科学で解明できないこと


4月に立て続け、大変なことが降ろされました。

「また、大袈裟に!?」

と、のんびり構えていたら、

まんざらそうでもなさそうです。

ちょっと、今までとは違うぞという様な感じです。

「はな」が無くなりましたから、

今後生まれてくる者は極端に少なくなります。
生まれてきても、正しい意識を持たぬ者たちが多くなります。
「はな」が、無くなりました。

科学で解明できないこと

今からちょうど五年前、まだLED電球が普及せず、価格も高い時に、

蛍光灯、LED、白熱電球を比較してブログに書いたことがあります。

2009/11/17    <―― クリック

2009/11/18
    <―― クリック

世間では、経済効果だけの比較で、

ひたすらLEDへの交換を推奨し現在に到った訳ですが、

この時、私の体感で、警鐘を鳴らしたことが、科学的にも実証されてきました。

以下、岐阜薬科大学の研究結果ですが、転載します。

なぜLEDによるブルーライトが目に悪いのか? – 岐阜薬科大が仕組みを解明

2014/07/23~2014/07/29

岐阜薬科大学は、青色発光ダイオード(LED)から発せられる青い光(ブルーライト)が、目にダメージを与えるメカニズムを解明したと発表した。

同成果は、同大薬効解析研究室の原英彰 教授らによるもの。詳細は英国学術誌「Scientific Reports」に掲載された。

青色の光は波長が短く、目の角膜や水晶体で吸収されないため網膜に達しやすく、視細胞に障害を与えることが知られており、近年では、眼精疲労や急性網膜障害、加齢黄斑変性症などの原因になるとされているが、LEDのブルーライトが、視機能にどのように影響を及ぼすのか、といったことについてはよくわかっていなかった。

そこで研究グループは今回、波長の異なる緑、白、青の3色のLEDを用いて、マウスに照射し、細胞の状況を調べることで、その謎の解明に挑んだという。

その結果、波長の長い緑色の光では細胞障害は惹起されなかったが、白色および青色の光では、視細胞での細胞障害が惹起されることが確認されたという。

また、細胞障害の原因となる活性酸素の量は、青色、白色の順に多く、緑色のLEDでは増加がみられなかったという。

これらの結果から、研究グループでは、細胞のエネルギー産生の場であるミトコンドリアが障害を受けるほか、タンパク質合成の場である小胞体に障害が起きることで、細胞障害が惹起されたと考えられると説明しており、ブルーライトから目を守ることや、細胞障害の原因となる活性酸素を抑えることなどが、視機能障害に対する対策の一助となる可能性が示されたとしている。

ブルーライトが目に障害を与える仕組み

青色、白色、緑色LEDを照射したマウスと対照群との細胞活性の割合比較

科学で解明できないこと


対策も判ったと先に述べました。

神様からのお話をヒントに考え、またお聞きして裏付けを取りました。

「うすいまさと」さん(前出)のお子さん達のように、

現に発達障害を持った子供にどう対処したらよいのでしょうか?

