私が食べた中では、高山で一番美味しいパン屋さんです。
混ぜ物が殆ど感じられず、買ったその日の内ならホントに美味しい。
お父さんの跡を継ぎ、若い二代目が頑張って作っているのも好感が持てます。
小さなお店ですから、作っている所も見ることが出来ますよ。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―12
絶飲食についての、飲まないことの意義の解説は佳境に入ります。
こぞって、細胞の全てが、水分を取り合う形になります。見通しとして、危機的な状況ではなくなったので、排泄を優先させる必要が無いからです。細胞同士が、水分を取り合うので、腎臓から排泄される水分が少なくなります。
そのしくみは、主に、血管の太さにあります。
腎臓の血管が太くなれば、利尿作用があります。細胞への血管が、太くなれば、細胞に血液が行き届き、血液が満たされて、腎臓へは供給されなくなります。ですから、水分を競って取り合う状況の中では、排泄が抑制されているということです。
これは、もちろん、脳の中の抗利尿ホルモンも働いてのことです。
ここで、疑問が湧いたので、質問してみました。
「そうした意味からいくと、現代人は、水を取りすぎているのですか?」
生活の上の要求として、水分を取っているわけですから、悪い事ともいえません。
自分の食生活の形を決めて、そのスタイル上で飲み食いすることは重要なことです。
それが、健康を逸脱するものでなければ、水分を取ることは悪いことではありません。
しかし、水分をこれほど取らなくても生きていけるということは、はっきりしています。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―11
神の解説は続きます。
絶飲食の間、体内の水分は、からからの状態にあります。
ですから、水分を生み出そうとして、細胞同士が相談し合い(細胞は、一つ一つ意志を持っています)、脂肪を燃焼させることで水分を生み出そうとして、全ての細胞が協力し合います。
決して、脂肪細胞だけが燃焼して生まれるのではありません。 他の細胞が協力しないと水分は生み出されません。生み出された水分は、身体の中に有る邪気を優先的に排泄するように、身体から邪気を伴って排泄されます。
ですから危機の状況にあって、身体を健康に保つためには、水分は不可欠ではありますが、身体を健康に保つためには、常に排泄も重要なことになのです。
絶対絶命の危機にあって、身体の調和や健康を考えると排泄されることが優先されるわけです。生命を維持していく営みの中で、排泄こそ、重要な点です。それにもかかわらず、水分を十分に補給すると、細胞への水分の供給が優先されます。排泄は、後回しになってしまいます。
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。photo by Sigma DP1
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―10
絶飲食についての神様の解説は続きます。
5日目から水分を取ることになりますが、水分は少しずつ穏やかな増加で飲まなければなりません。せっかく休息をして、休んでいる臓器に大量に水分が与えられて、急激に働くように指令がなされると、臓器の調和は元の木阿弥となり、働きすぎる臓器が、いの一番に働き始めます。
少しずつ増量するように心がけて下さい。
体脂肪が減るということは、もちろんですが脂肪を燃焼させて、他を活性化させる目的もあります。もともと、臓器についた脂肪は、臓器の働きを低下させることになりますから、五臓の働きの調和の上でも、内臓脂肪は優先的に減少させています。
精神的な鍛錬ということも大きな意味合いがあります。しかし、それは多くを期待していませんでした。すでに当該修練者達においては、それはクリアできる要素を持っているという認識の上に実施しています。精神面での鍛錬よりもむしろ、内臓の調和を目的にしていました。
一般的には、過酷な絶飲食をするということは、精神的な鍛錬も含めて、課せられているとみるべきです。
あなた方には、普段の修錬によって、その力は既に充分培われています。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―9
絶飲食の意義について、神は教えて下さいました。
内臓の様子で言うならば、人それぞれ、活発に動く臓器と比較的働きの悪い臓器があります。それぞれが、働かなくても良い状態になると内臓は休息をします。休息をした状態で、臓器が調和する状態に働きかけています。
それぞれ、弱い臓器と働きすぎる臓器があります。弱い臓器をカバーするように、働きすぎる臓器があるのです。
結局は、弱い臓器が弱るかと言えば、働きすぎた臓器も弱ってしまいます。そのことのコントロールをして、臓器が調和して働くように、絶飲食を指示しました。
それは、通常の生活をしていては、臓器は常に働かなければいけない状態に置かれますから、難しいことなのです。
内臓が休んだ状態でコントロールすることが望ましいのです。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―8
飲むことも食べることもまったく出来ない、絶飲食の期間、6日間を終えた修練者に対して、神より犒(ねぎら)いのお言葉がありました。
絶飲食は、過酷な取り組みだったと思います。特に、日常の生活の延長線上でこのことを実施するのは、とてもたいへんだったことでしょう。この絶飲食の開始は、すでに開始前一週間以上から準備が進められていました。少しずつ、体調を整えることから始まり、邪気を排泄すること、健やかな身体になるような取り組みがなされていました。
