芸術と気功

ピカソ自身による話の続きです。
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私が死後、神になれたのは、人を感動させた成果です。
私自身は、人々に生き様として良い影響を与えたとは、決して思えません。 それほど、周囲の人々にとっては、一人の人間としては、迷惑な存在であったと思っています。作品としては、良い作品を残したのですけれども、私自身は、わがままで、傲慢で、未発達 、自己主張が強くて、…そういう性格を世の中が、受け入れてくれた結果、良い作品が完成しました。

それを可能にする女性達との人間関係が存在していたからこそ、成り立っていたのです。
ですから私には、あなた方のように人のために、生きようとする精神の気高さはありませんでした。私は、ごねた生き方をしました。人に尽くす生き方ではありませんでした。やりたいことをやりたい放題にやった。その結果が、立派な作品に仕上がった、というわけです。

時代背景もあります。そういうことが許されるおおらかで、緩やかな時の流れの時代でした。私が生かされた時代の背景に恵まれていたのでしょう。私は、今後芸術を世に広める仕事の上で、世の中の発展に力を貸しますから、どうぞ皆さん、前に進んでください。
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(続く)


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「ドラ・マールの肖像」1937

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 ドラ・マールの肖像

芸術と気功


ピカソが自分の体験したこと、考えていたことを、皆さんにお話し下さるそうです。
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私の名声に乗せて、私が体験したことの中で、いくつかのエピソードを紹介します。

芸術の善し悪しというのは、エネルギーの交換にあります。エネルギーがそこに存在して、みている者の心を揺り動かす。それは、「感動」という言葉で表されます。それは、「感動する」という言葉が当てはめられます。

感動するというのは、心を揺り動かす、魂を揺り動かす、そこにそういうエネルギーが存在しているということです。

わたしは、被写体にエネルギーを感じて、エネルギーを取り入れ、キャンバスにエネルギーを注ぎ込みました。そして良い絵を描き続けました。枯渇したエネルギーをまた、次から次へと、私の周りにいるパワフルな女性たちが、提供してくれました。私の絵はエネルギーにあふれていました。

しかし、それは、悪く言えば偏ったエネルギーに満ちていたことになります。私の絵を感銘して受け入れてくれた者達もいれば、不快に感じる人もいます。

そこに、私の偏向さ、偏屈さ、歪曲した精神があります。
私自身、決して円満な人格ではありません。私は、きわだって、しつこい、粘着気質の性格があります。そうでなければ、一つの事柄に固執して爆発的なエネルギーを注ぎ込むことが、難しかったでしょう。
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(続く)


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「フランソワーズの肖像」1946

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 フランソワーズの肖像

芸術と気功

前述しました様に、ピカソは周りの女性達よりそのエネルギーを吸収してキャンバスに自己の思いと共に描き込む作業をしてきました。

判っている長期に付き合った女性だけでも9名、短期的な女性関係は数知れずといわれています。殆どが20~30才であったようです。また付き合いはなくとも、周りを通りすがっただけでもエネルギーの移動を感じることができます。本人はその気がなかったのでしょうが、修練もしていないのに恐ろしい能力です。

1.ジェルメーヌ・ガルガーリョ
2.フェルナンド・オリヴィエ
3.エヴァ・グエル
4.ギャビー・レスピナス
5.オルガ・コクローヴァ
6.マリー=テレーズ・ヴァルテル
7.ドラ・マール
8.フランソワーズ・ジロー
9.ジャクリーヌ・ロック

この中で戸籍上で結婚をしたのは、 5.オルガと9.ジャクリーヌの二名だけですが、 オルガは精神を病み、ガンでなくなっています。ジャクリーヌは自殺。
また既にご紹介した「人形を抱くマヤ」のモデルになった娘マヤは、マリー=テレーズの娘ですが、マリーは自殺しています。エヴァは30才の若さでなくなっていますし、ピカソとオルガとの子パウロ・ピカソの子パブリートは、ピカソの葬儀後自殺しています。
パウロとてその二年後になくなっています。

芸術の為に、周りの多くのエネルギーが費やされたと言えるかも知れません。
(続く)


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

国立新美術館 ピカソ 気功 日之本元極
photo by SIGMA DP1

芸術と気功


「絵を描くということ」について、パブロ・ピカソさんから直接お話ししていただいています。前回の続きです。
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その思いが動くということがなければ、なんの絵柄も発生しません。マイナスの感情であれ、プラスの感情であれ、自分の気持ちが大きく揺り動かされるという行為です。世の中には、「感動する」という言葉が溢れ過ぎていますけれども、感動というのは、感性が動くということです。嬉しいことや悲しいことばかりではなくとも、どんな思惑でも心が大きく揺さぶられて動くということが、感動です。そういう思いがあってこそ、絵筆が動きます。ただ単に、巧妙に技術が勝っていて、絵柄を移したモノは、なんらエネルギーを発しません。

