漆部(ぬりべ)神社 (愛知県あま市) 1
愛知県あま市にある甚目寺(じもくじ)に呼ばれました。
私は今まで行ったことがなかったのですが、愛知県では結構名の知れた所です。
甚目寺という地名もありますし、電車の駅も存在します。
甚目寺についてウキペディアから抜粋すると・・・・
甚目寺(じもくじ)は、愛知県あま市にある真言宗智山派の寺院である。
山号は鳳凰山。
鎮守として、式内社の漆部神社(ぬりべじんじゃ、元、八大明神社)があったが、
神仏分離令の後、境内を分けた。
所在していた甚目寺町の名は、当寺によっている。
通称「甚目寺観音」で、正式名称より通称で呼ばれることが多い。
本尊は聖観音。
高さ一尺一寸五分の秘仏であり、50年に1回開帳する。
前立である十一面観音の胎内仏である。東海三十六不動尊霊場第五番札所。
尾張三十三観音第十六番札所。
尾張四観音の一つである。
名古屋城から見て丁(亥と子の間)の方角にあり、
丁壬の方角が恵方にあたる年(丁・壬の年、最近は2007年、2012年)の節分は、大変賑わう。
沿革
伝承によれば、推古天皇5年(597年)、伊勢国の漁師である
甚目龍磨(甚目龍麻呂、はだめたつまろ)が漁をしていたところ、
当時海であったこの地付近で観音様が網にかかり、
その観音像を近くの砂浜にお堂をたてお祀りしたのが最初という。
この観音像は、敏達天皇14年(585年)に、物部守屋、中臣勝海の手によって
海に投げられた3体の仏像のうち1体(聖観音)といわれている。
残りの2体のうち、阿弥陀如来は善光寺、勢至菩薩は安楽寺(太宰府天満宮)にあるという。
龍麻呂は、自らの氏をもって「はだめでら」と名づけた寺堂をたてたが、
これは、「波陀米泥良」と書いた。
「甚目寺」と書くようになったのは、中世からであるらしい。
言い伝えでは、創建の経緯は以上の通りだが、実際、
その歴史は奈良時代以前に遡ることができる、
という仏教考古学者である石田茂作の研究もある。
天智天皇が病気になったとき、甚目寺で祈祷したところ、快癒したという。
このことから、甚目寺は、勅願寺となった。
天武天皇7年(679年)、寺堂が整えられ、鳳凰山の山号を受けた。
仁寿3年8月8日から同4年2月21日までの工事でさらに堂宇を建立するが、一時衰退した。
康和5年(1103年)に、藤原連長や僧智能、大江重房らの力によって再興された。
天治元年(1124年)の地震で被害を受けるが、大治元年に、
大江為道とその女、長谷部氏が、復興につくした。
建仁元年(1201年)に聖観上人が勧進、再興した。
甚目寺に行ったところ、その隣に神社がありました。
甚目寺に行ったところ、その隣に神社がありました。
漆部神社(ぬりべじんじゃ、元、八大明神社)です。