うすいさんは、未成熟な現代医学(出来ない事、解らない事の方が多い)の

「発達障害は治らない。周りが上手く付き合って上げるようにする。」

という回答を鵜呑みにして、「みんな違ってそれで良い」と、

子供の改善を諦めてしまっています。

問題を抱えていて、「みんな違ってそれで良い」のではなく、

健常な日常生活を送る事が出来る上に、それぞれ得意な所を発揮して

「みんな違っている」ようになりたいものです。

そして、それは実現するのです。

日之本元極も、今まで下記 1.の環境の汚染のみを発達障害の原因と思い、

その汚染物質の体内からの排除と、その後の脳の正常な気の流れと意識の調和に力を注いできました。

それはそれで大きな効果があったのですが、

放射能の影響による細胞の劣化の遺伝には思いが及びませんでした。

2.に対しては、既に「人格統合調和法」を一部の方に施術して、

改善を図っています。

発達障害が持つ原因

1.悪化要因=環境の汚染

2.症状による他の問題の誘発=症状によって周囲からの反応によるストレスで、

意識の調和の失調

3.根本の原因=細胞の劣化遺伝

上記1.に対しては、「心身共鳴神法」の施術後、定期的な貫頂と毎日の修練など

2.に対して、「人格統合調和法」

3.には、「戻戻止痛」の受講と、念訣の持続が必要になります。

心身共鳴神法や、修練で「1.」による頭内の汚染物質を排出して、

気の流れを良くするだけでなく、

「2.」に対して精神活動の調和による「てんぱる」、「切れる」事を無くし、

「3.」に対して、戻戻止痛も有効ではないかと考えたわけです。

「戻戻止痛」を施して、放射能によって劣化した染色体、

細胞を正常なものに戻していく作業をするわけです。

放射能は、医学的に安全と言われる強度でも、細胞にはダメージがあるようです。

安全と言っているのは、「直ぐには見た目安全」という事だけで、

見えない部分や長い時間スパンの中では、誰も確約出来るものではありません。

しかし、これらの施術を施しても良い結果を得るのは、容易な事ではありません。

生まれ変わる細胞の遺伝子が全て変化するためには、継続が必要です。

本人と、ご家族の長い地道な努力が不可欠なのです。

長い努力は必要ですが、確実に少しずつ子供達は変わってきます。

諦めて何もしないのではなく、可愛い子供達のためにご家族全員で努力すべきです。

病気の改善だけではなく、毎日の修練がご家族の一体感を強めます。

シグマDP2Merrill(メリル)

科学で解明できないこと


化学物質や化石燃料による大気汚染も症状を加速させましたが、

放射能の汚染は人々の 根本的な遺伝子の変異をもたらしてきたのです。

100倍以上という数字は、驚異的な数字ですが、数字で表すのではなく、

「圧倒的な」という表現を使ってくださるとよいでしょう。

しかしながら、100倍以上という数字は間違っていません。

遺伝子の劣化がなければ、かけ算は成立しません。

悪化の要因があっても かけ算の原因が存在しなければ、大きな差は無いのです。


それでは、福島の事故後の子供達には、発達障害が起こってくるのでしょうか?

もちろんそうです。

現在の子供達にも影響がありますが、寧ろ大きな影響は次世代です。

そして福島のみ為らず、その影響は東北、関東、中部・・・・と、

広く広く日本全体、アジアにへと拡散していって居ます。

それらは残念なことに、頭の異常だけではなく全身の問題となっていきます。

癌の発生が、圧倒的に増えてくるのです。


被爆によって、癌の発生率が上がる事は医学的にも言われている事ですが、

身近なところで私も知っています。

私の義理の伯父の妹が、広島に原爆が落ちた時に、そこに住んでいて、

安否不明になったのだそうです。

そこで、伯父と弟が、原爆投下後一週間後に広島に行き、探し回ったのです。

当時、新型の強力な爆弾という事は聞いていたのでしょうが、

放射能の事など微塵も頭にない頃です。

妹は、その時、見つからなかったようですが、後日所在が判り、

良かったという事で月日が流れていきました。

何十年か後、妹は癌で亡くなり、伯父も全身あちらこちら、4回もの癌の大手術を受けました。

結局、全身骨にまで転移して亡くなりました。

そうして弟も、まだ存命ではありますが、既に何回かの癌手術を受けています。

終末の時を迎え、今後の子供達は、幸か不幸か、発達障害を問題にすることなく、

そして多くは癌を発症するまでの時間を与えられることなく、

消滅していくことになるでしょう。

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科学で解明できないこと

神からのお話は続きます。

20から100倍の発症率。
そして、ほぼ100㌫に近い子が潜在的にその要因を持っている。
この数字の恐ろしさを 我々は警告しておきます。

高度経済成長が起こってきた戦後、昭和45年のその頃と現在を比べてみても、発症率は、20倍から100倍以上ということです。
つまり、その頃を境にして、顕著で急速な子供達の遺伝子の劣化が、始まっていると考えてください。
それまでの汚染は空気が汚れる程度の汚染でした。

空気や土壌汚染が一段と加速した時代です。その当時と江戸時代を比較してみても、結果はあまり違いないのです。

多少は増えては居ますが、100倍などという事はありません。

問題は、環境汚染も有りはしますが、その頃を境として、放射能が世界中で広く使われ始めた事にあります。

それが、もっとも大きな遺伝子の劣化をもたらしているのです。
広島、長崎の悲劇は、子々孫々に及んでいます。
遺伝子の劣化の結果は、次の世代から如実に現れてきました。

