真」です。本当の自分になります。悟って全てがわかる。仏のようになります。
一部功法、二部功法の段階で「定」の方が少し入りやすいとおっしゃっています。人間がきれいになる。自分が「定」の段階になると、精神的に集中力もよくなるし、知恵がありまして、身体の方も悪いことが寄ってこない。
繰り返し説明しますが、次の「観」は、普通人間は道理がわからない。なんでどうしてそうなるのかという質問が多いが、この修練になると、周りのことは観ればわかるようになる。全てのことが理解できる。思想、考え、賢くなります。物事が全部理解できるようになります。階段のように、」5つの階段で、普通の人にとっては、きりがないでしょうが。最後の自分を見いだす段階があります。
こういう5つの段階。自分で静功を修練するとき、身体の方に対応しています。下丹田、尾ろ関、下黄庭の部分は「浄」の段階。元気のレベルです。中丹田、命門、中黄庭は平面図になって「定」の段階です。おそらくみなさんはここまで、これ以上はできていないかもしれませんが、五段階に分けてやっています。目標を立てて。こういうことであると理論、静功、竅穴も元極図という形で表現しています。

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元明塔の中は空っぽです。階段があります。階段は真ん中ではなくて周辺で階段が登るようになっています。窓が上に行けば行くほど、小さくなります。一番上11階に登るとほとんど外が見えなくなります。修練者が元明塔で経験するとわかることですが、各階で修練すると窓がだんだん狭くなります。外の世界は見えなくなります。見なくていいと。真ん中が空っぽで、人間として修練がある程度達すると目で外の世界を見るのではなくて、自分の中の部分に集中する。修練と同じです。修練すると自分の中の部分が明るくなります。自分の雑念だとか、欲望だとかは自分で閉鎖します。
元明塔は人間の身体と一緒である。張先生がおっしゃるには、人間それぞれ元明塔である。というお話をよくします。レベルが上に行けば行くほど、自分の集中力、自分自身に集中することが重要です。これは修練者が、普通に例えて言ったのですが、同じ十字真言を唱えるにしても、音楽が流れていても、自分の集中力がなくて他のことを考えると、形だけあっても他のことを考えると、目を開けて他のこと、門がしまっているか。心配ことが多すぎると、形だけ、精神的な修練にはならない。それはなるべく避けてほしいです。
元明塔の話をしました。元明塔の他には元極堂と「元極碑林」があります。元極堂は張先生のお母さんのために作った建物です。3階建てです。これもものすごくエネルギーが強いところです。反対側には「ひりん」。これは元極のために貢献された人、寄付された人の名前が書かれています。あるいは中国各地から有名な碑を作っています。元極堂は3階建てでさっき言ったようにエネルギーが強いところです。三階はそれぞれ、元気、元光、元音。これが元極の気功法です。気と光、音に分けています。エネルギーが強すぎて、ほとんどの人が一階で修練します。2階では相当レベルが高くて集中できない。さらに上にいって修練する人はなかなかいません。「元極碑林」。中国で有名なところは、石碑とか文化として残っています。昔のことが石に刻まれています。昔のものが石と言う形で残っています。「碑林」を作ったのは、「たく本」という形でとってきて、改めて作っています。伝統、文化。真ん中は元極の碑、周辺は仏教、道教、儒教、医学と武術。5つの部分にわけて、場所にそれぞれ碑を作っています。伝統、文化、有名な昔こうされたというものを集めています。道教と、仏教、儒教、医学、それぞれ道教では五行と言います。金、水、木、火、土。五行説も文化として残ります。同じく仏教では五音という形で残ります、儒教では五徳、徳が5つ。医学では五神と言います。元極学では五和。和を合わせます。五和というのは、「浄、定、観、運、真」今日は簡単に説明します。

