気山
このところ福井講座が開催されるようになったこともあって、福井県によく行くことになりました。
あるとき、道すがら「気山(きやまー地名)」という看板に目に入りました。
「不思議な名前だなぁ。気が出ていることが判って付けた名前なのだろうか?」と思い、
国道を車で走りながら、回りの山々を感じてみました。
ここは、道沿いに小さな山がいくつか連なっているのです。
その中の一つに山頂付近から上に向かって気が吹き出している山がありました。
「ああ、これだ、これだ。」
と、納得できました。
後でその山の気の出方を分析してみると、通常の龍穴のように気が保全されているという状況ではなく、
自然の地形の条件が、気のエネルギーを保全しやすい状況を創っています。
それは、龍穴のまわりに木が育ち、木が茂り、木によって、その龍穴の存在が守られている、
気のエネルギーの存在が消滅しないように守られている、消滅しないように形成されていると、
いうような自然の地形の中にその龍穴があります。
従って、人は気の存在を感じて、気が満ちている存在を感じ取って、「気山」と命名したのでしょう。
その気は、上昇して地域に分散されたために、その場所だけを保全したのではなく(たとえば神社やお堂を建てるなど)、
地域を守る龍穴として珍重されていると云うことになります。
これは非常に珍しい龍穴の例と云えます。
似た所に、人工的にそうなってしまったのですが、岐阜城のある金華山があります。
ここも、山頂からの気の噴出が回りを潤している所です。
普通、龍穴はそれを発見したらなるべく早くその上に建物を建てて、その気を保全しないといずれ周期的に衰退してしまうのです。
その良い例が分杭峠です。
張志祥先生が発見したときは、すごい龍穴でしたが、
「すぐそこに何か建てなさい。」という忠告を無視し、暫く放置したため、
今では当時の面影もありません。
気のエネルギーを単純に比較するならば、ここ気山より当時の分杭峠の方が、
気のエネルギーは高かったと思います。
しかし、それは、一時的な効能だけであって、今では分杭峠は簡素な龍穴となり、
当時の気の大部分は失われています。
龍穴は自然の地形の中で地下からわき出すエネルギーで、
地形の条件などから地上に吹き出しています。
しかし、それらの事象はすべて、神の意図でなされていることをお伝えしておきます。