ツイッター 3
前掲「朝日新聞 メディア激変 変化を読む1」にあるコピーライターの糸井重里さん
の『「泡」のような言葉を書く』を読んで、
「ああ、やっぱりな。」
と思いました。
そして、糸井さんと横尾さんのツイッターをちょいちょい読んでみたのです。
う~ん、流石に横尾さんのツイッターはすごい。
ちょっとやそっとでは、真似ができないでしょう。
これに触発されて糸井さんも書いておられるのだが、一世を風靡したこぴーらいたーとはいえ、容易に近づけない領域ですね。
これはお互い何十年と続けてきた職業と大いに関係があると思われます。
コピーライターという仕事は、次々と依頼される広告のコピーを書くわけですが、
商品の情報を少しでも多く吸収し、それを訴求するため言葉と情報のパッチを紡ぐようにして、
そこから見える新しい切り口を自分の感性による言葉に代えて、
あるいは言葉を生んでいく「製文業」と言えるでしょう。
ですから、糸井さんがツイッターに向かうとき、
常にまだ紡ぐ前の状態、単なる材料を並べている状態でしかあり得ないので、
未だ可能性を見いだすことができていないのだと思います。
これは、私も文章を書こうとするとき、昔の癖で全く同じ状態であるので、
ツイッターという道具は、どうも使いこなせそうもないなと思ってしまうのです。
そうかといって、一般に使用されているような
「今いる場所や食べたものについて書いたり、他人の言葉を伝言ゲームのように回したりする使い方」では、
時間つぶしにしかならないようで・・・・。
次回、なぜ横尾忠則さんのツイッターはすごいのかを、書いてみたいと思っています。
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