個の存在の評価について 【気功講義 Vol.72】
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
「個の存在の評価について」について、3回シリーズの2回目です。
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かと言って手段を選ばずに、何をしても許される訳ではありません。その時、その時代の歴史の背景があります。武蔵が生きた時代には、平和的な手段では、何事も達成できなかった訳です。そういう手段しか選ぶことが出来なかった結果なのです。
今後、人の命を奪うことについては、もっと慎重に考えられるべきですが、全てを今の尺度で、過去の出来事を計ることは出来ないわけです。我々の尺度もまさにそうであるし、武蔵が生きてきた尺度も今では考えられないほどの「命」の尺度の問題があります。そのことは、しっかり鑑みて考慮されなければならないことです。
また、悪事について一言、言及するならば、「目立ちたい」「注目を浴びたい」がために、わざと悪事を働く者がいます。「世間の注目を浴びて、話題に上りたかった。」といって悪事を働く者が少なからずいます。その者たちは、厳に謹んで処分されるべき(人が人を処分することを言っている訳ではない)です。
後世に影響を与える事柄というのは、後世に希望を与えるような影響を残せるかどうか?というところが重要な問題です。そうではなく、ただただ目立つために奇異を衒(てら)って、独自の議論を拡げるために、自分の欲のために、世間に影響を与えようとする者がいてはならないのです。
個の存在、個の評価に関わっては、時間という一つの空間を越えて考えなければいけません。その存在そのものが、どれだけ多くの者の幸せを求めて活動できたか?に関わってきます。人と人との関
わり、自然と自然との関わりの中でどんな生き方が出来たかということです。そのことと同じように、時間も過去から未来に、未来から過去に同時に流れているのです。
続く・・・
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