『達磨大師の神』より 23
いままで積み重ねてきた行いの上に修練があるのでは無く、
常に零になりながら「無」の所から出発するのが修練なのです。
増田の言う通り、下丹田からやり直すことが、一番適切です。
しかし、そのことが分からぬ石頭がいますから、
その者達は自分の思う通りに修練を続けるのがよろしい。
そのことは それぞれの考え方に従うしかありません。
増田がどれほど熱心に導いても、離れていく者がいるのですから、
修練者があなたの周りにいますけれども
「無を知る、無の意味を知る者」
は極めて少なく、何が良いのか、悪いのか、分からぬ者が右往左往しているのですから、
指導はしても従わないのであれは、それはそれで構わないのです。
それぞれの考え方を放置するより、手はありません。