絶食・絶飲食錬功会 36

人は、食べずに生存可能か? 2
(080121掲載済み)

物事の斬新な発想は、ひとたび今の常識的な行動を止めて、

その中身の奥深さを感じてみることに重要なことがあります。

食べ物についても同じことです。

すでに、日之本元極が功法の中で説(と)いているように、

肉食や動物性のタンパク質というのは、人の身体に適合しないばかりではなく、

修練を積んでる人にとっては、必要が無くなってくるという食品です。

その食品を身体に取り入れる場合には、肉の波動を身体に適合させて、

入れなければならないというような能力の必要性も出てきます。

 食べ物が、必要であるかないかということを考えたとき、

食べる楽しみを失ってはいけません。

現在のテレビ放送各社が煽っているような、食事の欲ばかりを追求することはありません。

しかし多くの歴史が示しているように、大勢の者が集まり、同じ物を食べる。

語らいをして、心を一つにしていく催しは、必要なことです。

人が気持ちを通じ合い、気持ちを一つにしていくためにも必要なことです。

古来「直会(なおらい)」という方法をとって、

神と人が話し合い、感じ合ってきたのも道理な訳です。

 そうするならば、ものを食べない、という事柄を目的に掲げるのではなく、

結果的に食べなくてもすむ。

食べずとも生存することは可能であるという考え方を取った方が、より自然です。

日之本元極の功法をもってするならば、それらのことが可能であるのです。


筑波山神社