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ここの例えもあります。中黄庭。ここに来れば苦しいことはこれ以上ない。人間には来世もありますから。人間が来生鬼になるか、動物になるか、人間になるか、あるいは神様になるか。それぞれ言い方があります。人間の魂。膝から出るか、お腹からでるか、心臓から出るか、頭から出るか。によって変わります。膝から出ると鬼になります。お腹から出ると動物になります。心臓からでると人間に変わる、頭から出ると神様になります。という言い方があります。来生というのは。下黄庭をしっかり修練すると、まず鬼になることはありません。下から出ることはありませんという例えです。
下黄庭という竅穴は、初めての人はここを探せません。わかりません。修練者の言い方では、真っ暗で見つからない。九本の矢をやっても通らない。難しい竅穴です。修練によって明るくなるとかなり自分の身体が、能力としてはすごく変わります。修練と同じように下黄庭の修練、初めて接する人もいますし、少し勉強している人もいますし、ちゃんと竅穴をわかっている人もいます。修練者にとってここに来るということは、修練は誰でも行けないかもしれませんが、誰でも場所としては蓮花山に行けば行けます。そこに歩いて行くことは可能です。しかしここに立ってみるとまた違うのです。人が感じることと見えるものが違ってきます。
元明塔の話をします。通天橋は元明塔に繋がります。通天橋を歩いて元明塔に登れます。元明塔は13階あります。13階ありますが、11階までしか登れません。上は○○がありまして誰も通らせません。張先生なら通れますが。他の人は11階までです。元明塔の中で修練するというのも可能です。てい先生は9階と11階で修練したことがあります。だいたい2時間。もうそこに座るだけで、2時間というのはあっという間に終わります。そこで身体の方はものすごく変わります。

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蓮花山は資産が2億人民元に値します。蓮花山ではもう昔と変わりまして、元極功法が出来ません。まだ資産としては残っています。蓮花山について少しお話ししましょう。蓮花山は張先生が設計し作られたところであります。入り口の所に、玄関入ってすぐの所に九龍壁があります。如来大仏の像がおいてあります。笑っている顔で。誰が見ても笑っています。歓喜(かんき)仏と言います。笑う仏と言いますが、蓮花山に入ってくる人には笑っています。入ってくる人にも笑いが心に残ります。そして玄関から中に入って次の門に入ってから、「和字塔(わじとう)」があります。4つの面には「和」が書いてあります。一周してもどこにも「和」が書いてあります。和は調和の和です。それを分けて細かく説明しますと、天地の徳が慈悲心、太陽と月の徳は光明をもたらす。万物の徳は共存する。お互いに共存するを集生(しゅうせい)の徳は和であります。人間の徳も和であります。和字塔の和もこの和です。元極の一部も二部も三部ももとはこのもとは「和」です。人間の徳を養う。徳というのは「和」であります。
「和」は道徳のもとであります。人間の徳ができるには、天地と太陽、月を見習って、天地の慈悲を見習う。月と太陽の光明を人にもたらすというのも見習う。万物のお互いに共存するのも見習う。同じく集生の徳も同じく見習う。人間が世の中のことを理解した上で、自分の徳を養う。それがわかった上で人間は徳がある人間と言えます。
次は万宝海の話をします。和字塔から展開して「和」の話をしました。和字塔からさらに前へ行くと万宝海という一つの湖があります。人工の湖で人間の形になっています。これも陰陽説に基づいています。横に元明塔がありますが、元明塔の方面は身体の陰脈(任脈)の方に直行しています。ですから元明塔を見て、こちらは陰の任脈であるというルートをみんな覚えています。任脈、督脈を一周すると人間の身体を一周するのと同じであるというように設計してあります。万宝海も今もまだありますが、そこを見てみると身体の各部分と対応して設計してあります。湖の中には蓮の花が季節になると咲きます。一つの言葉で言うと「陰順陽逆長生路」という言葉があります。ルートとして陰が順、陽が逆。道としては長生路。そこを一周する道が長生路になります。湖には真ん中に橋があります。その橋が任脈、督脈の真ん中、中脈の部分を言っています。その橋の名前は中天橋と言います。天につながる橋である。という名前です。
基本的に湖の形はこういう形になっています。蓮花山での授業の休憩や授業が終わってから、長生路をまわる人が多いです。病気の方もまわって、歩いて、時間があるときはそこをまわります。行きは元明塔をまわります。真ん中は通天橋です。元明塔は13階建てです。これは仏教の塔になります。真ん中は階段で上りますが、真ん中は空の塔です。13階建てで空の塔は中国でも珍しいです。中黄庭の所に当たります。ここには一つの東屋、小さな建物があります。苦甚亭(くじんてい)と言いますが、苦(悪いこと)が終わるということでこの名前をつけました。意味としては、人間は現世と前世と来生がありますが、元極学と接することでまず地獄には落ちない。地獄の名簿から除名されている。ということになります。ですからここにみんな集まります。寿命が終わってからみんなそこに集まります。身体で言うと人間の中黄庭のところにあたります。