天つ神、地祇(国つ神)は、どう違うか? 3
古事記、日本書紀等から類推すると、
相手は純然たる人であっても神の誕生は可能なようです。
私も何回か行ったことがある、
「黄泉比良坂(よもつひらさか)」に有る「千引(ちびき)の岩戸」を
紹介する島根県のホームページでは次のようにあります。
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ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、
その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、
うつくしき吾が那勢命 (なせのみこと)、時廻り来る時あれば、
この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、
ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。
ここに妹(いも)伊邪那美の命、
汝(みまし)の国の人草、日に千人(ちひと)死(まけ)と申し給ひき。
伊邪那岐命 宣 り給はく、
吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。
参照: 「伊邪那岐(伊弉諾)と伊邪那美(伊弉冊)の神生み」より
大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神」、
天照大神などがいる高天原の神を「天津神」という。
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伊邪那美命が「日に千人を殺す」、
伊邪那岐命が「日に千五百人を産む」と言っているのです。
つまり肉体を持った神が一神で、
相手は純然たる人であっても、上の次元で神は誕生するようです。