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日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
「功法と修練段階」について、6回シリーズの4回目です。
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では、何故同じ高い三元エネルギーの場に入っても、そのエネルギーを受け取れる人と受け取れない人の違いが出てくるのでしょうか?
通常の修練をしていない人は、体内のエネルギー貯蔵の場として、臓器が充てられています。
臓器の「臓」は、月偏は身体を表し、「蔵」は倉で貯蔵する場所の事を言います。臓器に蓄えられるエネルギー量は自らの身体を育んでいく、保っていくのに必要な量を蓄えておくのみです。
その点、元極功法の修練者は、修練によって「竅穴」という三元エネルギーの貯蔵庫を順番にいくつも造っていく事になります。そして造り上げた貯蔵庫に、これまた修練によってエネルギーを貯めていく事が出来るのです。受け取れる三元エネルギーの量は、各自の貯蔵庫の総量、つまり貯蔵キャパシティの問題だということです。
「腑」の「府」も倉の意味を持ちます。「蔵」は隠して貯蔵するの意味があるのに対して、府は公にして貯蔵するような意味合いを持ちます。「臓」が無形のエネルギーを貯める臓器で、「腑」が主に物質的な倉を意味して名付けられたのだと思われます。
それでは修練を良くして貯蔵庫をいっぱい造れば、三元エネルギーは体内に溜まるのかと言えば、それだけでは叶いません。二つの要件があります。
続く・・・
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我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
「功法と修練段階」について、6回シリーズの3回目です。
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時として、入門当時から非常に敏感な方がいます。いや、入門前からいろいろ見えたり、聞こえたり、感じたりする方もいらっしゃるものです。
往々にして、本人も一緒に修練している周りの方々も、そうした感受性の高い人の効力が高いと思いがちです。しかし実際は、修練初期における感受性の高さと功力は殆ど関係がありません。寧ろ当初は何も感じないけれども、功法の力を信じて、実直に黙々と修練を続けるタイプの者が永い目で見ると力を着けている気がします。
勿論感じない方が良いのではなく、功力と感受性は関係がないから、特別視しない方がよいといっているのです。
信じて続ける事(信定持以恒)が、功力を上げる最大のコツです。
感受性と関連して、場についてお話しします。三元場の良いところで生活する事は非常に有益な事です。しかし場の良い所に居さえすれば、その場の三元を受け取れるかと言えばそうではありません。修練段階に相応した三元エネルギーしか取り入れる事は出来ないのです。感受性の高い人は、そこの場のエネルギーの強さは判りますが、判るからといって受け取れているとは限らないのです。気のエネルギーですら、そうですから、まして元光や元音にいたってをや・・・・。
元光を取り入れ、生発出来る「階ふた」の段階にいる修練者や、更にその上で元音を操る事が可能な「階み」の修練者の偉大さがわかろうというものです。
続く・・・
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