悟ると修練をやめてしまう人がいる

以下、青字はかめ爺、黒字は神々の発言です。
A、Bと、Cらは、修練をしていましたが、自分の今後が
「どんなに頑張っても、助かる可能性が非常に低い。」ことを悟って、
あきらめたり、自暴自棄になったり、嫌気がさして修練が出来ません。

神々は、何のために 悟らせることを目的としているのですか?

悟って修練が出来なくなること、自分の魂の声を聞くことが出来る者は、修練の成果によって出現してきます。

悟ることによって、より修練が出来る者もいれば、

あきらめてしまう者もいます。
悟って、より以上を目指すことが出来る者もいます。
時は、終末の時に進んでいます。
時間が短いなりに、より努力できる者、
努力を放棄しまう者、急いで懸命に生きる努力の出来る者たちもいます。
ここで、分かれ道が来るわけです。

悟ったことによって、それぞれ結果が違うということを知るべきです。
われわれは、修練の成果として、悟ることを第一に考えています。
悟ることを極めて重要な事と考えています。

ですから、より多くの人々と縁を持って行くことが重要なのです。

悟ることは致し方の無いことだと考えた方が良いと思います。
悟った後に、どう行動するかは個人の選択ですから 

我々が介入することが難しい領域です。

***死ぬまで努力するように 励ましてあげることは出来ないのですか?***

悟ったときに、まだ、可能性は残されていると、
より深く悟ったときに、

修練する道があることに気がつきます。

終末の世の中で、消滅する可能性が高いことが、判ってしまう。
自暴自棄になる事があっても、少しの希望を見つけ出して、
努力する道を指ししめしてあげれば、選択する道が拡がります。
自暴自棄にならずに努力して生きる道を選択できます。

本当に、努力が実る道もあるわけです。
悪い情報にふたをする。
悪い情報も気がつくけれども保留しておく。
これが出来ればいいのです。
このことは、増田の意念によって、修正をして下さい。
我々が修正をお手伝いします。
あなたが、意念したことが実現するように、

修練者の選択を変更して下さい。

私は、皆さんが修練をしてこうなって欲しい。と思っていることは、

1.意識が次の世に生き残って欲しい。

2.生き残らない場合は、そのことを本人に知らせず、

肉体がある間、
A)楽しく過ごして欲しい。    
B)他人に迷惑を掛けないで欲しい。
C)病気などで痛い、苦しいことなく過ごせる。

ということです。