老子よりの話(2)
2007年のこと、「階み」の講座を開催するときだったかに、老子の神に教えを請うたことがありました。本題は、「階み」功訣(6)に関連した内容のことでしたが、同時に次のようなこともお話しして下さいました。
私は精神的な融和を図ること、精神の状況を穏やかにすることについて、説法をしてきたと伝えられています。私は、精神的な事柄だけではなく、精神を定める、心を落ち着けることで気が満ちて充満するということも発見しています。そして、時を穏やかに過ごして、落ち着けると気が満ちてくるという身体と精神の気の様子についても発見しています。
常に、身体的苦痛は、心理的苦痛を伴い、心理的な苦痛は、身体的な苦痛を伴うという二輪の関係であることを強く指導してきました。
宗教は、心と身体を穏やかにするものであり、宗教そのものの是非ではなく、信じる気持ち、穏やかな万物を尊ぶ気持ちこそがそのことを実現するのだと、私も解いているところです。
(元極功法の中でも精神的な迷いや、混迷が三元を浪費することは強く説かれています。)
これからは、あなた方の説いている「神」の存在を母として、大地として、全ての事柄が動いていくことになります。
宗教の言う特定の神のみを尊んだり、他を排したりするのではなく、広く大きく全ての神の存在を肯定し、導きを仰がねばなりません。
大地が育てた精神をあなた方が受け継いで、その精神の元に、あなた方が活躍してくれることを喜びに感じています。
(歴史的には、老子は孔子より先の人であると伝えられていますが、一連のお話しの中で、儒教の孔子や孟子の後に生きた人で、それら先人の導きによって教えをまとめて書物にしたのですと、語っておられました。)
老子よりの話(1)
先日、久しぶりにリニューアルした「階ふた」の講座を開催しました。この「階ふた」に上がれる者は、ほんの限られた「徳」の高い者でしか有りませんが、その先「階み」に至っては更に更にハードルが高いと言わざるを得ません。
随分前に「階み」の講座を開催するときだったかに、老子の神に教えを請うたことがありました。「階み」功訣(6)に関連した内容のことです。
ふたえみえ さんげんわする めぐりみち
やえやまこえて めぐみのはたえ
む ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここ たり う
日之本元極の功訣は、一音一音の響きが、その無限の効用を発揮するので、全て平仮名で書かれています。もし漢字にすれば、その漢字の持つ限られた意味に効果が限定されてしまうからです。
敢えてこの功訣を漢字にすれば、
二重三重 三元和する 廻り道 八重山越えて(肥えて) 恵みの畑へ(二十重)
というようなものになります。
これなら誰にでも、意味は分かります。
三元が、いくつかの体内の道(経絡など)を通り、また多くの難関(病んだ臓器など)身体の中を廻る という意味もありますが、ここでは、
二重三重の数々の山を乗り越えて、ようやく恵みを得ることが出来る畑へ来ました。しかし、更なる恵みの畑へは二十重でもあるのです。ここから更なる畑への旅立ちとなるというような意味になる訳です。だから、これからも本当の意味での苦難が続くという意味に取れます。
漢字にしたら、上のように誰にでもその意味が分かることだけでなく、二重の「ふ」だけでも、無限の意味合いを持ち作用させている事を知るべきです。
(つづく)