放射能によって、劣化した遺伝子が、次々に遺伝していくのです。

その原理は、高齢出産において、染色体が老化したり劣化して、

出生児の異常出現率が高くなるのと同じです。

同じ事が、放射能によって世代間でも引き継がれるようになるのです。

追い打ちをかけるように、世界中で核実験も含めて、原子力発電など核が使われ始めました。
全世界で、そのことが加速度的に拡がったのです。

「黒い雨」

一時、しきりに騒がれた言葉です。
遺伝子劣化をさせる問題物質は、その黒い雨を遙かにしのぐ広範囲で広がっていました。


##参考
  黒い雨(ウィキペディア)

この項目では、放射性物質について記述しています。小説については「黒い雨 (小説)」を、映画作品については「黒い雨 (映画)」をご覧ください。
黒い雨(くろいあめ)とは、原子爆弾投下後に降る、原子爆弾炸裂時の泥やほこり、すすなどを含んだ重油のような粘り気のある大粒の雨で、放射性降下物(フォールアウト)の一種である。
目次 [非表示]
1 概要
2 主成分
3 広島における降雨地域
4 関連作品
5 関連項目
6 脚注
概要 [編集]

原子爆弾が投下された広島市で、黒い雨の記録が残っている。また、フランスの核実験場であったムルロア環礁や[1]、ソ連の核実験場であったセミパラチンスク周辺でも[2]、原子爆弾投下後の降雨の記録が残っている。
広島市では、主に北西部(下記参照)を中心に大雨となって激しく降り注いだ。この黒い雨は強い放射能を帯びているため、この雨に直接打たれた者は、二次的な被爆(被曝)が原因で、頭髪の脱毛や、歯ぐきからの大量の出血、血便、急性白血病による大量の吐血などの急性放射線障害をきたした。大火傷・大怪我をおった被爆者達はこの雨が有害なものと知らず、喉の渇きから口にするものも多かったという。原爆被災後、他の地域から救護・救援に駆けつけた者も含め、今まで何の異常もなく元気であったにもかかわらず、突然死亡する者が多かった。水は汚染され、川の魚はことごとく死んで浮き上がり、この地域の井戸水を飲用した者の中では、下痢をする事が非常に多かったという。
長崎でも、黒い雨の降雨記録が残っている。黒い雨は爆風や熱線の被害を受けなかった地域にも降り注ぎ、広範囲に深刻な放射能汚染をもたらした。
主成分 [編集]

広島県高須地区にある民家の応接間の壁裏に残っていた黒い雨の跡(白壁に上から墨滴を流したような黒い線)を分析した結果、炭素・珪素・鉄、そして原爆由来のウランが主な成分として検出されたことが、1986年1月17日に日本放送協会(NHK)が放映(製作:NHK長崎放送局)した番組[3]の中で報告された。番組内では特に鉄分について、爆発時の熱によって蒸発した広島市内の鉄構造物によるものだけではなく、爆弾そのものの鉄分である可能性についても言及している。なお、この雨の跡からは、セシウム137(半減期30年)が微量検出されており、富士フイルム製の高感度フィルムにより微弱ながら放射線も確認できた(その他の現存する黒い雨の跡では世界各地の核実験で放出された放射性降下物に汚染されたことにより黒い雨だという確証が得られなかったが、上記の雨の跡は増築された壁に守られていた)。
放射線の作用として水が黒くなる訳ではないため、原子爆弾が投下された地域の建造物にアスファルトやコンクリートが多用されていた場合、それらの粉塵によって雨が白く見える可能性もある。
広島における降雨地域 [編集]

従来、広島において黒い雨の降った範囲は、当時の気象技師の調査などに基づき、爆心地の北西部に1時間以上降った「大雨地域」(南北19km、東西11km)と1時間未満の「小雨地域」(南北29km、東西15km)だとされ、国はそれに基づき「大雨地域」在住の被爆者にのみ健康診断やがんなどの特定疾患発病時の被爆者健康手帳の交付を行ってきた。だが、実際にはその地域よりはるかに遠い地域でも降雨が報告されており、この基準に対する批判が多かった。
近年になって降雨範囲が従来よりはるかに広いことが広島市による被爆者の聞き取り調査により判明した[4]。さらに、広島大学原爆放射線医科学研究所の星正治教授らが2008年から2009年にかけて行った調査により、爆心地から8km離れた「小雨地域」の土よりセシウム137を検出した[5][6]。
これらの事実を受け、広島市では2010年度から2年かけて改めて原爆投下当日の気象状況を元に黒い雨の降雨範囲のシミュレーションを行うことを発表した[7]。広島市は降雨域の拡大を厚生労働省に求め、これによって、被爆者の援護対象の拡大などが期待されたが、厚生労働省の有識者検討会は2012年1月20日に、「降雨域を確定するのは困難」との結論を出した[8]。
関連作品 [編集]

