蓮花山と張先生の思い出 20181022てい老師講演 8
元明塔の中は空っぽです。階段があります。階段は真ん中ではなくて周辺で階段が登るようになっています。窓が上に行けば行くほど、小さくなります。一番上11階に登るとほとんど外が見えなくなります。修練者が元明塔で経験するとわかることですが、各階で修練すると窓がだんだん狭くなります。外の世界は見えなくなります。見なくていいと。真ん中が空っぽで、人間として修練がある程度達すると目で外の世界を見るのではなくて、自分の中の部分に集中する。修練と同じです。修練すると自分の中の部分が明るくなります。自分の雑念だとか、欲望だとかは自分で閉鎖します。
元明塔は人間の身体と一緒である。張先生がおっしゃるには、人間それぞれ元明塔である。というお話をよくします。レベルが上に行けば行くほど、自分の集中力、自分自身に集中することが重要です。これは修練者が、普通に例えて言ったのですが、同じ十字真言を唱えるにしても、音楽が流れていても、自分の集中力がなくて他のことを考えると、形だけあっても他のことを考えると、目を開けて他のこと、門がしまっているか。心配ことが多すぎると、形だけ、精神的な修練にはならない。それはなるべく避けてほしいです。
元明塔の話をしました。元明塔の他には元極堂と「元極碑林」があります。元極堂は張先生のお母さんのために作った建物です。3階建てです。これもものすごくエネルギーが強いところです。反対側には「ひりん」。これは元極のために貢献された人、寄付された人の名前が書かれています。あるいは中国各地から有名な碑を作っています。元極堂は3階建てでさっき言ったようにエネルギーが強いところです。三階はそれぞれ、元気、元光、元音。これが元極の気功法です。気と光、音に分けています。エネルギーが強すぎて、ほとんどの人が一階で修練します。2階では相当レベルが高くて集中できない。さらに上にいって修練する人はなかなかいません。「元極碑林」。中国で有名なところは、石碑とか文化として残っています。昔のことが石に刻まれています。昔のものが石と言う形で残っています。「碑林」を作ったのは、「たく本」という形でとってきて、改めて作っています。伝統、文化。真ん中は元極の碑、周辺は仏教、道教、儒教、医学と武術。5つの部分にわけて、場所にそれぞれ碑を作っています。伝統、文化、有名な昔こうされたというものを集めています。道教と、仏教、儒教、医学、それぞれ道教では五行と言います。金、水、木、火、土。五行説も文化として残ります。同じく仏教では五音という形で残ります、儒教では五徳、徳が5つ。医学では五神と言います。元極学では五和。和を合わせます。五和というのは、「浄、定、観、運、真」今日は簡単に説明します。
元明塔は人間の身体と一緒である。張先生がおっしゃるには、人間それぞれ元明塔である。というお話をよくします。レベルが上に行けば行くほど、自分の集中力、自分自身に集中することが重要です。これは修練者が、普通に例えて言ったのですが、同じ十字真言を唱えるにしても、音楽が流れていても、自分の集中力がなくて他のことを考えると、形だけあっても他のことを考えると、目を開けて他のこと、門がしまっているか。心配ことが多すぎると、形だけ、精神的な修練にはならない。それはなるべく避けてほしいです。
元明塔の話をしました。元明塔の他には元極堂と「元極碑林」があります。元極堂は張先生のお母さんのために作った建物です。3階建てです。これもものすごくエネルギーが強いところです。反対側には「ひりん」。これは元極のために貢献された人、寄付された人の名前が書かれています。あるいは中国各地から有名な碑を作っています。元極堂は3階建てでさっき言ったようにエネルギーが強いところです。三階はそれぞれ、元気、元光、元音。これが元極の気功法です。気と光、音に分けています。エネルギーが強すぎて、ほとんどの人が一階で修練します。2階では相当レベルが高くて集中できない。さらに上にいって修練する人はなかなかいません。「元極碑林」。中国で有名なところは、石碑とか文化として残っています。昔のことが石に刻まれています。昔のものが石と言う形で残っています。「碑林」を作ったのは、「たく本」という形でとってきて、改めて作っています。伝統、文化。真ん中は元極の碑、周辺は仏教、道教、儒教、医学と武術。5つの部分にわけて、場所にそれぞれ碑を作っています。伝統、文化、有名な昔こうされたというものを集めています。道教と、仏教、儒教、医学、それぞれ道教では五行と言います。金、水、木、火、土。五行説も文化として残ります。同じく仏教では五音という形で残ります、儒教では五徳、徳が5つ。医学では五神と言います。元極学では五和。和を合わせます。五和というのは、「浄、定、観、運、真」今日は簡単に説明します。