控えておりました 3
張先生は、昨年2011年12月3日に亡くなられたのですが、
1943年12月2日生まれでいらっしゃいましたから、
正に68歳になるのを待つようにしてお亡くなりになりました。
その張先生よりのお呼びの言葉です。
私は すでに 仏となっております。
あなたがたが、張家界に行ったときに
(このお話の後、私は1月の中旬に中国湖南省張家界に行きました。)お目にかかります。
そこにある無形の墓とは、私の湖北省に実際に存在する有形の墓にも繋がります。
私の墓地(かめ注;実在する張先生の墓の場所の敷地を言う)から、
「はか(この『はか』の意味は、日之本元極のさとりの法シリーズを受講するとお判りになります。)」に
多くの者達が通じて、天に昇れるように、あなたがたを迎えたいのです。
その為に、あなたは今後の元極を広める仕事をしていってください。
私は、何もかも仕組みの中で生きてきました。
あなた方も静かに時の仕組みを待ちなさい。
私が歩いてきた道を、続けてあなたが歩きます。
私が開発した功法が、何とも賑やかな功法となって、花咲かせています。
花開いた功法が、こち(東風)吹く力によって、
日本中に花咲かせて、そこから世界中に花咲かせます。
こち ふく 風が吹きます。
(かめ注;「こち」とは、通常東風と書くので、文章としておかしいと思われるでしょうが、
単なる「ひがしかぜ」のみを言うのではないので、わざとこのような表現になっている。)
(つづく)