しかし、そこに、自分の思いがあり、相手の思いがあり、うまく調和して、そのことがキャンパスに描けたときに、調和したエネルギーが、発生します。「被写体と描く者とが、エネルギーをやりとりする。」まさに、その両者のエネルギーがうまく調和したときにこそ良いモノがかける。その結果良い作品が描けるわけです。

本気で絵を描き続けていると、猛烈にエネルギーを使うことになります。
「ピカソは自分の描くエネルギーを、付き合っていた周囲の若い女性達から無意識のうちにもらっていた。だから、彼の周りにいた女性は、何人も早死にすることになった。」というカメ仙人の推論は、結果的に、そのようになってしまいました。今から思えば、かわいそうなことだったと思います。それも、良い作品を私が残さなければいけないという指名的なことから、そういう結末を生み出したのだと思います。

そして、常に私が彼女たちに心を揺さぶられ、大きな感動を彼女たちから受けていたということも、事実です。 (続く)

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今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。

巨匠ピカソ愛と創造の奇跡    国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート    サントリー美術館   ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/23

黒川紀章氏設計 国立新美術館
国立新美術館 ピカソ 気功 日之本元極

芸術と気功


先回、ピカソ作「人形を抱くマヤ」について少しお話ししました。
今回は、「絵を描くということ」について、パブロ・ピカソさんから直接お話ししていただきましょう。
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ピカソです。
唐突ですが、エネルギーのやりとりが存在しているからこそ、絵を描くということが成り立ちます。逆に言えば、絵を描くということの上には必ずといってエネルギーのやりとりが存在するのです。エネルギーのあるモノを写して描く。うつしてかく。その行為は、相手のエネルギーを自分を通じて、画面に移すという行為です。さらに、自分の情念をそこに、思い描いて描く。相手の姿、形、その形状だけではなく、相手の持っている「生々しい生き様」、「思い」―― それも自分の情念に乗せて描く、という行為です。

それは、懸命に自分の思いを描きつづけることです。思いを届け、エネルギーのほとばしるほどの思いをその画面に残す作業が、絵を描くという行為です。絵を描くという行為は、単なる移して描くということではありません。被写体から得た状況、情報、内からの情報をどれだけ感じ取って、そのあとに、キャンパスに思い(情念)を写し取るのです。まず、被写体から感動すること、感激すること、心が動くこと、ある思いを持つこと、そこから絵を描く行為が始まります。 (続く)

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今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。

巨匠ピカソ愛と創造の奇跡    国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート    サントリー美術館   ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/23

国立新美術館 ピカソ 気功 日之本元極
黒川紀章氏設計 国立新美術館
国立新美術館 ピカソ 気功 日之本元極

芸術と気功

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。

巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/23

これに因んでか、去る10/22、朝日新聞夕刊 美の履歴書欄にピカソの「人形を抱くマヤ」について記述がありました。

横顔の輪郭なのに、片目は正面を、もう一方は斜めを向く。横向きの鼻に、鼻孔は二つ並ぶ。そして、大きな唇。ピカソは、マリー・テレーズとの間に生まれた娘を、極端にデフォルメして描いた。対象をさまざまな角度からとらえて解体し、再構成することで、本質に迫ろうとしたのだろう。ここでは、娘の姿のみならず、心理まで描き出そうとしたのかも知れない。しかしマヤが抱く人形は、何故か、ごく普通に正面から描かれている。人形には命がない、という指摘もある。だとすれば、ピカソは命あるものに興味を示し、それをデフォルメによってカンバス上に再現しようとしたと見ることも出来る。

「なぜ人形は普通なのか」と、この記者は表題で問うていますが、これに正解を与えることは、日之本元極の講座を受講している者にとっては簡単なことです。
一人の人に、五つの意識が同居することを知っていれば、芸術の見方も的を得たものになってきます。
ピカソはそのことを知らずとも、その存在を感じ取っていたのです。そして自らの魂からの語りかけに突き動かされ、生きとし生けるものの見えない真の形態を描こうとしたに違いありません。

国立新美術館 ピカソ 日之本元極 人形を抱くマヤ

黒川紀章氏設計 国立新美術館

国立新美術館 ピカソ 気功 日之本元極

写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

国立新美術館 ピカソ 気功 日之本元極