沖縄で想念が祓われたこと―1
沖縄に呼ばれ、その地の想念を祓う事は、どんな意味があったのか、神が語ってくれました。
遠く南国の地に行って、人の想念は祓われました。しかし、これを期に最後の一時を迎えるまで、想念が祓われ続けることになります。
人の想念の重さや、まつわりつくようなその粘質性の重みが人の心を解放せず、覆い被さるような呪いのように、想念がまつわりつくことがありました。
人の行いが悪いと、同じような波動となり、同じような波動に感応してしまうことがありました。けれども、想念が祓われると、人の思いは影響されることが少なくなります。
解放されて、思いの通りに生きることの出来る、希望に満ちた気持ちになる人もいれば、感応されることが無くなった想念は、軽く軽くなるので、人として命を全うできずに、消え去る想念もまた、あります。
一段と両極端に振り分けられる。自分の思い、魂の導き、それらが一段と受け入れ易くなります。良い者はよい。悪い者は悪い。と、いうはっきりとした区分けがなされるようになります。
けれども、どんな状況であれ、顕在意識がより良く生きようとするならば、チャンスは与えられます。それは、今まで通りのことです。
今回、ここが祓われたことによって、想念に影響されずに、救われる意識が増えたと言えます。