芸術と気功

この大黒が走る姿という新聞記事を見て、大黒天本人にお話しを聞いてみました。
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わっはっは、
わしじゃよ。大黒じゃよ。
これは、わしが走っている姿じゃよ。けれども、通常人が、走って歩く、走って飛び跳ねるという姿ではないぞ。走ってすべる、走って進行するそういう姿じゃよ。つまりは、われわれは、人の形をしてはおるが、神の存在じゃ。身体は有機物じゃが、無形の身体を基として存在しておるのじゃ。

重量というものがなく、飛び跳ねる必要がないのだよ。走っているけれども、人の常識で考える走る姿ではなく、すべって、飛んでいる姿だと想像してくだされ。そのために、右手、右足。左手、左足がそろって、前に踏み出されているのじゃ。

交互に、滑って走る走り方のようになっていて当然じゃろ。
この像は、そういう、我々の存在を感性で捉えた者が、我々の姿を見えるようにあらわしたものなんじゃ。

古来、日本にはそうした見えないものを感得する能力を与えられて生まれてきた者が多く居ったのじゃ。そうした像や、絵画には、伝統的に伝えられてきた物が数多く残されて居る。

人の形で存在している神ではあるが、それは、指導する対照の人々と気持ちを同じくするという意味で、身体を同じくしておるのじゃ。
しかし、われわれは、無形の存在として神の世界、無形の世界に、依拠しながら、この世に存在しているものなのじゃ。

もうひとつの走っている像は、人がモデルじゃぞ。
まったく重心の位置がちがっておろうが・・・・。
重心の位置が人として、足にあるのに反して、我を模した立像の重心点は身体の中央にあることがわかろうものぞ。

人を表しているか、その立像が何を表しているかは、無形のものを感得しようとする気持ちを修練すれば、自ずから、モデルとなっているモノが、何者であるのかということがわかるようになってくるんじゃ。
判ったかの~、わっはっは・・・・・。

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この中の、滑るという感覚は、スキーの距離競技を思えば判るでしょう。
身体が左右にぶれず、一回の蹴りで長く滑るには、右手と右足が同時に出るのです。走るときのように右足左手を出して滑ってご覧なさい。身体が捻られて、上手く滑れないはずです。
いずれにせよ、無形無象のものの大切さが判ります。(完)

ボッチョーニは、ウィキペディアで・・・・・

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-無形無象 気功

風景


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ひだの神社


こんにちは。日之本元極です。

今回ご紹介するのは、「アピタ飛騨高山店」の近くにある神社です。

昨日までは比較的暖かい日が続いていましたが、寒気流れ込みの影響でしょうか。日差しがあっても風が冷たくなりました。

この神社は田園地帯の中にあり、風を遮るモノが無いので、風雨対策で本殿や末社はビニールで囲われています。社を維持していく当事者は人なのですが、神様方はお気に入りではないようです。

寒風吹きすさぶ中、エネルギーを感じながら、お参りしてきました。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-一之宮神社 高山市国府町 神様

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-一之宮神社 高山市国府町 祝詞

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-一之宮神社 高山市国府町 神殿

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元気フォト


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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-名古屋市美術館 展覧会


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写し絵スピチュアル


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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-神道 教典 古典 歴史


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功法の力

数多くある日之本元極功法について、功法別にご紹介していきます。

16.日之本元極功法 階ひと上級動功「めぐりき-立ち止まり」

この式は、階ひと「つづけて環排」の実施により、日之本新経脈や新経穴、新竅穴の形成後の実施では、効果が大きく変化します。

また従来の「めぐりみ」「めぐりき」や「環排」などの実施により全身の経脈の形成がしっかりされている者ほど、効果が出ます。

前述功法の確かな継続の上で、本功法を実施すれば、中丹田、命門の開閉が自在となり三門や新経穴との連携作用で、立体的な呼吸機能が大きく更新されます。

よって全身の毛孔竅穴による三元の出入りが活発で更に有効なものと変化していきます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-健康法 気功 気候 自然

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気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「東・西・南・北」と「右・左」、そして「陰・陽」について、3回シリーズの1回目です。

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 年に数回行っている特別講座の中で、今まで3回ほど高山市一之宮町にある位山(くらいやま)に登りました。位山は霊山として知られ、「すの神」が地球を創られるとき、ここを最初の地とお決めになり創造されたとも聞いています。場を感じられる方には、その素晴らしさが判って戴けるものと企画したものです。

 位山には、中腹にあるモンデウス・スキー場の直ぐ横に、「祭壇岩」という平らな舞台のような巨石があります。古代から神を祭るときに使われた祭壇といわれています。また頂上より少し下った所には「天の岩戸」と呼ばれる岩倉が存在します。車で上れる「だな林道」の終点から頂上まで、登山道の両脇には巨石群といわれている大きな岩がごろごろと配置されているかのごとく繋がっています。

 地球で最初に出来た位山に、「すの神」を始め、多くの神々が初めて地球という地に降臨されたと伝えられているのです。

 その位山から日の出を望むとお考え下さい。当然の事ながら、前は東、後ろは西です。左が北で、右は南になります。この東、西、南、北という方角を指す言葉は、どこから来ているのでしょうか?

