節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―4
保食(うけもち)の神より絶飲食が課せられました。
神よりの事前の注意です。
その後、6日目からは、スープやかゆ、重湯(おもゆ)等が可能になってきます。
6日間ですが、全く飲めない食べれないのは四日間です。
増田は、6日間を厳重に考えていましたが、仕事を成立させるには、厳しいので、
このような提案とします。身体にとって、必要としないから食べないという絶飲食ですから、
身体の機能は落ちません。安心して仕事に向かうようにしなさい。
あなた方は、節制をして開始七日目には、ほんの少し食べることは構いません。
「いただいてから」食べて下さい。既に身体の準備は、開始されています。
身体が欲するような食べ方をしなさい。周りの条件に、左右されて食べるのではなく、
身体に聞いて食べて下さい。
そういうことが出来なければ、いけません。
「いただいて」食べる。というのは、創ってくれた者の「感謝」を、あなたがたがいただき、
神々に食べていただき、その残りをあなた方が、食べるということです。
かのととり のときが 来ました―3
2009年十月某日午後2時30分―「かのととりのとき」が過ぎ、応神天皇より話がありました。
今日は、良き日を迎えて、また、一段と事が進みました。このことによって、さらに大きな成果が生み出されると確信しています。それらは、確信だけではなく結果として、この顕界に成果がもたらされることを伝えます。
先ほど今後私が日之本元極に張り付いて導くと伝えましたが、その通りです。
強制的に話すことはありませんが、導きを聞きながら、前に進んでください。
辛酉の時を迎え、この扉が開かれて、より強力に神界からの力が、及ぼされます。
かのととりのとき を迎えました。
何故、この辛酉の刻が重要なのか?
かのう と とり
叶う=始まり 最後
だからです。
歴史は未来より作られます。
顕界から見れば、
とり と かのう
になります。
次元上昇の、この世=顕界の最後が来て、
新しい世界の始まりが叶います。
このときの「かのととりのとき」というのは、顕界での暦ではなく、神界の暦に則っています。
ひふみ神示に言われる「かのととり」も同様です。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―3
この十月初め、日之本元極スタッフ数名に、保食(うけもち)の神より絶飲食が課せられました。
絶飲食の意味とその過酷さを心得て生活をしなさい。
あなた方は、日之本元極の講師となって、広く世界を歩く生活をすることになりますから、強固な精神と肉体を持つことが求められます。
あなた方には、何も食べない、飲めない四日間と、少しずつ回復していく二日間があります。
明日から開始されますが、何も飲めない、食べられないのは午後からになります。(実際は、この絶飲食に入った者達は、朝から何も飲まない、何も食べない生活に入った)
その後、四日間は何も食べれない、飲めない事になりますが、五日目の朝からは、
少しずつ、飲めるようになります。飲むと同時に、ココアのようなカロリーの高い飲み物は可能になります。そのほかの甘い飲み物も、飲んでも良いでしょう。
かのととり のときが 来ました―2
この年(2009)十月半ば、応神天皇よりお話しがありました。
かのととりの 時が来ました。今日の午後、 かのととりの時が来ますから、告げておきます。この時を迎えると一つの山を越します。この「かのととり」の 時が来たことを告げる合図が、午後2時30分 頃にけたたましい音をたてて、割れるような響きを持って聞こえてきます。
顕界と神界の境目が割れるように開くときです。増田にこの時が来たことを伝えます。
このことが起きると、さらに、あなた方への導きが強力となり、事柄が動いていくことになります。今までの話はあやふやで、いつも結果が伴わなかったにも関わらず、今後は 結果が見えてくることになります。
顕界と神界との境目が割れて、地響きするような音がすることになります。
本日、2時30分。その事柄が起きてきます。