「階ふた」講座について
今月・来月に開催される「階ふた」講座の申し込みをされている複数の方々から、次のような質問がいくつかありました。
「修錬をし始めると、眠くて直ぐ寝てしまうのですが、どうしてしまったのでしょう。」
とか、
「子どもが異常に汗をかいたり、直ぐ寝てしまったり、熱を出したりします。私も修錬がここ数日とても辛いのですが、増田先生が何か新しいことをして見えるのですか?」
というようなものです。
私が何か新しいことをしているかと云う事はどういう事かというと、修練者の中には超敏感な方々がみえて、私が新功法を作ったり、新しく録音をしたりしていると、何も知らされていないのに、何百キロも離れた所で身体が反応して判るのです。
しかし、今回のことはそれとは違います。
「階ふた」に上がるには、通常膨大な修錬量と、徳積みが必要です。とはいえ、現代日本人がそれに見合うような修錬量を確保することは殆ど叶わないことですので、受講の決意をした方々には、「階ふた」講座受講に見合うような竅穴構築が出来るよう、その人の修錬とは別に、莫大なエネルギーが受講までの間、個々に供給されているのです。
勿論、「尊師重道」などの養徳標準がしっかり出来ていない方には、それらのことは有り得ませんし、受講すら叶わないことです。
またそのエネルギーは、受講予定者に供給されているのですが、その周りにいる御家族には、ご本人から溢れるようにそのエネルギーが届く為、いろいろな反応が出始めているのです。
無償で届けられるエネルギーに甘えることなく、ご自分でもしっかりと修錬を積み重ねるようにして下さい。
受講によって、大きな功力(能力)を渡されれば、直ぐそれに見合った大きな役割が課せられます。その自らの役割を充分こなし、社会に貢献できるようご精進下さい。
瀧原宮・瀧原竝宮(8)
瀧原宮の御由緒は大きく実際と食い違う所がありました。
崇神天皇第二妃とその御子は、崇神天皇に仕えていた部下を与えられ、宮をお移りになられました。
瀧原宮と瀧原竝宮については、昨日ご紹介しました。
それでは、その他、二つのお社には、どなたが祀られているのでしょう?
三つ目のお社、若宮神社には八坂之入日子命の長男がお入りになっておられます。この神は、歴史書に名はなく、第12代天皇、景行天皇妃である八坂之入日売命(やさかのいりひめのみこと=八坂之入日子命の皇女)の弟君にあたられるようです。
更に、崇神天皇、八坂之入日子命、若宮の神の三代にお仕えになった長由介神、川島神が長由介神社(ながゆけじんじゃ)・川島神社の御祭神として祀られている訳です。
永い歴史の中で、史実は大きく曲げられて伝わってきています。
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。photo by Sigma DP1
瀧原宮・瀧原竝宮(6)
昨日、ご紹介しました瀧原宮の御由緒は大きく実際と食い違う所があります。
第10代崇神天皇の御統治の頃、この宮に移ったのは、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)ではありません。
崇神天皇が、最初に娶(めと)った遠津年魚目目微比売(とほつあゆめめくはしひめ)は、早くなくなったようで、その後向かい入れた意富阿麻比売(おほあまひめ)との間に四子をもうけました。
しかし、第11代天皇を継いだのは、三人目に迎えた御真津比売(みまつひめ)の命との間に出来た6人の子の内、長子・伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりひこいさちのみこと)=垂仁天皇でした。
この垂仁天皇が継がれることが決まったとき、 意富阿麻比売(おほあまひめ)と、その御子・八坂之入日子命(やさかのいりひこのみこと)は、崇神天皇に仕えていた部下を与えられ、宮をお移りになられたのです。
瀧原宮は、八坂之入日子命(やさかのいりひこのみこと)が入られ、瀧原竝宮には、意富阿麻比売(おほあまひめ)が祀られています。
この時代、世継ぎが決まれば、その他の皇妃と御子達は別宮に移るのが習わしになっていたようです。
(つづく)
瀧原宮
瀧原竝宮
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