帯功中、何故目を開けてはいけないのか(2)
一昨日(2009.05.27)、「Hirohiroのブログ」で、「目を開けているときが漏れる」ということが書かれていました。この点について昨日のお話しの続きです。
目からは、気のエネルギーが入る量より、出る方が大きいという特質を持っています。
目を閉じると、出る量がせき止められるから、身体が休まります。気の流れる通路や出入り口には、本来、方向性があります。目は、外を向いてその通路が大きく拡がっています。
耳や鼻や口は、逆の方向性を持っているのです。
ロート状の出入り口をイメージしてください。目は、出る方向が極めて大きくなっているし、鼻、口、耳は、入る方が大きい。気の流れるロートの方向が逆に使われているということになります。
ですから帯功中に全身体表から、三元エネルギーを入れ体内の調整をしているのに、目を開けて垂れ流し状態では、効果が上がらないということになるのです。
もうひとつ、無形の気の出入り口・頭頂百会は、通常、エネルギーの出入りするところではありません。意識して、開く技術が与えられた者だけに、入る技術が与えられます。百会は、一番膨大に入ることを許されるところです。
無形の出入り口である百会の存在を知るものは、元極功法のみに限られています。この出入り口を活用するならば、他の出入り口のコントロールも可能になります。
そうした力を使って元極功法は、太陽や月のエネルギーを取り入れたり、何百頁もの書籍の情報を一瞬で受け取ること等が可能になっているのです。
毎日、仕事でお疲れの皆さん。
仕事中、考えている時間だけでも目を閉じていると、随分、気のエネルギーの消耗度合いが違いますよ。 (完)
帯功中、何故目を開けてはいけないのか (1)
随分お久しぶりです。またここでチョコチョコと書かせていただこうかと思います。宜しくお願いいたします。
昨日(2009.05.27)、「Hirohiroのブログ」で、「目を開けていると気が漏れる」ということが書かれていました。この点について少しお話ししてみたいと思います。
身体には多くの良い気(元極功法では元気という)や邪気(悪い気)、エネルギー(元極で言う元光)、情報(元極では元音)の出入り口があります。
殆どの方は、その出入りを自分でコントロールできません。しかし、いろいろな功法の修練者は、その一部をコントロールできるようになります。
まず頭部にあるその出入り口が何処であるか、挙げてみましょう。
鼻、目、など、出入りが可能なところは、開口しているところです。通常は、目、口、鼻、耳の出入りが可能になっています。そこから、浪費して出ていく事が多い者もいます。
有形の穴が有るわけなので、出入りすることになるわけです。
頭からは、五カ所の出入り口があります。四カ所(左右一対を一カ所と数えています)は有形。1カ所は無形の出入り口です。無形の一カ所というのは、後で述べる百会にあたります。
四カ所は、物の形をして存在して、原因として結果として、気を浪費する出入り口となります。
口、鼻、耳は、出入り口とはなりますが、入ってくることが多い。
しかし、目は、出る方が多いのです。
目から入る情報とは、耳、鼻などに比べ、非常に大量入ってくることも多いが、出る方はそれにも増して、多くの元気が出ていきます。。
寝るときに目をつむると休まるのは、そのことに起因しています。
寝ているときに音が入っていても眠れる。情報が入ってきても眠れます。
しかし、目をあけては、眠れない。脳も身体も休まらない。それは、目から出て行くエネルギーが極めて大きいから・・・。
目を閉じることで、目からエネルギーが漏れることを防げるから、全身を休めることが出来るのです。 (つづく)
「せっぽう-さとりののりしろ」について 【気功講義 Vol.137】
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
今回は「せっぽう-さとりののりしろ」について、4回シリーズの最終回です。
***** ***** ******
「せっぽう-さとりののりしろ」について 4/4
「せっぽう-さとりののりしろ」の値段は、受け取る能力の面からいえば、値段の付けられないような高額なものになってしまうでしょう。価値のある人と、全く価値のない人がいるということです。価値無く、話を聞いただけになってしまう人もいます。それは、その人の受け取れる力によって、それぞれ違ってきます。それが、高い金額であれ、低い金額であれ、その人の力によって、与えられます。値段に関わりなく、そのものの力に応じて与えられていきます。
力は必ず渡すけれども、その力が生かされるかどうかは、その人の努力次第です。非常に大きな力になる人もいれば、与えられた力を生かせない人もいます。受け取る者の力によります。
しかし、この「せっぽう-さとりののりしろ」は、「日之本さとりの法」を受けた者でなければ、これらの効力が確定的に保証されません。この「せっぽう-さとりののりしろ」だけを受けただけでは、不十分です。「日之本さとりの法」を受けた者がこの「せっぽう-さとりののりしろ」を受けることで、この効力が充分に保証されるということを伝えます。
日之本元極 亀仙人
「せっぽう-さとりののりしろ」について 【気功講義 Vol.136】
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
今回は「せっぽう-さとりののりしろ」について、4回シリーズの3回目です。
