辛い料理で有名な、四川省の首都、成都。
この町は、殆ど雨か曇っていることで有名だそうです。
久しぶりに出た太陽に、犬がビックリして吠える。ということわざがある程で、この日も見事に霧が掛かっています。
確か午前9時過ぎに撮った写真だったと記憶しています。
日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
「かのととり」のときがきました。
辛酉のときとは、新たな切り替わりのときのことです。
中途半端に「新乾坤」のことを知っている者の多くには、恐怖心が心を支配しています。
恐怖心だけが、彼らの心を支配して、「自分は助かりたい、その怖さから逃れたい。」
そう思っています。
自分が助かりたい気持ちの延長線上に、人に尽くす気持ちが存在しています。それでは、根本的に逆転した発想です。「坤 <――> 乾」
「しんこんけん」に向かって、風が吹きます。
あな ひがし、 あな ひがし
東風(こち)から 風が吹き始めます。
あな ひがし、 あな ひがし。こちから 風が吹き始めます。
西の風も吹きます。東の風も吹きます。
その風に乗って、「ひ」が燃えさかります。
「しんこんけん」が来ます。
神が采配する世の中は、終末の世となり、新たな希望の道を歩く世の中となります。次元の上昇は、近づいています。それほど長い時間は残されていません。
けれども、慌てたり、焦ったりすることはありません。恐れることもありません。ただただ身を捨てて、世のため、人のために働く気持ちを持ち、欲を捨てて全てを手放し、物や感情に囚われない生き方をすればよいのです。
次元上昇のことを聞きかじり、右往左往する者の中に、判っているような振りをしているにもかかわらず、次元上昇のその時までに何をするべきなのか、と問う者たちがいます。
それに応えて言うならば、「何もするな」、「何も出来ない」と答えるしかありません。
「ひのもと」に集まって、心豊かに残された時間を歩き、心安らかに、時を過ごし、穏やかに修行の道を歩く、そして、自分の生き方を見つけて、欲をそぎ落としていく、そういう生き方をすることです。
「何もするな」というのは、「欲を手放す生き方」をしなさいという事です。
欲を手放した生き方は、崇高ですが、そのために生きる目的を見失ってしまう者もいます。只ひたすら、身を捨てて人のために、世の中のために働く、それだけを考えればよいのです。難しくはありません。しかし、なかなか出来ない生き方です。
終末の世が近づいています。「しんこんけん」を迎えて希望に向かって、生きる道を選択するべきです。
つづく…