「節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義」という文章を書いていて、その本題とは別に食のあり方についても書きたくなってきたので、題を別にしてここに記す。
「捨てる文化」が定着してきてしまい、飲食物には賞味期限なる物を必ず付けなければ、販売できない仕組みだ。しかし、それを過ぎても充分美味しく戴ける物は多いし、というより、賞味期限直後では、ほぼ100%まだ食べて問題が起きないだろう。
人は自分が食べようとする食物が良いか悪いか、殆どの場合、味、臭い、感触、目視などで分かるものである。悪くなった物は、酸っぱくなったり、ぬるっとしたり、臭くなる。人は、古来そうして判断してきた。
それをしないで、データだけで判断しようとする所に、そもそも大きな間違いがあるのではないか。人の感性は、使わねば退化していく。またそうした経験のデータベースが自己の記憶に少なければ少ない程、判断は不正確になっていくだろう。
製造年月日だけを、きっちり間違いなく表記させればよいのでないか。買った後は消費者の責任である。そうしたことを徹底すれば、廃棄される物は少なくなる。
新鮮で美味しい物を常にタイムリーに販売する業者は流行り、そうでない所は自然に淘汰される。
修錬を続けていくと、味覚、臭覚、響きに関する聴覚、温度や気の善し悪しによる熱い寒いの感覚、触覚、勿論無形の物に対する視覚などが、ドンドン敏感になってくる。
一般生活でも、こうした人の潜在能力を発揮できるような生活をしなくてはいけないのではないか。昔に比べ便利にはなっているが、能力を退化させるような仕組みが作られてきている。
近々公開するであろう「階ひと」観訣講座の後に受講できる「識眼功」は、人のもつ潜在的な六つの感覚をより鋭敏にし、総ての情報を的確に判断処理することを修錬する為の功法である。
(つづく)
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