沖縄・ひめゆりの塔に来ました―1
沖縄の戦火の傷跡は、すさまじいものがあります。戦後60余年のいまでも、その想念が渦巻いていたのです。私は沖縄に始めて訪れたのですが、これほどのモノとは思いませんでした。
私の元に、今二十歳になる修練者がいますが、彼が高校の修学旅行で沖縄に来て、三日間何も食べる事が出来なかったという話が、ようやく実感として伝わってきました。
ここの神のお話しです。
なまめかしい思いを持ちながら、この世を去ることを余儀なくされた、乙女達の無念さをここに凝縮してあります。乙女達の、女性の思い、平和に対する祈願するこころ、女性の失意、念願叶わぬ期待の気持ち、それらがここに集まっています。なまめかしい思いとはまさに、その通りの思いです。
仲間も大勢死にました。この地で、多くの仲間達を青春の日々を過ごした少女、無念の意志を持ったまま、はらすことが出来ない強い念があります。ここで今、あなたが祓ったのは、私たちの意識(神々の、地上を清浄な場に変えたいという意識)だけではありません。
戦火に焼かれて、諸肌脱いで、死んでいった多くの女性達の意志です。
歴史の中で、女性は道具として使われてきました。性的な道具としても、女性は利用されてきました。
そして、このことは、過去・現在・未来を通じての出来事であるということを、念には念をいれて、伝えておきます。
「天のまなみ」が変わります
天の水分(みくまり)の神「湧水の力」、海坊主の神「あぶくの力」「珊瑚礁の力」
私の力を「天のまなみ」や他の功法等々に使ってください、協力しましょうと言われて、
沖縄から帰った翌日、沖縄の地から高山新宮神社に入ると、海坊主の神といわれる方が、ご挨拶に来られました。
私が管理している力を使って、増田に協力しましょう。
これは、あぶくがわき出して、わき出して、外に出る力と、
地の底から、水がわき出すその時に、周囲と混じり合わずにあぶくの固まりとして、あぶくの中に封じ込めて、邪気を外に出す働きをする、「あぶく」の力です。
また、地の力として、地に邪気を封じ込めておきながら、「地」そのものが、収縮したり拡張したりしながら、押し出す力です。
私の力は、天の水分の神の湧水の力と共に、あなたに差し出します。
それは、人の身体から、邪気などの悪いモノを押し出す力、また、人の身体に、気のエネルギーを押し込める、導入する働きとして、使うことが出来ます。
わたくし、海坊主が差し出し、協力するのは、「あぶく」の力です。そして、「地」の力は、私が携えて持ってきました。そんな言い方をするのは何故かというと、沖縄の海で要請された力だからです。沖縄の海で珊瑚礁が育ち、その珊瑚礁の根となるような力が、地に備わっていました。
その役割を珊瑚礁が受け持ち、酸素を生み出した地の力です。私は、その力を携えて持ってきました。その地が収縮・拡張して悪い物を押し出す力「珊瑚礁の力」と呼んでも良いでしょう。
今後、日之本元極で使われる全ての功法やあらゆるモノに、それが付随して使われることになりましょう。
新たに天の水分の神の「湧水の力」、海坊主の神の「あぶくの力」「珊瑚礁の力」が加えられた「天のまなみ」が発動します。
2009/09/28の午前0時00分、総ての「天のまなみ」が変わりました。
勿論、今貴方がご自宅で使いかけの「天のまなみ」も変化しています。
沖縄の戦場 平和祈念塔にて
斎場御嶽(せーふぁうたき)に続いて、平和記念塔に来ました。
駐車場から歩いて、建物に入って数分経つと、ものすごい勢いで雨が叩き付け、風が吹き荒れ始めました。
山川を超え、堪え忍び、恐怖の中を逃げまどい、生死をさまよい、死ぬことを覚悟した者達の多くの戸惑いや困難、無念な思いがここに集結しています。自ら命を絶った者が、なんと多いことか。
何処の戦争においても、仕方なく命を絶った者が戦場には多いものです。しかし、ここの特徴は自らすすんで命を絶った者が、多いということです。そのことの無念さが、ここに呼んだ理由です。
戦争でおおくのものたちが死んでいます。原爆で数知れない命も奪われました。それでも、沖縄の悲惨さは、言うに耐えないほどです。死の恐怖を感じながら、死ぬことを選択せねばならなかった者達の思いは、この地に凝縮しています。
この思いを払拭してください。
強く、祓う意識を持って、この地を歩いてください。平和記念館は、それほど意味のある施設ではありません。貴方が歩きながら、祓い清めてください。
お話を聞き終わり、施設を一巡して出ようとしたときには、風雨はピタリと治まっていました。