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鬼門、そして裏鬼門 3
丑寅の方角を管理しているのは、「艮(うしとら)の金神」と呼ばれる「国常立(くにとこだち)の大神」です。
この神が動き出されました。
「坤(ひつじさる)」には、「豊雲野(とよくもぬ)の大神」が控えておられます。
これらの神は日本国土を守るのがお役目ですから、
それを感知した方々が「きもん」という考えを残してこられたのでしょう。
数千年の永きに渡って、その気の流れを遮っていた東北地方の「気の門」が、先日開放されました。
西から風が吹く準備が整ったのです。
少し長いスパンで見ていて下さい。
東北が変わってくると思われます。
人の流れ、地域の勢い、気候や天候などです。
東北の鬼門の入り口が、とある町に存在しました。
ここに、ひとつの門を開く鍵がありました。
それが開かれましたから東北地方の気の流れが、全く変わってきます。
それによって、気象・気候もかわり、数々の事柄がかわり、東北に気のエネルギーが巡り始めます。
「きもん」とは、気のエネルギーが流れない、ということでした。
東北は「氣」門となり、気のエネルギーが流れにくいところでした。
しかし、東北に気のエネルギーが満ちるように変わってきます。
門が開いて、西から風が吹き、東北に気のエネルギーが流れるようになってきます。
そして、西からの風が吹き終われば、裏氣門が開きます。
鬼門、そして裏鬼門 2
北に向かって右回りに十二支を当て、子、丑、寅、・・・と一周する。
東北に当たる角度は、丑と寅の間となるから、鬼門の東北は、丑寅(うしとら)の方向となります。
同様に、裏鬼門の南西は、未申(ひつじさる)となるのです。
風水的には、艮(ゴン) 東北 坤(コン) 南西 となります。
それでは、この「きもん」が、中国ではあまり問題にされず、
何故日本のみで未だに残っているのか?
それは、日本の「きもん」は、鬼門でないからです。
「氣門」なのです。
数千年前から、日本の国土で言う東北の入り口に「氣」の門があり、
元気が充分に流れないようになっていました。
つまり、門が閉じられていたのです。
ですから、東北は気候に恵まれず、その他の地方に比べて大いに栄えると云うことがなかったのです。
気が充分に流れることがないところは栄えることはないのです。
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鬼門、そして裏鬼門 1
昔から東北の方角を鬼門といいます。
そして、その逆、南西を裏鬼門と言ってきました。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことである。陰陽道では、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としている。他の方位神とは異なり、鬼門は常に艮の方角にある。
鬼門とは反対の、南西(坤、ひつじさる)の方角を裏鬼門(うらきもん)と言い、この方角も忌み嫌われる。
鬼門は、古代中国の書物『山海経』にある物語が元となっており、北西(乾)を「天門」、南西(坤)を「人門」、南東(巽)を「風門」、北東(艮)を「鬼門」としたことによる。
鬼門は中国から伝来した考え方であると思われているが、現在では、日本(沖縄を除く)のみで忌み嫌われている方位観であり、中国風水では土地や住宅の北東方位を恐れてはいない。
江戸時代には、鬼門の方向への造作・移徙(わたまし:貴人の引越)は忌むべきとされた。また、人々は家の鬼門の方角に桃の木を植えたり、鬼門とは反対の方角が申であることから、猿の像を鬼門避けとして祀ったりした。京都御所の北東角には屋根裏に木彫りの猿が鎮座し、鬼門を封じている(猿ヶ辻)。現在でも、家の中央から見て鬼門にあたる方角には、門や蔵、および水屋・便所・風呂などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が強く残っている。
また、都市計画においては、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺が、裏鬼門の方向に石清水八幡宮が置かれ、江戸では江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺が、裏鬼門の方向に三縁山広度院増上寺が置かれた。
- 陰陽道においては、北と西は陰、東と南は陽とされ、北東と南西は陰陽の境になるので、不安定になると説明される。
- 鬼門は忌み嫌われるという云れの他に、逆に神々が通り抜ける方角、あるいは太陽が生まれる方位(生門)であるために清浄の気を保たねばならぬという考えもある。