 前は日(一(ひ))です。そうすると後ろは月(二(つぎ))なのです。まず「一(ひ)向(む)かし」、これが「ひむがし」、「ひんがし」、「ひがし」と変遷したものと考えられます。

                   東
                   一
                   日

       北・左・火      位山       水・右・南

                   月
                   二
                   西

 後ろに月を背負い、「二(つぎ)」で、「二(に)し」となります。
 神々は「日」に向かい、「月」を負い、左に「火」を従え、右に「水」を連れ添います。この時やはり「右」「左」という言葉が発生しました。 (つづく)

日之本元極  亀仙人 


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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-位山 霊山 巨石群


遠く位山を臨む。   PHOTO by Panasonic DMC-LX3

芸術と気功

2008.12.11の朝日新聞夕刊に以下のような記事が掲載されました。
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美 くらべて見る11  大黒天立像VS.ボッチョーニの彫刻
走る姿 ゴールは同じ

ふつう大黒天というと、右手に打ち出の小づちをもち、大きな袋を背負って、米俵の上にどっかり座るか、しっかと立つかのどちらかのポーズをしているものだ。

ところが鎌倉時代に作られた「大黒天立像」(奈良国立博物館蔵)は、両手両足を前後に大きく開いて疾走している。大地をしっかり踏みしめ、ひたすら前へ前へと力強く邁進しているのだ。
これは「立像」というより「走像」といったほうがいい。

こうした自由闊達な姿態表現は、日本では、平安時代の絵巻物から北斎にいたるまで見られるものだ。
ところが、ヨーロッパでは、躍動感や飛翔感の表現にすぐれた成果を上げた17世紀のバロック美術、そして19世紀のロダンでさえ、走る彫刻までは生み出さなかった。

ヨーロッパで、動きの表現を本格的に追求しようという気運が高まるのは、20世紀初頭のイタリア未来派においてである。連続写真の開発に刺激を受けて、動きの表現を絵画に積極的に取り入れたのが始まりだ。
ボッチョーニはそれを彫刻でも試みて、「空間における連続運動の特異な形態」という作品(写真下)を生み出した。

ボッチョーニの作品は、人間というよりは、ロボットやサイボーグを思わせるが、それでも生身の人間の動きを感じることが出来る。水あめみたいに粘りのある液体の中を人間が通ったら、こんなイメージになるのかもしれない。

人体の動きの軌跡、人体の周りを包む空気までをも形にしているため、太ももやふくらはぎが異様に膨張し、まるで衣服の裾がひるがえっている様に表現されている。それが結果として、袖や裾に風をはらんでひるがえる大黒天の衣服に近づくことになったのだ。

ともに右足を大きく前に踏み出している点まで共通しているのも偶然とはいえ面白い。
それぞれまったく別の地点から運動表現の問題に迫って、似たような解決法に落ち着いたところに、造形表現というものの普遍性を感じる。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-大黒天 気功 飛翔 無形無象

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ボッチョーニ 気功 有形有象 

ボッチョーニは、ウィキペディアで・・・・・

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この二つの作品を比べ見て、無形無象のものをある程度体験したものであれば、全く違うものであることがはっきりと判ります。
まず両作品が右足を出している共通性が判ったのであれば、何故大黒天像が右手、ボッチョーニ作が左手を出しているのに気がつかないのでしょう。

ボッチョーニの作品では、下半身と上半身がひねられています。通常の疾走と言って良いでしょう。衣服のたなびき(作用する力の向きと言っても良いかもしれません)は、後方下向きです。左右の足の下の大地は、別けられてはいますが、平面の連続性を感じます。

然るに、大黒天像にあっては、右足と右手を大きく前に出しています。江戸時代以前の通称ナンバ歩きではそういったことはありますが、全速力で走っているならば、けしてそうはなりません。
両手首の向きに注目して下さい。走っているときの向きではありません。

また衣服のたなびきが、上に向かっているのが判るでしょう。右足などはめくれ上がっています。足の下は、左右が繋がっているにも関わらず、左足の部分が深く沈んでいます。疾走しているのであれば、こんなへこんだところに足を入れることはありません。この作品の、足の下のものが、大地に見えますか?

ではこの大黒天は何をしているか、・・・・・飛翔しているのです。
足の筋肉に力が入っていないのが、お判りになるでしょう。
二つの像では、重心位置、またその加速度方向が大きく相違します。

見えるものを像にした作品と、見えないけれども感じたままに作られた作品の大きな違いです。

芸術を見る目とは、肉眼で細部を見ることに加えて、見えないものを見る目のことを言い、見えないものを感じる感覚を研ぎ澄ますことが重要な鑑識眼を育てることに通じます。

この大黒天像は、立像でも走像でもなく、飛翔像と言うべきです。

(続く)

風景


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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-天の岩戸 天孫降臨 ミステリー


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ひだの神社


ひだの神社 #009

ひだの神社を順番にご紹介しています。(この項は、飛騨神職会発行「飛騨の神社」を参考にしています。)

瓜巣神社
(高山市国府町瓜巣)

銀幣社
祭神
 別雷(わきいかずちの)神
     家津御子(けつみこの)神・速玉之男(はやたまおの)神
     熊野久須美(くまのくすみの)神・菊理姫(くくりひめの)命
     伊邪那岐(いざなぎ)命・伊邪那美(いざなみ)命

由緒 創立年代は不詳。戸田釆女正による元禄検地で、境内除地一反歩を付せられた。

 明治四十年(西暦1907)三月二十七日、神饌幣帛料供進神社の指定を受け、同四十一年十二月二十六日、会計規定適用神社に指定された。当神社は元村社「加茂神社」と称したが、同村瓜巣字大洞二、七三七番地の村社白山神社を合祀し、なお瓜巣字小洞三、二三一番地の無格社熊野神社を合祀の上、昭和八年二月二十四日、社名を「瓜巣神社」と改称せんことを申請した。

 昭和八年三月三十日に至り、岐阜県指令八兵第一、〇七三号をもって許可を得、同年七月三十一日合併承認を得て、すべてを完了することができた。

例祭 9月15日
氏子 90戸
境内 533坪

神社の写真はこちらをご覧ください。