修練者個々の身体の弱い所に働きかけて、他の臓器と調和させるようなことが、行われ
てきました。その結果の絶飲食です。身体の問題はいろいろあるでしょうが、スムーズに、なんとかスムーズに進めたことを嬉しく思います。
上記のように、このブログを読んだ方々で、このことを指示されてもいない人が、絶飲食を行うことは、とても危険なので、絶対止めて下さい。
周到なる神々の準備と補助、そして普段からの修錬の積み重ねの上で可能なことだからです。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―7
絶飲食について、神様にお聞きしてみました。
「本来、絶食をすると、唾液はあまりでないのですが、今回はたくさん出ています。どうしてですか?」
「修錬をしていない普通の人でも出るのですか?」
生命を維持するための致し方のない絶食ではありません。
計画された絶食です。通常の絶食とは、全く異なる機序が起きています。
あなた方の身体は、神の意図によって、無形の空間と無形の臓器と神々と深く繋がれています。
それによって、身体は、三元エネルギーを十分に供給されて、口の中は、唾液で潤されている結果となっています。、内分泌や分泌物のコントロールが今回の課題ですから、その点で唾液が十分に出るようにコントロールされています。その他の内分泌も十分にコントロールされます。
必要な水分は、身体の中だけで供給されているだけではなく、神の意図で違う空間から供給されていますから、その量は少ないのですが、排泄は滞りなく行われます。
絶飲食を指示された修練者達が先ず疑問に思ったのは、水分をまったく取っていないのに普段通りの回数、量のオシッコが出ることでした。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―6
絶食のみならず、どうして水分まで飲んではいけないのか?
物を食べないと、体脂肪が分解されて身体を維持しようとし始めます。
体脂肪を分解する過程で、水分が生み出されてきます。水分を摂取しないことで、速やかに、体脂肪が燃焼されていくようになります。
その分解・燃焼過程の中で、もっとも刺激が与えられるのは、内分泌の系統です。
免疫機能や内分泌が刺激されて、危機の状態を察知します。危機の状態になったときに、免疫力を向上させる事はきわめて重要なことです。
どのような環境の時でも生きれる体力というのは、免疫機能が抜群の選択力をもって、見分けることをします。見分けて防衛する力など、様々な 免疫機能の向上が必要になります。そのためには、緊急事態であるという信号が、免疫系統に送られて、内分泌系統が活発になります。これが絶飲食でもたらされる大きな成果です。
消化吸収の機能だけを高めるのではなく、内分泌系統、免疫機能も高めて、更に消化吸収に関するネットワーク系統も高められます。体内で分解された脂肪から、水分が提供されて、飲まなくても身体の機能を維持できることになります。
次元上昇への終末の時を迎えて、今後、水がしばらく飲めないとか、食べ物飲み物が撮れないことが、起きてきます。
そういう事柄に鑑みて、身体の状態を改善するとともに、絶飲食が指示されました。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―5
絶飲食を課せられた新しいスタッフに下ろされた、多紀理毘売命(奥津島比売命)からのお話です。
絶飲食を課せられた者達に対するメッセーシだと、お伝えしなさい。
あなた方にとって、これから日之本元極を広めていく上で必要な覚悟を申し伝えます。
日之本元極を伝えることは、過酷で困難な生活を強いられることになっています。
想像を絶する過酷な試練となるでしょう
あなた方が、自分の体力を失ったとしても、あなた方は活動を続けなければならない運命にあるのです。
その過酷な運命を克服し、生きのびる為には、強靭な肉体が求めらていくのです
あなた方にとって、その強靭な肉体を手に入れる為には、その肉体の意識(顕在意識と潜在意識)を鍛えねばなりません。
今後、あなた方にとって過酷で厳しい試練が続きます。
これから訪れる厳しい時代を、厳しい終末の世を切り抜けていく為には必要な試練なのです。
これから訪れる厳しい時代を乗り切る為に、試練を乗り切る練習をすることです。
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―4
保食(うけもち)の神より絶飲食が課せられました。
神よりの事前の注意です。
その後、6日目からは、スープやかゆ、重湯(おもゆ)等が可能になってきます。
6日間ですが、全く飲めない食べれないのは四日間です。
増田は、6日間を厳重に考えていましたが、仕事を成立させるには、厳しいので、
このような提案とします。身体にとって、必要としないから食べないという絶飲食ですから、
身体の機能は落ちません。安心して仕事に向かうようにしなさい。
あなた方は、節制をして開始七日目には、ほんの少し食べることは構いません。
「いただいてから」食べて下さい。既に身体の準備は、開始されています。
身体が欲するような食べ方をしなさい。周りの条件に、左右されて食べるのではなく、
身体に聞いて食べて下さい。
そういうことが出来なければ、いけません。
「いただいて」食べる。というのは、創ってくれた者の「感謝」を、あなたがたがいただき、
神々に食べていただき、その残りをあなた方が、食べるということです。