前回に続いて「くるくる」さんのブログについてです。
人一倍敏感で感受性が強く優しい人は
エネルギーがないと潰れてしまうものだと思います。
共感性が高くて、優しいから困った事態を何とかしようと奮闘してしまうのです。
とある勉強会に参加して小学生の娘さんの話をされたお母さんがいました。
優しくて敏感な娘さんはクラスの友達を正しい方へ導こうと奮闘されていたそうです。
正義感、使命感が強くて、自分が皆を良い方向へと頑張っていたそうですが、それが通用していたのは低学年のうちだけで、そのうち自分がどんなに頑張っても無理で、かえって、鬱陶しがられるようになります。
そんなこんなでエネルギーを使い果たして
無力感によるものか、すっかり精神的に弱ってしまい
不登校気味になっているそうです。
方向性は正しいけれど、スキルもエネルギーもないから、上手くゆかず、空回りして燃え尽きてしまう
正しくても、力がないとなりがちなことです。
友達の悩み相談も同じようなことになります。
息子は同時期に二人の友達の悩みを聞いてきました。
以前より息子には悩みのある子が寄って来ていました。
なんか、危険だなと少しひっかかっていました。
そんなことは、してほしくありませんでしたが、相手が元気になってくれるのが嬉しいと喜んでいる姿を見ると軽く注意はしても止めなさいとも強く言えませんでした。
多分、言ったところで止めなかったと思います。
そんなに力があるわけでもない、ただの高校生がそんなことをしたら
しかも、人一倍敏感で共感性の強い子が悩んで苦しんでいる友達に寄り添い、何とかしようと頑張ることは
大変危険なことでした。
張志祥先生が唱えた中国元極功法の一部功法のテーマは、「心徳功」でした。
日之本元極功法の「階ひと」にあたります。
それが二部功法になると、テーマは「心徳功量」に変わりました。
日之本元極功法では「階ふた」です。
一言で言えば、
「功」は、修練をして力を着けること。
「徳」は徳を養うこと。
「心」は練功により着ける力の使い方の手法です。
この三つを社会生活の中で磨き上げていくのが修練の目的です。
特に「功」と「徳」は、車の両輪と言われていました。
「徳」が有っても、「功」力が無ければ、進んで行けません。
「功」が有っても、「徳」が無ければ、全く方向違いに進んでいくだけです。
「功」と「徳」が有っても、「心」を使うことが出来なければ、やはり、目的地には到達出来ません。
つまり修練をしていない者が、
お悩み相談をしたとしても共倒れになる可能性が高いわけです。
共倒れにならないまでも、とんでもないところに到着する可能性が高いのです。
(薬を飲んだりね・・・・)