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photo by Panasonic DMC-LX3
日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
ピカソが、自身の色使い、線の描き方についての表現法を語ります。
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また、愛情あふれるモノを書くときには、丸い存在が、エネルギーが調和して愛おしく感じるときには、丸い存在を感じるように顕しました。
尖った、強い、インパクトのある偏った、象徴的なエネルギーは三角に、筋を立てた、見通しが見える、筋の通ったエネルギーの存在するときには、四角に描きました。
曲線は柔らかな未来に通じる螺旋状を感じ、直線は光のような鋭いエネルギーを表したつもりです。
晩年、私が絵の中で象徴的に使用した色彩は、黒と赤と黄色です。
まさしく、日之本元極の「もとつきわみ図」につながる色彩です。
黒は、光と陰。赤と黄色は、エネルギーの調和を示しています。
この三色を使った、代表的な絵を一緒に載せて貰っておきます。
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(続く)
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「接吻」1925
自身の絵画について、ピカソ談の続きです。
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顕在意識自体は、むしろ萎えていきました。顕在意識は、体力と共に萎えていきましたから、もっと、公平に多くのものをきちんと書きたいという要求を持っていたのです。
しかしながら、私の他の意識たちが、もっと、ほとばしるようなエネルギーに満ちた絵を描きたい。と言い始めたのです。
そのことによって、わたしは、他の意識の情報からエネルギーを与えられて、絵画として成功させました。絵画としては、事物や、事象が元々持つ波動をそのキャンバスに表すそのことに専念しました。
自分に意識がありながら、そこにないような感覚で、私は描き続けました。そこにエネルギーの存在を書いたつもりです。そして、魂の叫びを何気なく表現しました。詳細に写実的に物事を写して書くという絵画では、決してありませんでした。
人々は、私の絵を抽象画だといっています。しかし、厳密に言うならば、それは抽象画ではなく、無形のモノを写し取った、しかも、詳細に写し取ったいや移し取った結果であることを伝えておきます。決して、私の意のままに描いたのではありません。無形のモノを忠実に写し取ったその結果が、受け取る方々にとって抽象画になったのです。
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(続く)
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「人物と横顔」1928
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
前回に引き続き「人は、食べずに生存可能か?」について、2回にシリーズの後半です。
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食べ物が、必要であるかないかということを考えたとき、食べる楽しみを失ってはいけません。現在のテレビ放送各社が煽っているような、食事の欲ばかりを追求することはありません。しかし多くの歴史が示しているように、大勢の者が集まり、同じ物を食べる。語らいをして、心を一つにしていく催しは、必要なことです。人が気持ちを通じ合い、気持ちを一つにしていくためにも必要なことです。
古来「直会(なおらい)」という方法をとって、神と人が話し合い、感じ合ってきたのも道理な訳です。
そうするならば、ものを食べない。という事柄を目的に掲げるのではなく、結果的に食べなくてもすむ。食べずとも生存することは可能であるという考え方を取った方が、より自然です。日之本元極の功法をもってするならば、それらのことが可能であるのです。
「人は、食べずに生きることが可能か?」
という問いに答えるならば、それは十分に可能であると断言出来ます。
不食(食事をしなくて良いこと)は「目的」ではなく「結果」です。
何人かの上級修練者では、もう既に実感していると思いますが、肉体は食べなくても滅びることはありません。「階ふた」以上の方法を実践できる者であるならば、それは天地のエネルギー、地と太陽、月、自然のエネルギーを受け取って、身体に定着することが可能ですから、物理的には何ら食べなくても飲まなくとも、無形のモノで補っていけるのです。
しかし重ねて申し上げますが、食べる楽しみを自ら封印することはありません。
日之本元極 亀仙人
PHOTO by Panasonic DMC-LX3
今回は、ピカソの抽象画について、本人に語っていただきます。
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丸に、四角に、三角に、ペケ。そういう羅列のキャンバスを覚えていますか?
抽象画を私の全てだと思っている人がいます。
私が、抽象画を描いたのは、晩年になります。きめ細やかな写実的な絵をさんざん描いたあげくの抽象画でした。それは、物事のとらえ方が、私の中でどんどん変化していったからです。
物事は、すべて、無形のモノに繋がっていると感じ始めていました。そのものは、形や色合い、存在する光の度合い、だけではなく、無形のエネルギーの波動を持っていると感じたのです。その無形のエネルギーの波動を、私は表現したい、と思い始めたのです。
その表現が、抽象画へと発展しました。
私の絵がまったく無意味で、何を表現しているのか分からない。けれども、私の絵だから、有名になったと言うのが、一般の方々の理解かも知れません。
確かに、晩年の私の絵は、何を表現しているのか分からないでしょう。
その中に、無形のモノを書きたい。ほとばしるエネルギーの波動を表したい。形には見えない何かの物体を表したい。と言う気持ちが私には、ありました。
それは私の意識する顕在意識の叫びというよりは、私の全ての意識からわき出てくる要求でした。
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(続く)
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「読書する女」1935