福井・古麻志比古神社の神―1
今月初め(2009.09)、始めて通る道を運転していた所、ある神社の前を通り過ぎた。
通り過ぎるとき、「おやっ?」と思ったが、行き過ぎてしまった。
通り過ぎてから、呼び戻されている気がしたので、少々「面倒だなあ。」とは思ったが、引き返した。
古麻志比古神社という聞いたこともない社であった。
「何用ですか?」と問うと、
古麻志比古神社に坐(い)ます私は、霊能者との交信を司っている神達を総括するような立場にあります。
と、応えられた。
人と神との 交信を司る、霊媒師や霊能者たちは、我々の大切な伝達手段として昔から存在するものです。
神との通信手段を渡されている者の多くは、女性です。彼女たちは実に、率直に神の言葉を受け取り、それを相手によって、歪めて言うような者も中にはいますが、ほとんどの者達は、率直に伝えることが出来るようです。
もちろん出鱈目な伝え方をしている者には、すぐさま、神からの伝言は、されなくなります。そういう意味で、霊媒者として、長く勤めている者は、それなりの功績を挙げているのです。
そういう者が、数多く日本全国に存在すると云うことは、我々の交信手段を伝える上で、非常に有益です。その者たちを「巫女」と総称して私は、長く統括してきました。
というような、不思議な話があったのだ。
(つづく)
塩田に行きなさい。 塩の力―2
「海のまなみ」は、どのように、かわりますか?
初めて、海の水から塩を創ったときの喜びが加わります。これは、大いなる事です。海の水から塩を創った喜び、そして、初めて塩が出来たときの感激の気持ち、喜びの気持ちが、他の精神的な邪気を排泄することになります。
邪気は、身体の邪気も多かったのですが、塩が喜びのエネルギーを得て、身体にはいるとすると、その塩は、押し出すかのように、気持ちから精神的な邪気を排泄し始めます。
古来より、塩は貴重品として、神の御前に備えられるほど、珍重されました。
神殿に塩を飾る起源は、それほど重要なモノであったことを現しています。
古来より、塩は、珍重されるべきものであったのです。
そういう意味で、「海のまなみ」にもエネルギーが付加されましたから、味の違いが分かる者には、明確な違いが認識出来るでしょう。
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塩田に行きなさい。 塩の力―1
繰り返し、くどくも塩について
神より「塩田に行きなさい。」と言われました。他の用事で能登半島に行ったときのことです。
塩は、生命にとって重要な物質です。その「力」を渡しますから、塩の製造工程を見てきなさい。具体的に、全部を知る必要はありませんが、塩が古代からどう創られて、その製法はどうなのかを見てきなさい。
能登半島には、原始的とも言える「揚げ浜式製塩法」や「入り浜式製塩法」が、今でも行われています。
揚げ浜式の塩づくりは
大地の力、太陽の力、煮詰める力、人の労力などあらゆる力が総合された結晶の塩となっています。その力が今後、あなた方の塩に反映されます。
「海のまなみ」に、反映させるという事もありますが、それだけではありません。
今後、あなた方が混乱の中を生きていくための塩づくりのルーツでもあり、ルートになります。
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