安徽省の神 華佗より 5
博物館の館長さんへ私が名刺を差し出しますと、
ベラベラと自説を喋りまくっている五禽戲58代掌門人・周さんをよそに、
暫くそれを見ていましたが、机の引き出しからわざわざ周さんの名刺を取り出し、
二枚横に並べて暫(しば)ししげしげと見比べていました。
何をしていたのか、気になったので、華佗の神に、彼は何をしていたのか聞いてみました。
あなたが、その事実を確認してくれていたのは嬉しいことです。
館長の彼は、敏感な感覚の持ち主ですから、
このようにしてあなた方の存在を何となくでも、
意図的にでも、ふと気がつくところがありました。
さらに、名刺でも、その感覚の違いについて、なんとなく気になるところがありました。
58代・周金鐘の名刺と見比べて、何となく分かっていたのでしょうが、
その感覚を訓練することはありませんから、そのまま忘れてしまうのでしょう。
彼は、何かしらあなたがたが特別な人たちであると認識したと思います。
こういう感覚は、運転手(旅行社が手配してくれた運転手の事。非常に気を遣ってくれました)にしても、
通訳
(旅行社の添乗員。真面目で、初めての事でも良く調べて勉強していました)にしても同じことです。あなた方の存在を、なんとなく大事にしなければいけないという感覚を持つ者は、数多くいます。
もちろん彼等は、あなた方を迎えるために、
選ばれた者であるということですが、
通常の観光者では無いという印象は、強く持っています。