鬼門、そして裏鬼門 1

昔から東北の方角を鬼門といいます。
そして、その逆、南西を裏鬼門と言ってきました。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

鬼門(きもん)とは、北東=うしとら:の間)の方位のことである。陰陽道では、が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としている。他の方位神とは異なり、鬼門は常に艮の方角にある。

鬼門とは反対の、南西、ひつじさる)の方角を裏鬼門(うらきもん)と言い、この方角も忌み嫌われる。

鬼門は、古代中国の書物『山海経』にある物語が元となっており、北西)を「天門」、南西(坤)を「人門」、南東)を「風門」、北東(艮)を「鬼門」としたことによる。

鬼門は中国から伝来した考え方であると思われているが、現在では、日本沖縄を除く)のみで忌み嫌われている方位観であり、中国風水では土地や住宅の北東方位を恐れてはいない。  

江戸時代には、鬼門の方向への造作・移徙(わたまし:貴人の引越)は忌むべきとされた。また、人々は家の鬼門の方角にの木を植えたり、鬼門とは反対の方角がであることから、の像を鬼門避けとして祀ったりした。京都御所の北東角には屋根裏に木彫りの猿が鎮座し、鬼門を封じている(猿ヶ辻)。現在でも、家の中央から見て鬼門にあたる方角には、門や蔵、および水屋・便所・風呂などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が強く残っている。

また、都市計画においては、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺が、裏鬼門の方向に石清水八幡宮が置かれ、江戸では江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺が、裏鬼門の方向に三縁山広度院増上寺が置かれた。

鬼門の諸説[編集]
  • 陰陽道においては、西は陰、は陽とされ、北東と南西は陰陽の境になるので、不安定になると説明される。
  • 鬼門は忌み嫌われるという云れの他に、逆に神々が通り抜ける方角、あるいは太陽が生まれる方位(生門)であるために清浄の気を保たねばならぬという考えもある。
  • 中国では、北東の方向から季節風が吹くため、家の中心から見てこの方角に水回りのものを置くと、家の中が不衛生になるので置かないようにしたというのが、鬼門の由来であるというさまざまな説がある。
  • 『山海経』(中国の俗書)にはまた、「東海の中に度朔山がある。頂に大きな桃の木があって、3000里にも渡って蟠屈しており(渦を巻くように曲がりくねっており)、その枝の間の東北を鬼門といい、多くの鬼が出入り口となっている。頂には2人の神が居て、ひとりを神茶、ひとりを鬱壘といい、悪鬼を調べ取り締まる役目を負っている。害をもたらす鬼を葦の縄で捕らえて虎に食わせる。このことをもとにして黄帝は礼の決まりを作り時々これを払い、桃の木で作った大きな人形を門戸に立て、門に神茶と鬱壘そして虎を描いて葦の縄をかけ、凶悪な物の精鬼を防いだ」と書かれている。この話が日本に伝わり、家相でいう「鬼門」方位 となったという説がある。
  • 紀元前2世紀頃に中国で書かれた『神異経』(中国の俗書)に、「東北に鬼星の石室が300戸あったが、門は共有して一つだった。これを鬼門という。」とあり、このため、北東を鬼門と呼ぶようになったという説がある。

ここでも述べられているように、現在この方角を忌み嫌っているのは日本だけのようで、風水などでも特別にこの方角をどうこうと言うことはないようです。

それでは何故日本だけでこの方角を特別視するのか、それはまた明日のお楽しみ。

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