***** ***** ******
「せっぽう-さとりののりしろ」について 3/4
「デジャヴュ=既視感」
今までこの現象は、科学的に解明されていませんでした。人の構造を知り得ていないが故、解明は絶対にあり得ません。人の構造が判ってさえいれば、原理は簡単なことです。魂や本性、潜在意識など他の意識の既に体験した事柄が、顕在意識によみがえって、今の感覚に重なるということです。顕在意識の今まで体験していなかったことの感覚が、三つの意識の経験を受け取って重なっている瞬間であるという意味合いです。
「せっぽう-さとりののりしろ」を受講すると、既視感が増えるというよりは、もう一歩進んで、そう感じたときにどうすればよいのかというような、直感で受け取ることが出来ます。すでに体験した感覚を受け取ったところで、プラスにはなりません。もうすこし、一歩すすんでひらめく状態にまで高めなければいけません。既視感というよりは、むしろ、ひらめきという感覚で、どうすればよいのか、ということを受け取れると思います。
思ったことが実現する力が、備わるということは、密接に全ての事柄が関連してくるということです。もちろん、先ほどの理論の通り、願いに応じて、神界が動いていく力だといえます。
続く・・・
「せっぽう-さとりののりしろ」について 【気功講義 Vol.135】
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
今回は「せっぽう-さとりののりしろ」について、4回シリーズの2回目です。
***** ***** ******
「せっぽう-さとりののりしろ」について 2/4
力を与える中身
悟った事柄をしばらくは、意識の上に置いておいて、そのことがらに出会う。出会えるような偶然を掴む、そういう力です。偶然に偶然が重なって起こってくるような力です。そういう力を与えます。一般にシンクロニシティといわれる事を随意で起こす力です。今後、この功法を聞いた者に対して、その時に効力を発生させることは、もちろんですが、継続的にも効果を顕すように働きかけます。
「せっぽう-さとりののりしろ」で渡す力=シンクロニシテイの力というのは、偶然に遭遇する、偶然に出会う力です。偶然は創られる、そういう力を渡します。つまりは、皆さんが思っている「願ったことが実現する力」です。思ったこと、願ったことが実現していく力を渡すということです。
しかし、悪いことが実現すると思えるような場合もあります。それは、同時に予知する力が備わってしまうからです。悪いことを思ったから、それが実現するという意味ではありません。予知出来てしまうので、それに伴った事実が起きるということですから、そこの解釈を間違えてはいけません。
「さとりの法」で魂から顕在意識に情報を伝えます。「こうした方がよい」という情報を伝えるルートが出来る訳だけれども、それに合わせて魂や本性が持っている「こういうことが神界で起きているから、次には顕界でこういうことが起きるよ」という情報までも「さとりののりしろ」で伝えるようにするから、予知能力の様なモノが備わるのです。シンクロニシテイが起きるということは、顕在意識が思ったことが、魂に伝わり、神界に伝わって、神界で物事が起こって物事がまた、顕界に返ってくる。そのようなしくみです。
それに関わって、一部の敏感な方では「デジャヴュ=既視感」の起こる頻度が上がってしまう方が出て来るかも知れません。
続く・・・
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。
「せっぽう-さとりののりしろ」について 【気功講義 Vol.134】
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
今回は「せっぽう-さとりののりしろ」について、4回シリーズの1回目です。
***** ***** ******
「せっぽう-さとりののりしろ」について
この功法は、「日之本さとりの法」の続編です。「日之本さとりの法」で獲得した力をより強力に、そして確かなものへと変化させます。この功法名は平仮名で書かれています。それはその中にいくつかの意味を包含しているが故のことです。
「説法-さとりの法しろ」――――「さとりの法」を「しろ」と説法する。
「接法-さとりの糊代」―――――さとりには魂や神と接着するような糊代がありますよ!
「説法-さとりの宣りし慮(ろ)」――宣りし(奏上された)魂や神からの伝達情報「慮(ろ)(思いめぐらし、助言すること)」を、「さとり(自分の顕在意識と、神や魂との意識の差を取る、無くす)」として受け、行動する。
#以下、平仮名一文字一文字の意味は略します。
この功法は、話を聞いたものにこたえるようにしたいと思います。その「こたえる」という中身について話をします。
①受けたもの達の期待に応える
聞いて良かった。という満足感を与えます。これは具体的な話と共に、見えないところの元音(情報)やエネルギーをお送りするという元極独自の帯功講座という手法により、顕在意識のみならず魂、本性、潜在意識や心にも満足感をもたらします。
②受けたものたちの「さとり」にこたえる
受講した本人がさとった、そのひらめきを今後充分に明確に伝える続けるという意味合いです。
③さとりの要請に応える
さとりの通りに行動するまでに、高めるということです。
④受講者が話の中身を忘れても、力を与え作用し続ける。
つづく・・・
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。