「本社伝」には、「神后皇后三韓を伐ちて御凱旋の帰路、都で忍熊王が謀反を起こしていることを知り、武内大臣に皇子(応神天皇)を守護し、紀伊に趣かしたが、南海に漂うた末に当地の大水門浦(大島浦)に着かれ、その時に当地に住吉三神の大神を祀られ、海神社御本之宮と称す。」と記されているとのことです。
住吉三神とは、「底筒男命(そこづつおのみこと)」「中筒男命(なかづつおのみこと)」「表筒男命(うはづつおのみこと)」のことです。
しかし其所に居られる神によると、この神社は、紀州の串本「熊野神社」であると言います。起源はもっと昔になり、神武天皇のときであるようです。
「大きな大きな神社です。社は小さいのですが、大きな役割をします。熊野神社に行きなさい。2月5日、郡山を通って串本に行きなさい。ここが分かれ道になります。」