- 中国では、北東の方向から季節風が吹くため、家の中心から見てこの方角に水回りのものを置くと、家の中が不衛生になるので置かないようにしたというのが、鬼門の由来であるというさまざまな説がある。
- 『山海経』(中国の俗書)にはまた、「東海の中に度朔山がある。頂に大きな桃の木があって、3000里にも渡って蟠屈しており(渦を巻くように曲がりくねっており)、その枝の間の東北を鬼門といい、多くの鬼が出入り口となっている。頂には2人の神が居て、ひとりを神茶、ひとりを鬱壘といい、悪鬼を調べ取り締まる役目を負っている。害をもたらす鬼を葦の縄で捕らえて虎に食わせる。このことをもとにして黄帝は礼の決まりを作り時々これを払い、桃の木で作った大きな人形を門戸に立て、門に神茶と鬱壘そして虎を描いて葦の縄をかけ、凶悪な物の精鬼を防いだ」と書かれている。この話が日本に伝わり、家相でいう「鬼門」方位 となったという説がある。
- 紀元前2世紀頃に中国で書かれた『神異経』(中国の俗書)に、「東北に鬼星の石室が300戸あったが、門は共有して一つだった。これを鬼門という。」とあり、このため、北東を鬼門と呼ぶようになったという説がある。
ここでも述べられているように、現在この方角を忌み嫌っているのは日本だけのようで、風水などでも特別にこの方角をどうこうと言うことはないようです。
それでは何故日本だけでこの方角を特別視するのか、それはまた明日のお楽しみ。
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ひふみ神示
もうすでにご存じの方も多かろうと思われますが、表題の文書について書いてみます。
この書は、昭和19年から36年の長きにわたって岡本天明さんに神からおろされたものとされています。
岡本さんが、最初成田の天のひつく神社(麻賀田神社内)に行かれた時に、右手に自発動が起き、自動書記(勝手に手が動いて書いた)で、ほぼ漢数字と記号だけで下ろされたものです。
本人にも全く意味がわからず、その後40数人の翻訳者が現れ、意味の解明がされていったそうです。
元々は、文字とは数字しかなく一文字に無限の意味を持ち合わせ通じ合っていたものが、細分化されてひらがなやカタカナが生まれ、さらにそれらが組み合わされて言葉が生じたのでしょう。
言葉が増えて細分化されればされるほど、その意味は単一化されて力を失っていきます。
言の葉の元は、「あ、い、う、・・・」などの一文字一文字の言霊で、その大本は
「ひ、ふ、み、・・・」などの数霊(かずたま)であったのです。
温泉の効能について―6
では、この今回の温泉場への神々のプレゼント というのは、どのように身体に作用するのでしょうか?
温泉独自の効能が無視される程、効果的なこの措置が、物質的でないことは容易に予想出来ることであり、また明らかなことです。
湯に入ることで、勿論エネルギーが作用するのではありますが、それにより病気を持っている方々のようにエネルギー不足の方々には補われ、滞ったり通いにくくなった経絡(気の通る路)を通します。
更に、元極功法を学んだ者には、その功法のみに与えられている力=毛孔竅穴を開き、全身体表から邪気・濁気・末性(身体の中の悪い物)を排泄し、良いエネルギーを取り入れることが出来ます。
高山に来て、日之本元極の講座を受け効能を上げた後に、これら温泉に入って、邪気を排泄し、経絡を通し、更に地のエネルギーを充填してお帰りになって下さい。
温泉の効能について― 5
濁河(にごりご)温泉や、高山中心部のみでなく、神々は偉大なる湯治場を広く造って下さいました。
それも「日之本元極」に近いようにと、場所を選んでくれたのです。
高山周辺には、温泉街が数多く存在します。
高山に講座受講や、特別講座にお見えになる修練者のためにと、周辺でも秀逸な温泉場が選ばれました。
高山市丹生川町旗鉾の乗鞍神社辺りから、新穂高ロープウェイ近辺までにある温泉街がそれにあたります。
飛騨丹生川温泉、平湯温泉、福地温泉、新平湯温泉、栃尾温泉、
新穂高温泉、深山温泉、槍見温泉、カルカヤ温泉、中尾温泉などがその域内にあります。
高山に、お出でのさいは、お泊まりになるのも一興です。
温泉の効能について―4
濁河(にごりご)温泉のみでなく、神々は偉大なる湯治場を広く造って下さいました。
それも「日之本元極」に近いようにと、場所を選ばれました。
その一つが高山市中心部、上三之町(神さんの町)を中心とする
半径2.5キロメートルの範囲内にある旅館、ホテル。
私の要望も聞いて下さいました。
「客に対して本当に持てなしの心を持っている所」
狭い範囲ですから、探してみて下さい。凄い温泉に、いくつも行き当たりますよ。
特別講座にいらっしゃる修練者には、こっそり良い所をお教えします。
身体によい温泉宿の紹介は、更に次回へと続きます。