「黒い雨 (小説)」および「黒い雨 (映画)」も参照
広島での被爆をテーマにした井伏鱒二の『黒い雨』という小説が知られる。1965年『新潮』で連載された。当初は『姪の結婚』という題であったが、連載途中で『黒い雨』に変わった。この作品は重松静馬著『重松日記』を原資料とし創作を加えたもので、今村昌平監督のもと1989年に同名の『黒い雨』として映画化された。
福島第一原子力発電所事故に絡んで日本のシンガーソングライターの斉藤和義が原発批判ソング「ずっとウソだった」をYouTubeで公開し、この歌詞の中で原発事故でも黒い雨が降ったと主張している。

http://www.youtube.com/watch?v=g2ctIBq0uX8&feature=player_detailpage#t=16s


ずっとウソだった♫ 斉藤和義 その思い

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説明は続きます。

複合して起きた原因が、母親の汚染で加速されることが現在ではあります。

母親の母胎が汚れていることは、原因を加速して悪化させる重要な要因です。

母親が子供を成長させる母胎の環境が汚れている

(胎児の環境である母胎も汚れているし、その母胎の環境も汚れている。更に出生後の環境も汚れているのです。)

のですから、悪化は加速的に起こります。

ここで、質問してみました。

環境が汚れていない時代、

つまり母胎も、成長する環境も汚れていない時に育った子供達の発症率と、

現在の子供達の発症率とは、どれくらいの差が、違いがありますか??

明らかに違っていることを、あなたは確認したいのでしょう。

江戸時代の後期と比較すると、どうでしょうか??

遺伝子の劣化が認められます。

母胎の環境だけが問題なのではありません。

遺伝子が劣化して、傷つきやすい遺伝子が優性的に遺伝していくという事態が起きていますので、

それらを含めて考えることです。

つまり、遺伝子の状態が「発達障害」を生み出しやすい状態であるということが、

大きな問題なのです。

そして、江戸時代後期、明治維新頃と比較して比べてみると、

発症率は、20から100倍以上になります。

この幅の広さは何だと、お叱りを受けるかも知れませんが、

あなたがたが、これらの問題を抱えている子であると認識していない子供達も大勢います。

世の中に判っていない子供の発達障害は、もう100パーセントに近く及んでいます。


確かに、我々が子供の頃には、50人のクラスにそんな症状の子供は一人いるか居ないかだったと思いますが、

現在では、現場の教師達にお聞きしても40人弱のクラスに5人や6人は必ず存在するということです。

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発達障害の子供達の発生は兄弟で発生することが多いが、

これは 何が主な原因なのか?

ずっと考えてきました。

母親の母体の汚染が原因でしょうか?

それとも 父親が原因でしょうか?

漸く担当する神に繋がる事が出来、お教えいただきました。

これは 遺伝です。

しかし、あなた方が今までその原因だと思ってきた「環境汚染」も大いに関係はあります。

母体が環境汚染で汚れているということは、その遺伝による問題を加速させることが起きます。

母体の汚れだけが、その原因ではありません。

その証拠に、子供の脳内の汚染物質を取り除いても、

あなた方が目論んでいたほどの改善が得られなかったではありませんか。

確かに汚染物質を取り除き、調和をはかっていけば、

現代医学で為し得なかったような改善はしていきます。

しかし、根本原因を取り除く所までは行かないのです。

環境汚染は遺伝を加速させる悪化要因です。

母体の汚れは、大変重要なことです。

悪化を加速させる要因ですが、その根本原因は遺伝なのです。

つまりは、遺伝的な気の流れを乱す原因が根本にあるのです。

その無形の気の乱れを作る遺伝子が、複合している場合もありますし、

単独で起きている場合もあります。

母親、父親、どちらの遺伝を受けるか、これはわかりません。

いろんな遺伝のタイプがあります。

もし、それが父親のものだとすると、男の子に現れやすく、

母親のものだとすると、女の子に現れやすい場合もありますし、

母親が要因としても、全く逆に男の子だけに現れることもあります。

それは色盲と同じように、女性だけがが運ぶこともあります。

これらは、一つや二つだけの問題ではありません。

多くのケースは、複数以上の原因が重複しています。

重なって起きることです。

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一昨日(2012.11.13)の中日新聞に、下のような記事がありました。

