元極功法習い始めの頃―(14)
私が気功を始めた切っ掛けは非常に不純なモノでした。(そのお話は―>こちら)
不純なりに、気功を始めるにあたって一つの方針を立てたのです。
その方針とは、
「私は気功や、見えないものを疑っている。よって、習っていく段階で理解できないことや疑問がいっぱい出てくるであろう。そこでいちいち先生に喰ってかかっていたのでは、身に付くはずのモノも身につかないかも知れない。せっかく習うのであるから、その間は、先生の言われる通り、文句を言わずやってみよう。」
というものでした。
この方針は、大正解でした。
この六字訣という功法をしている一年数ヶ月の間には、殆ど何も感じない、判らない、効果がないのではと思っていましたが、今振り返ってみると大きな収穫をしていたのだなあと感じています。
習う者の姿勢として、全てを受け入れるということが失われたら、それはもう習っているとは言えないことになってしまいます。
「師弟関係とは、上下の関係である。」
しっかりとそのとき掴んだ人生訓です。
現在、世間の多くでは、お金を払っているのだから、教える方がサービスするは当たり前みたいな考え方がまかり通っていますが、金で買えるような習い事はろくなモノではないでしょう。
(つづく)
元極功法習い始めの頃―(13)
私が最初に習った気功法は、現在中国で公認されている気功法4種の内の一つ、「六字訣」という功法でした。
この功法は、六つの臓器それぞれの特有な共鳴音を発しながら動作をするという他の功法とは少し変わったモノでした。(今でこそ、そう言えるのであって、その時の私には気功は皆同じようなモノと捉えていました。)
その共鳴音を発することで、臓器の邪気を体外に出していく功法です。
気功には、大きくその性質で分けると、
瀉法-悪いモノを排出する方法
補法-良いモノを取り入れる方法
周身法-取り入れた良いモノを体内に廻らせる方法
上記を組み合わせた功法などがあります。
六字訣は、典型的な瀉法の功法でした。そして自ら修錬するだけの功法としては非常に優秀な功法でした。
私のそのときの師は、六字訣を造り出した「馬礼堂(ばれいどう=まーりーたん)」師唯一の日本人の直弟子でした。何も判らないで始めたのに、今思えば何という幸運だったことでしょう。
(つづく)
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