我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
「きとみ声聞遊歩功」とは・・・・
この功法は、肉体的な病の治癒を目的としているのではありません。「心と体の連携」「魂の声を聞く事」「自己の弱さの克服」が主目的です。そこのところを常に心に置いて修練します。
この功法の目的とするところは、元極道が開かれたときの最初の理念です。
肉体が、「へいこう」感覚(身体と心が、平衡で並行し平行なのに併合している状態)を持って肉体を肉体と感じなくなり、心に意識が集中します。
心に意識が集中すると身体も気持ちも全てが、自分の精神を見つめるようになります。身体と心が協調して、自分の精神を見つめ始めたときに、自己の精神が鍛えられるということになります。それは、身体も心も共同作業をしているからです。共同して作業をする中で、心が変化していきます。
そのことは身体を長時間、痛めつけるような時にその受け入れが始まります。痛めつけるというよりは、ちょうど心地よい感覚を身体が得てきたときに「歩くのに疲れるのではなく、苦痛でもなく、しかし快適でもない。」身体の感覚を忘れてしまうような状態になったときに、身体への意識がなくなり、心に集中するというようなときが生まれます。その時をとらえて、この効果が現れるということです。
精神が成長するときというのは、身体の状態も良くなるときです。身体の状態が引っ張って精神を悪くすることは往々におきますから、身体も良くなり、精神も良くなるというのが、歩く功法の特徴です。
歩くことが身体の邪気を排泄して、歩くことで精神を清らかにしていきます。多くの邪気を排泄しきったところで、精神を高めていくのです。そのことを利用した功法です。
先達が、身体と精神の関係に気がついたのは、こういう瞬間でした。
長く修錬することが求められていましたが、ふと、身体の感覚が分からなくなるときがあります。自分の動作が単純であればあるほど、自分の身体に意識が行かなくなり、自分の動作に意識が行かなくなり、その時の精神に意識が集中できるのです。その精神に集中して、行動できるときの自分自身の高まりに気がついたのです。
この功法は、元極道開祖が新しい功法を産み出したとき、その「発見した」瞬間の思いに通じています。
ただ手指の意識と念訣での歩行だけで、大きく心身共に変化します。最低でも連続三時間は、歩き続けます。出来るだけ時間を取って、無理にならない範囲で、お続け下さい。無理は継続を阻害します。
続きは次回へ・・・
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