「青い鳥」のブログに、辺見庸氏のことが書かれている。
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彼は石巻出身で、三年前からの震災報道や対応について、
聞き心地の良い言葉だけでの報道に違和感を覚え、
「悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。
悲劇の本質にみあう、深みを持つ言葉だけだ。
それを今も探している」
と言っている。
探さないよりは、探した方が良いけれども、めくらの手探りのようなものだよなあ。
(「めくら」と書くと、「めくじら」たてる人が居ると思いますが、差別している訳ではありません。
伝統的な語彙を使っているだけです。
「めくら」や「つんぼ」の言い換えも、耳障りだと思い込んで、その結果の言葉の排斥によって、
薄っぺらい、うわべの優しさで誤魔化しているに過ぎません。)
僕は、
「悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。
悲劇の本質に通ずる行動は、精妙な響きを持つ言霊だけから起こることが判っている。
その言霊は、修練の蓄積と養徳から生まれる。」
のように書き換えて頂くよう、要望したい。
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