写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。
photo by SIGMA DP1
日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
「ほとけ、ほっとけ、ほとけの役割」についてのご紹介です。
***** ***** ******
ほとけ、ほっとけ、ほとけの身の上、ほとけの上にあるのは、むしろです。
むしろに座って、修行を終えたモノが、ほとけの身の上になり、先に進めます。
ほとけである者達が、全て先に進めるのでは、ありません。
ほとけの身の上とは、ほとけのうえにむしろがあり、むしろで修行ができたものが、身の上となり、進み上がって行ける、という仕組みです。
人から受けた功罪を、すべて無(む)にして、白(しろ)紙に出来るかどうか。それが、ほとけの修行です。むしろの上で、無に出来たモノだけが、先に進めるのです。
ほとけは、人の功罪を受けて、ほとけになった者達です。
人から受けた功罪を無にせず、根を持ってはいけません。「ね」を持つと、「ね」は蔓延(はびこ)って、「は」が腐ってしまいます。「は」とは、人生という修行をして、先に進もうとしている我々のこの世界のことを言います。
この世界で、我々は自分の過去世も含めて、自らの「功罪」の借金返済をしています。どうしたら借金を返すことができるか?
1.人のために働く。
2.自らが自然に病気、生活苦などの運命によって苦しむ。
3.人からの攻撃に対し反撃をせず、「無」にし、「白紙」にすることによって、攻撃する人に「借金」を肩代わりしてもらう。
人から攻められたりしたら、「ありがたい」と思い、感謝することです。そして人のために自分をどう活かすかを考えて生活し、修練することです。目では見ることが出来ないにもかかわらず、信じて下さる方々に、必ず元極の力は効果を発揮することができます。
日之本元極 亀仙人
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。
PHOTO by Panasonic DMC-LX3
ピカソの神が、自らの業績と作品について詳しく述べて下さった貴重な「芸術論」も、今回で最後です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
後世に残す目的で描かれたわけではない私の絵が、結果的に後世に認められて、あるていどの評価を得ているのは、非常に嬉しいことです。わたしは、生活の糧として描いた時期もありましたし、思いのままにわがままに描いた時期もありました。それらの私の人生の道のりがあってこそ、結果的に良い絵が生み出されたのでしょう。
私に与えられた役割は、自分の得意とする絵画、芸術で人々を魅了することです。
感動が存在すると共感が生まれる。共感によって、相互の関係ができれば、エネルギーのやり取りが発生し、結果として感動が残り、定着する。そういう「魅了」が実現したのを喜んでいます。
そのとき、そのときの思いの丈を表現できた喜び、多くの者に自己の思いを訴えることが出来た喜びを感じています。
今、神としての立場を与えられて、共感して心を動かすという点で、気持ちを同じくして歩く者たちとともに、仕事をしていくことになります。
モノが動く、ということと同じように、心が動く、ということは、事柄の基礎となる大切な底辺です。心を動かすということは、共感する、同じ思いをする、波動を合わせる。そして無形であるエネルギーの流動が完成する、ということです。私のアドバイスがそういう分野で、あなた方に生かされることを切望しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
終わるにあたって、一つ申し添えておきます。ピカソの神は、取り立てて一つの色に愛おしい程の愛着があったということです。それは「黄緑」です。わざわざそのことを、私に「記憶しておいて下さい」と、最後に述べていかれました。(最終回)
今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。いずこも会期本日までです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡 国立新美術館 ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート サントリー美術館 ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館 ~12/14
作品と見る者達の共感について、ピカソが続けて語ります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
意味の分からない、私の絵を見て、何人も共感など感じないはずです。にもかかわらず、多くの者が私の絵をみて、「この絵に何が書かれているのだろうか?」という疑問を抱いて自分の考えを上乗せしてみたりしている。共感がそこに成立して、見ている(観ている)側の者が、私という作者の気持ちに共感しようとしている。
そこに、エネルギーのやりとりが成立します。共感して、波動が同調する部分こそが、気持ちを揺さぶり動かす原動力になるのです。
「描かれている訳の分からない、形状や色彩感覚の私の絵から、何を感じ取ろうとしているのか?」それは、その者達の感性です。その感性が動いて、心が動くと波動が同調、協調して、一つになって、心がゆり動いていくのだと思います。
一例を挙げましょう。
「読書する女」
この色彩は、ナントばかげていて、愛らしい、素直な姿を示していることか!
この色彩は、感性のままに描かれている色彩です。私の個性のままに、かかれたこの色彩持つこの絵は、私の愛する個性あふれる絵の一つです。
突起する形状
いくつかの作品に描かれた、突起する形状は、また、あなた方の目にとまることと思います。突起する形状は、そのモノの印象であったり、とんがっていたり丸かったり、それは、そのもののもつやさしさ、モノとしての存在感の結果の形状です。
女性は女性らしいから丸いのではなく、人となりの円熟さが、突起の形状の結果として丸く書かれています。とがったモノは、とがって、丸いものはまるく、形状が、表されています。有形のモノの形ではなく無形の個性の形がそこに表されているのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(続く)
今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。いずこも会期本日までです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡 国立新美術館 ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート サントリー美術館 ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館 ~12/14
ピカソは、絵画だけではなくリトグラフや彫刻、造形物など、数は少ないけれども、作品を残しています。
それらに関してピカソの感想です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
彫刻は、私にとって手を満足させる手法として、自分の気に入った工作でした。
平面的で、表面的な表現しかできないカンバスと違って、立体的に物事を捉えることが出来る彫刻などの造作物は、私にとって好きな作品でした。
しかし、わたしのアイデアや湧き上がって来るエネルギーを次から次に、昇華させるには、あまりにも時間がかかったので、それほど、多くは残していません。けれども非常に好んだ工作でした。
いずれにしても、自分の気持ちを表現する技術を与えられたことは、幸運なことです。誰しもが、自分の気持ち、内面を表現したいと望んでいますが、それは、往々にして許されることなく、自己表現できないままにいます。そういう技法を神からいただいた私は、非常に幸運だったと思っています。
作品の一つ一つは、私の手柄、誇りです。手柄として私の手の後、気持ちのあとが、表現されている「てがら」です。手柄は、だれにもあることですけれど、それが、数多く形にして残せる画家という仕事は、名誉ある仕事だと思います。作品が、後世のあなた方にまで認められて目にとまることは、本当に幸せだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(続く)
今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。いずこも会期明日までです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡 国立新美術館 ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート サントリー美術館 ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館 ~12/14