芸術と気功


ピカソの絵画よりミノタウロスは、牛頭の神の変身であったことが判りました。その牛頭の神から、「件の神と牛頭の神の関係」について話していただきます。
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農耕民族にとって、牛は大切な農業に欠かせない宝物のような存在でした。それを祀ることは、農耕の発展の象徴として重要でした。わたしは、農業の発展、食物の発展を司って働いていたことからこの名前が付いています。

牛頭神社の私は、今、その働きを開始することを命じられました。
農業が発展させる力を日之本元極に与えます。我々が導き、その通りに、また、あなた方が思うように農業が展開していきます。日之本に大いなる力が渡されたことを知らせておきます。

件の神が、農業の神として殆ど認識されなかった訳について、伝えましょう。件の神は農政の総称だったということです。直接人に関わるのでなく、件の神は、「ぼん」の様なモノです。盆にのったモノを人は大切にします。盆がなければ、まとまりがもてません。盆の上のそれぞれのモノについて、感謝したり収穫を喜ぶけれども、「盆」の存在を喜ぶことはありません。そのために、人々に認識されてこなかったのです。

牛頭の神より日之本に伝えます。
われわれ食物のことを司っている神は大勢います。食物、植物、食べ物など広い範囲で、多くの神々が関わっています。

食物は、多く食べる物だけに、限定しているのではありません。今現在は、食物は、食べれるモノを指していますが、それ以外の広く食べる事が可能なものは、広がっていきます。今まで食べていなかった植物についても食べられるものとして、あなた方の管理下に踏襲されるということです。
すべての植物は、ある程度、人の食物となるような性質を持っています。

(この項では、「食物」「食べ物」「食べる物」「食べられる物」「食べることが可能なもの」等、語句の使い分けに十分注意してお読み下さい)

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(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。会期残りわずかです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/14


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。  ピカソ ミノトール誌第1号表紙

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 ミノタウロス 

芸術と気功

人身牛頭の神として、日本の「牛頭(ごず)大王」、「件(くだん)の神」と、ギリシャ神話に出てくる、そしてピカソの描いた「ミノタウロスの神」の関係についてミノタウロスの神が直接、続けて答えます。

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わたくしミノタウロスは、農業の神です。農業を携えたその象徴は、権力と武力です。
権力は武力であり、そのもっとも勇ましい姿がミノタウロスであり、象徴でした。

それが、変遷して、知力になった「牛頭の神」が、権力の象徴、武力の象徴として敬われていたときに、政策や農政や方途、使途、方法などによって、整理精算してもっと、気高い心で人の道を究めていく営みが始まりました。それが、「件(くだん)の神」です。

ほどいて知に換えていきました、「力」から「知」に換えていくことは、協調することや分担することで、可能になっていきました。バトンタッチではありません。協調と分担によって変遷してきました。

あなた方は、もっと多くの神々と分担し合い、協調し合いながら、
知をこえた「む」の見えない力で、
変遷させていきます。日之本元極の「む」の力は、偉大なる力です。

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(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。会期残りわずかです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
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写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 「女を凌辱するミノタウロス」1933

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芸術と気功

人身牛頭の神として、日本には「牛頭(ごず)大王」と「件(くだん)の神」が言い伝えられてきました。ギリシャ神話に出てくる、そしてピカソの描いた「ミノタウロス」と、これらの神は、何か関係があるのでしょうか?という問いに、「ミノタウロス」の神が、続けて答えています。

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つまりは、時を経て、人は刀、剣のかわりにペンを持ちました。あなた方は、ペンの代わりに「無形の力を持つことを許されました。」あなた方は、この力によって世の中をひっくり返すような重大な働きをすることになります。
我々は、武力でひっくり返して事柄を起こして世の中の流れを変えてきました。人類の歴史上、永きにわたって「武力」が世を変える力でした。その世を変える力が「ペン=知」に変わり、いよいよ、あなた方は、それを引き継いで、「無」の力で換えていくのです。それによって、地上がまっさらになるような出来事が引き起こされてきます。
すべては、あなた方に繋がる道でした。
すべては、あなた方の無形の力でひっくり返るような存在です。「牛頭の神」は、農業に関わる神としてピカソの筆で、象徴として描き表されています。

つまりは、当時、我々の存在は、格式の高い神であったということです。農業の生産に関わる神は、その当時には、もっとも上位にまつられる神の存在でした。我々は、多くの事柄を支配する神でした。我々は、武力をも支配していたということです。

当時の権力の象徴は、 我々の手元にあったのです。そのことをピカソが描いたのです。彼は、我々の意図を衝動という形で描いたのです。
神の象徴をピカソによって、紹介させた。そういう導きを彼に与えたのも我々だったのです。

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(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。会期残りわずかです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
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写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 「ミノタウロス」1933

