修練とは何ぞや



「ターキッシュ ギュルさん」から、コメントを頂きました。

先日の修練と趣味のことについてです。 
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「修練は厳しいというものの、

その修練に楽しみと歓びと感動と探究・追求等の意欲が出るという

私の感覚は 違うのでしょうか!?」

いや、修練にそうした楽しみ、歓びと感動などが全くないと言っているのではありません。


段階段階で、喜びや楽しみ、達成感などの感情は

当然湧いてきますし、出てきて当然のものです。

幼稚園児が一桁の足し算を出来たと喜びますが、

大学生になってから一桁の足し算が出来ても嬉しくないように、

修練も成長に応じて段階を上がっていくべきです。

その一つ一つの段階ごとに、

力を付けさせるようなハードルが設定されているということなのです。

張先生がお創りになった中華元極学は、静功のレベルでいうと、

一部・混沌初開法にて4段階、

二部・鴻蒙済判法では4次元、

三部・人天交会法にては6段階のレベルが設けられています。

それを更に進展させた、日之本元極功法は、

「階む」で1段階、

「階ひと」で6段階、

「階ふた」で6段階、

「階み」で9段階の階段が設定されています。

ですから、ご自分の成長と共に、

一つ一つ階段を上るように功法をステップアップしていった方が、

殆どの人は早く目的地に到達出来るのです。

中には、何億人に一人か、何十億人に一人の割合で、

たった一つの功法で全てを突き抜けるように悟れる人も居るやもしれません。

元極道の開祖・普善禅師は、

一生下丹田の静功だけで、全てを悟ったといわれています。

ただ、そうした修練の過程で、目先の喜び、感動のみを追い求めていると、

本当の目的を見失ってしまいます。

継続的な修練によって、自らの金線を伸ばし、

元気段階で虚空界と繋がり、

元光段階で太空界と結ばれ、

元音段階において真空界に到達出来れば、

天地宇宙に同期して生きることが出来ます。

そうした生活の中で、自らに課せられた本当の役割を見いだし達成していく、

この事が出来て初めて自分の生存することの本当の喜びに遭遇出来るのです。

修練の継続こそが、その刹那に誘う唯一の道です。

時間がありません。急がねば間に合わないのです。

効果的な修練方法で力を次々に付け、

「天人相応」の域に一時でも早く到達して下さい。