紀伊半島に田辺市があります。(護摩壇山へ行きなさい)―4
また神は、ここで修行した有名な二人の修行者について次のように教えて下さいました。
【源義経に仕えた、武蔵坊弁慶について】
彼は、立ったまま死んだと言われていますが、本当のことですか?
このように質問すると、突然返答する神が変わられました。弁慶の神が出てこられたのです。
私は、この辺の出身で、ここで修行して、僧兵になりました。
本当の話ですが、立ったままでは、やはり死ねません。伝説の話です。身を挺して、師を守ろうとしたということだけが真実です。仁王立ちになったままでは、誰も死ねません。それは、家臣として働いただけのことであって、その当時の多くの武将はそうしたものです。特別なことではなく。その当時としては当たり前のことでした。
私が、認められたのはその他の行いです。修行をして、武蔵坊として力を蓄えて、武術、妖術、剣術に優れていました。そういう修行をたんたんとこなした私の行いが神として認められたのです。
身を挺して死を受け入れたことだけが、認められたのではありません。この時代では、誰しもがしていたことです。
淡々と修行をこなして、自分の師に仕えたということは、あなた方の功法でも言えることです。淡々と修行をして、師に仕えた。ただ、それだけのことです。
【合気道の創始者 植芝盛平について】
彼は、ここに生命を受けて縁のある人です。ここで生命を受けたことは、決して、偶然ではなく我々が指し示した事柄です。
彼が、天と繋がって合気道を世界に広めた功績は、すばらしいことです。彼は、こに依拠して存在しています。この地に縁を持って、多くの者達がここに依拠しております。