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芸術と気功


人身牛頭の神として、日本には「牛頭(ごず)大王」と「件(くだん)の神」が言い伝えられています。ギリシャ神話に出てくる、そしてピカソの描いたミノタウロスと、これらの神は、何か関係があるのでしょうか?
注) 「件の神」の「件」という字は、「人」と「牛」が一緒になって作られています。
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この答えを「ミノタウロスの神」が答えます。
「は」医者のいる日之本元極に伝えます。
戦いはすでに、始まっています。私が勇士を持って戦った歴史と勇敢な姿を見せた出来事をものともせず、あなた方が「力」ではなく「知」で戦おうとしていることを私は知っています。「ミノタウロス」と名前を変えて、私は、このピカソの絵の中に存在しているけれども、それは「牛頭の神」の変身した形相です。牛頭の神として、農業に携わるかたわら、男性の象徴としてこの世に捧げまつられて、ピカソの絵の象徴的な存在としてあなた方に語りかけようとここに存在しています。

ピカソは彼として、わたしの存在を感じてよく描いてくれました。わたしは、あなた方に語りかけることに成功しました。何を語りかけたいかというと、それは「牛頭の王」として、神の王として、収穫する事柄を手の内にしている神として、あなたにハッキリとすぐさま届けるモノがあります。

それは「む」の力です。

「む」の力とは、見えない「無」の力です。
長い歴史の中で、繰り返し「武力」を持って戦ってきた、その繰り返しをあなた方がすることになります。あなた方(日之本元極功法の修練者)は、知力を持って戦うことになっています。

##  「は」医者 = 「は」というこの顕界に生きる全ての「意識」を治す医者のこと
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写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 「夜、鳩を抱いた少女に導かれる盲目のミノタウロス」1934

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芸術と気功

ピカソ本人が語るミノタウロスを繰り返し描いた理由です。
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私がミノタウロスを書いた理由
その理由は、二つあります。
一つ目は、その姿が勇壮で猛々しく、獣の形相を示して、われを忘れ、獣と化して要求に応じて動く容姿をしていて、まさしく人の、獣としての気持ちを象徴していると感じましたし、人の中に住むミノタウルスの存在を感じました。
男性の性の象徴として、獣のような荒々しい征服する様な感情を、私はそこに感じ、それを描き、上手く顕し切れたと自負している所です。

もう一つの理由は、そこに、神の宿る霊魂をみていたのです。神の宿る瞬間、それはまさしく性に乗り移ったかのように躍動感のある、その瞬間の形相です。その形相を描きました。神の操る 形相によって、我々の性の衝動がそこに起きている、そういう現状を描き顕したかったのです。

神は、我々を指導的に導きながらも悪さをすることもあります。
衝動的な行動を取らせるときには、神が操っている場合もあることを今の私は知っています。これらの絵画を顕したその時の私は、知っているのではなく、そのことを感性で捉えていました。

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(続く)

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写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 ドラとミノタウロス(コンポジション)1936

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芸術と気功

ピカソは、その長い作品を生み出す人生の中で、繰り返し繰り返し「ミノタウロス」を描いています。

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## 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミノタウロス(ギリシア語: Μῑνώταυρος、ラテン文字表記:Minotauros、英語: Minotaur)は牛頭人身の怪物である。
ギリシア神話においてはクレタ島のミノス王の妻パシパエの子である。ミノス王は、後で返すという約束でポセイドンに願って海から美しい白い雄牛(一説では黄金)を得る。しかし、雄牛の美しさに夢中になった王は、ポセイドンとの約束を違え、白い雄牛を生け贄に捧げず、代わりの雄牛を生け贄として捧げ、白い雄牛を自分の物にしてしまう。これに激怒したポセイドンはミノス王の妻に呪いをかけ、后は白い雄牛に性的な欲望を抱くようになる。名工匠ダイダロスに命じて雌牛の模型を作らせた彼女は、自ら模型の中へと入り雄牛の身近へと訪れた。結果、パシパエはミノタウロスを産むこととなった。
星、雷光を意味するアステリオス(Asterios)と名づけられるが,「ミノス王の牛」を意味するミノタウロスの呼び名のほうが有名。
ミノタウロスは成長するにしたがい乱暴になり、手におえなくなったミノス王はダイダロスに命じて迷宮(ラビュリントス)を建造し、そこに彼を閉じ込めた。ミノス王はミノタウロスの食料としてアテナイから9年毎に7人の少年、7人の少女を送らせることとした。 3度目の生け贄にアテナイの英雄テセウスが混ざり、ラビュリントスに侵入しミノタウロスを倒した。脱出不可能と言われたラビュリントスはミノス王の娘アリアドネからもらった糸玉によって脱出することができた。
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そのことについて、朝日新聞の大西若人氏は、「野生と理性が同居する自身を描いたとも言える牛頭人身のミノタウロスを描いた作品群が登場する。」と述べています。
果たして、そういうことで描いたのか? 
なぜそんなに何枚も何枚も、同じ主題の絵を描き続けたのか、その辺の理由を、次回ピカソ自身に語っていただきましょう。

