蓮花山と張先生の思い出 20181022てい老師講演 9

「ひりん」の話からこのようなお話になります。詳しくは明日展開します。簡単に言うと元極学では道教、仏教、儒教の3つの精華(せいか)、素晴らしいこと集めて元極学にしています。道教も、仏教も儒教も性命の「性」に対しては非常に重視しています。そういう意味で元極では性命説、人間の先天と後天を分けて考えています。「浄、定、観、運、真」それぞれ修練のレベルを表しています。元気の段階、元光、元気と元光を化合、一緒にする段階。元音の段階。最後は気と光と音が一緒になって人天という段階になります。「浄、定、観、運、真」はたぶん最初は難しいだろうという印象です。それぞれ対応します。逆に考えると理解しやすいかもしれません。元気が満ちてくると浄、きれい、静か。という意味です。元気がたまると人間はきれいになります。頭がきれいになります。中がきれいになります。さらに修練しますと元光の段階。光が満ちてくると、「定」は安定の「定」です。人間が、中国語では「定力」という言葉がありますが、日本語でもそう言いますか?
定める力。定力というのは地震があっても慌てません。台風が来ても、津波がきても、安定します。ある程度までいくとこういう人が非常に落ち着くというか、しっかりするわけです。元光の修練の段階に来ると、人間はこういうふうに安定する。さらに次の段階にいくと「観」。これは観るという段階です。自分が物事がわかってきて、全てが観れるようになります。世の中の決まったこと。普通の人はどうしてそうなるんだろう。と思うような不思議が多いですが、こうなるとすべてが見えるという賢い時になります。次の段階は「運」。運会の「運」です。全部略字ですが。この段階に来ると動かせる。他のことも全部動かせる。人も、物事も動かせる。最後は「真」です。本当の自分になります。悟って全てがわかる。仏のようになります。
一部功法、二部功法の段階で「定」の方が少し入りやすいとおっしゃっています。人間がきれいになる。自分が「定」の段階になると、精神的に集中力もよくなるし、知恵がありまして、身体の方も悪いことが寄ってこない。
繰り返し説明しますが、次の「観」は、普通人間は道理がわからない。なんでどうしてそうなるのかという質問が多いが、この修練になると、周りのことは観ればわかるようになる。全てのことが理解できる。思想、考え、賢くなります。物事が全部理解できるようになります。階段のように、」5つの階段で、普通の人にとっては、きりがないでしょうが。最後の自分を見いだす段階があります。
こういう5つの段階。自分で静功を修練するとき、身体の方に対応しています。下丹田、尾ろ関、下黄庭の部分は「浄」の段階。元気のレベルです。中丹田、命門、中黄庭は平面図になって「定」の段階です。おそらくみなさんはここまで、これ以上はできていないかもしれませんが、五段階に分けてやっています。目標を立てて。こういうことであると理論、静功、竅穴も元極図という形で表現しています。