元極功法の閉関とは 2
元極で言う衝関(突関)を開関といっている派があります。
つまりどちらも関(竅穴)を開ける。破る、突く、突破するということです。
それから考えると元極の閉関というのは、文字の意味からすると、
一度開いた関を閉じるということになりますが、
修練の本来的意味は、どういうことなのでしょうか?
普善禅師にお聞きしました。
この「閉関」の文字をそのまま、読み取ってはいけません。
「閉 」とは、閉ざされた世の中と交わりを絶ち、一心に修錬をすると言う意味を持ち、
「関」というのは、「せき」ともいえますが、「関係を絶つ」というような意味もあります。
あなたの指摘している事柄も正しいのです。
周囲との関係を絶ち、一つの個体、周りとの関係の中の個人ではなく、
人として生きると言うよりは、むしろ、神として生きるような存在と成るべく功力を上げるための方法です。
人、或いは社会というのは、人一人では存在して行くことが出来ない、
周りとの関連を持ちながら社会の中で生きています。
物質社会においては、個と全体という関系が存在はするけれども、
本当に個になった時には、何の存在価値もない、存在しえない訳です。
その周りとの関係を一定期間断って修錬することによって、個を確立し、
つまりは個だけの存在ではなく、イコール全体という存在になろうというのです。
たとえば、細胞の一つが、一個になった場合には、存在し得ないわけで、
そうではなくて、次元が上がったときに、一つの意識体として存在可能になるように、
そういうレベルを目指して修練していく方法です。
個となったとしても、常に全体、宇宙全体とか、他の意識体とか、かねあいはあるけれども、
物質界の単なる個と全体という関係ではなく、そこを乗り越える方法であるのです。
個と全体が一緒というか、同期している関係というか、
常に宇宙との合目的的という存在を目指しているのです。
シグマDP2Merrill(メリル)