今まで多くの発達障害の方々から、ご相談を受けてきましたが、

確かにこの記事にあるように、兄弟とも発達障害である確率は高く、

その原因は同じ環境下にある(母体も含めて)ので、当然だと思っていました。

うすいまさとさんのHP

今まで私は、環境汚染物質が脳内の気の流れを阻害して起こると思っていて、

その物質を無形の形で体外に出し、気の流れを回復した後、

脳のバランス調整を時間をかけて順にやれば、良くなっていくと実行してきました。


ところが、同じ環境下で育っている兄弟といえど、殆どの場合は、

現れる症状がこの記事のご兄弟のように、まったく違うのです。

でもそれは、汚染物質が入る場所により症状が変わるのだと解釈してきました。

それらの解釈は、間違っては居ませんし、その処方によって、

確かに良くはなっていきますが、私の想定よりずっと改善スピードが遅いのです。

何故だろう?

永い試行錯誤の末、漸くその原因と対策が分かってきたのです。

原因はもっと深い所に潜んでいたのです。

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「あおいとり」さんのブログに、「金木犀」の事が書かれています。
クリック
私は今から18年ほど前に、その金木犀ではなく、銀木犀に深い思い出があります。

早朝の静けさは、突然の喧噪によってかき消された。

「どん、どん、ど~ん。」

「増田先生、増田先生、おはよう御座います。起きて下さ~い。」

何事かと思うドアのけたたましい音と、呼び声。

目を擦りながら、開けたドアの外に立っていた弟子の一人が

「先生の香りの元が判りました。直ぐ来て下さい。」

と、急(せ)かす。

急いで着替え、弟子の後に続いて行く。

ホテルのロビーを抜け、外に出る。

そこから下る階段の右横に、人の二倍位の高さがあろうと思われる木が、

白い小さな花をこぼれんばかりに咲かせて居るではないか。

昨夜は遅くて、暗いその階段を気にすることなく通り過ぎてしまったが、

朝になってみるその美しさは、見とれんばかりだった。

その木に近づいてみると、ほのかに優しい香りが漂っている。

正に、東京で二週間ほどの間、私から出ていた香りに違いない。

金木犀の「ここで私が咲いているわよ。」といった強烈な自己主張のある香りではなく、

近づいてくれる人だけを密かに楽しませるような、奥ゆかしい香りだ。

それが故、昨夜ここを通ったにも関わらず、誰も気がつかなかったのかもしれない。

「何故、この蓮花山のこの花の香りが、私から出ていたのだろうか?」

直線距離でも 2500Km程も離れている東京と鄂州(がくしゅう)市蓮花山。

その距離を超越して、どうして香りが届いていたのか?

それから随分後になって、その理由が判ってきました。

九月の下旬になって、蓮花山行きを決めていた私が、いよいよもうすぐと期待が高まり、

無意識下で、無形の世界で蓮花山と自分を連結していたのです。

こうした修練の世界を深く体験したことのない人々には、想いもよらないことでしょう。

その銀木犀のあったホテル九州楼は、2001年頃閉鎖され、

今では近づくことさえ出来ない状態になってしまいました。

その後、その銀木犀の香りは、私から一切出ることはなくなりました。

しかし、今でもその銀木犀は、毎年今頃、

私の心の中で満開の花を咲かせ、芳(かぐわ)しい香りを漂わせてくれています。 

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「あおいとり」さんのブログに、「金木犀」
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私は今から18年ほど前に、その金木犀ではなく、銀木犀に深い思い出があります。

その頃、中国蓮花山では、年に四回、大きな講座が開かれていました。

正月、旧正月、旧5/5の端午(たんご)の節句、旧9/9の重陽(ちょうよう)の節句です。

重陽(ちょうよう)の節句について、ウィキペディアでは、次のように説明しています。

重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、9月9日のこと。

旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。

陰陽思想では奇数は陽の数であり、

陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。

奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、

れを払う行事として節句が行なわれていたが、

九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。

後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。

邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、

菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。

また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。

現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。

その年、私はその重陽の節句の講座を受講することにしていて、

先ほどの疑問は棚上げにしたまま、20名ほどの修練者を連れて中国に渡りました。

当時、中国行きの便はそれほどなく、

成田から上海へ渡り、国内便で武漢まで移動していました。

そして蓮花山への到着時間は、決まって深夜。

その時も、夜中の1時過ぎに蓮花山内の外国人向けホテル

「九州楼(きゅうしゅうろう)」に着いて、直ぐ休んだのでした。

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