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。会期残りわずかです。
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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 ミノタウロス 

写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。
「ヴェールをかざす娘に対して、洞窟の前のミノタウロスと死んだ牝馬」1936 

芸術と気功

ピカソが、自ら晩年の絵の描き方について、述べています。
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私にそのものの形状が見えていたわけではありません。 何かしら、そう描かなければいけない衝動に突き動かされて、筆を走らせました。写実的に書くことは、もちろん可能でした。

私は、その被写体を書こうとしたときに「どうしても書きたい」「書かなければいけない」そういう衝動に突き動かされて描きました。それは、そこにある何か、私の中にある何か!でした。その時に、その何かは、私自身も理解していませんでした。しかし、その思いの通りに描くことが一番いいことだと、私は感じていました。

すでに、富もあり、名声もあり、手に入れることが可能なモノは、すでに受け取ることが出来ていました。衝動的に書くことが許された条件が、すでに整っていました。

突き動かされる魂の声、モノの声、物体の声、人物の声に従って、ただ突き動かされるがまま、描いたのです。作品を描くことが私にとって、幸せなことでした。
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(続く)


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「膝を抱えるジャクリーヌ」1954

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 膝を抱えるジャクリーヌ

芸術と気功

ピカソが、自身の色使い、線の描き方についての表現法を語ります。
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また、愛情あふれるモノを書くときには、丸い存在が、エネルギーが調和して愛おしく感じるときには、丸い存在を感じるように顕しました。
尖った、強い、インパクトのある偏った、象徴的なエネルギーは三角に、筋を立てた、見通しが見える、筋の通ったエネルギーの存在するときには、四角に描きました。
曲線は柔らかな未来に通じる螺旋状を感じ、直線は光のような鋭いエネルギーを表したつもりです。

晩年、私が絵の中で象徴的に使用した色彩は、黒と赤と黄色です。
まさしく、日之本元極の「もとつきわみ図」につながる色彩です。
黒は、光と陰。赤と黄色は、エネルギーの調和を示しています。
この三色を使った、代表的な絵を一緒に載せて貰っておきます。
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(続く)


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「接吻」1925

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 接吻

芸術と気功

自身の絵画について、ピカソ談の続きです。
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顕在意識自体は、むしろ萎えていきました。顕在意識は、体力と共に萎えていきましたから、もっと、公平に多くのものをきちんと書きたいという要求を持っていたのです。
しかしながら、私の他の意識たちが、もっと、ほとばしるようなエネルギーに満ちた絵を描きたい。と言い始めたのです。

そのことによって、わたしは、他の意識の情報からエネルギーを与えられて、絵画として成功させました。絵画としては、事物や、事象が元々持つ波動をそのキャンバスに表すそのことに専念しました。

自分に意識がありながら、そこにないような感覚で、私は描き続けました。そこにエネルギーの存在を書いたつもりです。そして、魂の叫びを何気なく表現しました。詳細に写実的に物事を写して書くという絵画では、決してありませんでした。

人々は、私の絵を抽象画だといっています。しかし、厳密に言うならば、それは抽象画ではなく、無形のモノを写し取った、しかも、詳細に写し取ったいや移し取った結果であることを伝えておきます。決して、私の意のままに描いたのではありません。無形のモノを忠実に写し取ったその結果が、受け取る方々にとって抽象画になったのです。
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(続く)


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「人物と横顔」1928

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 人物と横顔

芸術と気功

今回は、ピカソの抽象画について、本人に語っていただきます。
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丸に、四角に、三角に、ペケ。そういう羅列のキャンバスを覚えていますか?
抽象画を私の全てだと思っている人がいます。

私が、抽象画を描いたのは、晩年になります。きめ細やかな写実的な絵をさんざん描いたあげくの抽象画でした。それは、物事のとらえ方が、私の中でどんどん変化していったからです。

物事は、すべて、無形のモノに繋がっていると感じ始めていました。そのものは、形や色合い、存在する光の度合い、だけではなく、無形のエネルギーの波動を持っていると感じたのです。その無形のエネルギーの波動を、私は表現したい、と思い始めたのです。

その表現が、抽象画へと発展しました。
私の絵がまったく無意味で、何を表現しているのか分からない。けれども、私の絵だから、有名になったと言うのが、一般の方々の理解かも知れません。
確かに、晩年の私の絵は、何を表現しているのか分からないでしょう。
その中に、無形のモノを書きたい。ほとばしるエネルギーの波動を表したい。形には見えない何かの物体を表したい。と言う気持ちが私には、ありました。

それは私の意識する顕在意識の叫びというよりは、私の全ての意識からわき出てくる要求でした。
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(続く)


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。「読書する女」1935

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ピカソ 気功 読書する女