歯列の矯正・歯の治療・顎関節症などについて―3
その者に、課せられた「歯」の形は、今を生きる肉体にすぐさま 反映されるわけではありません。次に生きる意識に反映されていきます。
すぐ近くの、生きる期間だけを見ているのではありません。
その意識が、どう生きるのかは長い年月の積み重ねから、或いは、何回かの生き代わり、死に代わりを見て決められていくのです。
ですから、自分の生きる命を、最大限に輝かせて生きることだけを考えればいいのです。せっかくの、与えられた課題をむやみに 手を加えて、明らかに悪い方に 変えてはいけません。その困難さを、与えられた課題や試練を乗り越えてこそ、命を輝かせて生きられるのです。
肉体は、道具です。道具のために、精神を病んだとしても それを 克服していく努力をするべきであると云うことなんです。そのことが、全ての答えになります。
たとえ、受け口で、容姿が、みっともないとしてもそれは、その者に与えられた課題ですから、そのままの状態で克服していくように努力をしていくべきです。
本来、受け口というものは、この世の現代では、医者も異常と決めつける事が多いものですが、「異常」ではなく、単なる「遺伝」です。
受け口であっても、フィギアスケートの荒川静香さん、村主章枝さんのように、輝いて美しく生きている人達もいます。
遺伝的に受け口な者は、からだの骨格にも 大きな問題を抱えています。受け口のバランスが取れるような、背骨の状態になっています。
受け口の者は、背骨の突起が大きくなっています。下顎が前に出た分、背骨の突起が後ろに出て、バランスを取ろうとする骨格になっています。
受け口であるがゆえに、背骨の突起がおおきくなり、直立したときに、からだのバランスが取れるように自然に、仕組まれているのです。にもかかわらず、口だけを 治せば、身体全体のバランスは壊れてくることに、なってきます。
総ては、そういう、肉体としてのバランスを取った結果の「はならび」なわけですから、決して手を加えて、治してはならないのです。
虫歯をなおす、痛みを取るなどの 最小限の治療は 許されるところです。
実例は、こちら===>HIROHIROのブログ
この記述は、日之本元極で開催している「さとりの法」「説法-さとりののりしろ」「さとりののりあいぶね」シリーズを受講していないと理解できないかも知れません。
その講座の中で使われている独特な言葉が出てきていますから、詳しく知りたい方は、日之本元極「さとりシリーズ」受講をお薦めいたします。
(つづく)
歯列の矯正・歯の治療・顎関節症などについて―2
歯の はなし、歯は「は」に通じる
「は」のことは、人の歯の はなしは、そこに小さな「顕界」が示された「は」がた です。
その人、その人の「はがた」に、その人が生きていく「は」の顕界の小さな世界が映し出された結果の「は」の結果となっています。
「は」とは、人が現在生きている、この顕界のことを指します。
人は、有形な肉体と、無形な肉体、そしていくつかの意識の三重構造になっています。
有形な「歯形」は、無形な「はがた」と連動しているのです。
つまり一人一人の「はがた」「はならび」顎関節の構造などは、その人の人生そのものを顕しているのです。
ですから、それを 矯正してしまうことは、いかほどもの 人生への影響が かかわってきます。
もちろん、良い結果を生みだすことも 万に一つ、奇跡的に起こることもあるでしょうが、ほとんどのケースでは、「は」がた を狂わせる結果となってしまいます。
その人が生きる、或いはこれから生きるであろう顕界のようすを、その人の「歯形」が決めているのだということを理解せねばなりません。
顕界で、生きる生き様を決めている「は」がた を変えることによって、つまり、肉体全体に影響が及ぶのは、当たり前のことです。
「は」がたの、代表的な世の中で異常とされる症状は、「は」 の 乱喰い歯のような がたがたの歯を指すでしょう。その乱喰い歯というのは、その者が生きていく顕界のがたがたの波、困難、座を示しています。
それを乗り越えて生きていくことは、その者に課せられた人生の課題なのです。それを歯の形だけを矯正したところで、肉体上への問題が残るだけであって、課題は克服されるわけではありません。
そこの所を理解して治療に当たらなければ、人生そのものを総て「ふい」にしてしまいます。
は、歯、は、歯、は、 呵々大笑。
実例は、こちら===>HIROHIROのブログ
この記述は、日之本元極で開催している「さとりの法」「説法-さとりののりしろ」「さとりののりあいぶね」シリーズを受講していないと理解できないかも知れません。
その講座の中で使われている独特な言葉が出てきていますから、詳しく知りたい方は、日之本元極「さとりシリーズ」受講をお薦めいたします。
歯列の矯正・歯の治療・顎関節症などについて―1
babatanukiのブログや、HIROHIROのブログに最近、顎関節症や歯について書かれていました。そこで、口腔内の治療について書いてみたいと思います。
この記述は、日之本元極で開催している「さとりの法」「説法-さとりののりしろ」「さとりののりあいぶね」シリーズを受講していないと理解できないかも知れません。
その講座の中で使われている独特な言葉が出てきていますから、詳しく知りたい方は、日之本元極「さとりシリーズ」受講をお薦めいたします。
まず、歯の治療は、必要最小限にしなければならないことをお伝えします。特に歯列矯正については、注意が必要です。
良い矯正と悪い矯正があります。
虫歯になって、欠けた歯を元に戻すことなどは、良い矯正ですが、もともと、歯がゆがんだ位置にあるのは、生える必要性があるからその位置に生えたのです。
歯の位置、歯の並びは、必要があって先天的な奇形によって歯が欠けてるとか、過剰に生えているので、そういう形状になったのです。過剰な歯だけを除いたり、欠損歯を埋める程度ならば、まだしも、欠損しているからといって歯列の全体をいじってはいけません。
歯列の矯正とは、できるかぎり最小限に、元あるところに、収めることを目的にして行われなければなりません。
歯というのは、根の結果の「は」です。「ね」が変わらないのに、「は」だけを変えてはいけません。
「ね」から「くき」、「くき」から「は」が出ている訳です。
その結果の「は」ですから、「ね」も「くき」も「みき」も、 健全になった結果、歯が動くのであれば、それは、良い矯正といえます。
からだの 土台が変わっていけば、歯がゆがんで「ね」から「ねこそぎ」変わっていった結果、歯並びが、悪くなる可能性もあります。もちろん、改善する場合もあります。つまりは、「は」は、人の身体の結果の「は」だということです。
「は」だけを治してはいけない。「は」だけを無理に治すと 「ね」が「くさる」ということになってしまいます。そもそも、それぞれに、さだめられた歯列のアーチがあります。そのアーチをほぼ変えない程度に、乱れている歯を治す行為は、まあかろうじて許され得る範囲でしょうけれど、それとて身体の他の箇所に大きな影響が出てくるでしょうから、しない方が賢明だと言えます。
それぞれの骨格の結果として、あたえられた、歯のアーチや高さを根底から変えてはいけないのです。異常なこと(一般的な異常を指しているのではありません)を治す程度の矯正に止めるべきで、根幹から治そうとするのは、矯正ではなく、改悪であるのです。
以上述べていることが、さっぱりお判りにならない方は、我慢して、次回もお読みになると少しずつその内容が明らかになります。
(つづく)