この9月にポーランド、チェコに行ったことは既にこのブログで書きました。
神に呼ばれて行った所用を終えた後、回ったところがいくつかあります。
今からご紹介するキュリー夫人博物館も、そのひとつです。
ワルシャワ中央駅から、クラクフ郊外通りを抜け、旧市街からバルバカン(赤煉瓦で作られた円形の砦)をくぐって進むと、
小路の右側にある小さな建物に、金属製のプレートが目印なだけの簡素な博物館です。
実際その前を何度か往復して探しても判らなかったほどです。
A5の大きさの一枚ペラの紙切れだけでキュリー夫人を紹介した、そこで戴いた文を以下に転載します。
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マリヤ・スクオドフスカ・キュリー(1867-1934)は、1967年11月7日にポーランドのワルシャワに生まれた。
彼女ははじめ寄宿制の女子私塾で教育を受け、後にワルシャワの官立女学校を金メダルにて1883年に卒業した。
1884年から1891年まで、彼女は家庭教師として働きながら、大学入学資格試験の勉強を続けた。その頃彼女は、ワルシャワの農工業博物館の研究室にて化学分析の訓練をし、研究作業に習熟するようになった。
1891年、彼女は理科大学(ソルボンヌ)で学ぶためにパリにやって来た。
彼女は1893年に物理学の学資試験に合格し、翌年には数学の学資試験にも合格した。
1895年、彼女は科学に対する興味と愛を共有したピエール・キュリー(1859-1906)と結婚した。
打つの疲れたから、つづきは又明日・・・・・