沖縄・ひめゆりの塔に来ました―1
沖縄の戦火の傷跡は、すさまじいものがあります。戦後60余年のいまでも、その想念が渦巻いていたのです。私は沖縄に始めて訪れたのですが、これほどのモノとは思いませんでした。
私の元に、今二十歳になる修練者がいますが、彼が高校の修学旅行で沖縄に来て、三日間何も食べる事が出来なかったという話が、ようやく実感として伝わってきました。
ここの神のお話しです。
なまめかしい思いを持ちながら、この世を去ることを余儀なくされた、乙女達の無念さをここに凝縮してあります。乙女達の、女性の思い、平和に対する祈願するこころ、女性の失意、念願叶わぬ期待の気持ち、それらがここに集まっています。なまめかしい思いとはまさに、その通りの思いです。
仲間も大勢死にました。この地で、多くの仲間達を青春の日々を過ごした少女、無念の意志を持ったまま、はらすことが出来ない強い念があります。ここで今、あなたが祓ったのは、私たちの意識(神々の、地上を清浄な場に変えたいという意識)だけではありません。
戦火に焼かれて、諸肌脱いで、死んでいった多くの女性達の意志です。
歴史の中で、女性は道具として使われてきました。性的な道具としても、女性は利用されてきました。
そして、このことは、過去・現在・未来を通じての出来事であるということを、念には念をいれて、伝えておきます。