生き方

個の存在、個の評価に関わっては、時間という一つの空間を越えて考えなければいけません。
その存在そのものが、どれだけ多くの者の幸せを求めて活動できたか?
に関わってきます。

人と人との関わり、自然と自然との関わりの中でどんな生き方が出来たかということです。
そのことと同じように、時間も過去から未来に、未来から過去に同時に流れているのです。

 個は全体の中の一つであり、全体は、この中に包括するものになります。
個は個として全体の一部であり、全体は、個を包み込む存在であるということです。
個の存在というのは、非常に小さな全体の一部分ですが、同時に全体であるのです。

 宇宙の構成物は、皆宇宙と同じ構造に創られています。
人の細胞一つ一つにも意識があり、その意思疎通のために、サイトカインやホルモンを分泌して、情報のやりとりをしています。
細胞は個であり、人一人が全体であり、集合であるといえます。
細胞は全体である肉体を生かすための一つの単位であり、人一人の肉体というのは、細胞を包み込み活かすための全体としての存在です。

 この宇宙、三千世界の大きな法則のひとつには
「個の存在の価値と評価は、個がどれだけ全体に与える影響が大きいかによる」
というものがあるのです。

 その影響が、その事象単体で良い、悪いという事でなく、連続としての変化の中で全体に与える結果の大きさを評価される訳です。
 個が個人として、どう生きたかは大切ではありますが、良い生き方をしたというだけでは、評価されません。

どれほど多くの者達に影響を与えたかということが評価されます。
 この宇宙の意識達は、「個であり、集合であり、全体であること」の練習をずっとしています。

我々3次元のモノ(動物、植物、鉱物など)は4つ乃至(ないし)5つの意識の統合体で構成されていますが、4次元からは1つの意識で1人立ちします。
ところが、それまでと同じように与えられた仕事、座(役割、職責、位というような意味)ごとに組織として動くことになります。

また4-6次元では陰陽別個の存在としてペアを組んでいますが、7次元以上は陰陽一体の存在となって、一つの存在が一つであり、二つでもある存在となる様です。
 生まれた瞬間から死ぬことは決まっています。ただ生き方により、その時は変化します。

死んだらどうなるかではなく、生きているときから死ぬことは決まっているのです。
ずっと上昇し続けられるか、途中で淘汰されるかのどちらかということです。



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生き方

かと言って手段を選ばずに、何をしても許される訳ではありません。
その時、その時代の歴史の背景があります。
武蔵が生きた時代には、平和的な手段では、何事も達成できなかった訳です。
そういう手段しか選ぶことが出来なかった結果なのです。

 今後、人の命を奪うことについては、もっと慎重に考えられるべきですが、全てを今の尺度で、過去の出来事を計ることは出来ないわけです。
我々の尺度もまさにそうであるし、武蔵が生きてきた尺度も今では考えられないほどの「命」の尺度の問題があります。
そのことは、しっかり鑑みて考慮されなければならないことです。 

また、悪事について一言、言及するならば、「目立ちたい」「注目を浴びたい」がために、わざと悪事を働く者がいます。
「世間の注目を浴びて、話題に上りたかった。」といって悪事を働く者が少なからずいます。

その者たちは、厳に謹んで処分されるべき(人が人を処分することを言っている訳ではない)です。 
後世に影響を与える事柄というのは、後世に希望を与えるような影響を残せるかどうか?
というところが重要な問題です。

そうではなく、ただただ目立つために奇異を衒(てら)って、独自の議論を拡げるために、自分の欲のために、世間に影響を与えようとする者がいてはならないのです。

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生き方

その武蔵が死の病床においてまとめた「独行道」二十一箇条は、晩年武蔵の思いの凝縮とも言えるでしょう。

 「独行道」
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯(えこ)の心なし
一、身をあさく思い、世をふかく思ふ
一、一生の間、欲心思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、恋慕の道思いよる心なし
一、物ごとにすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別 よの道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨て名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
        
  保弐年五月十二日 新免武蔵 玄信 

かと言って手段を選ばずに、何をしても許される訳ではありません。
その時、その時代の歴史の背景があります。
武蔵が生きた時代には、平和的な手段では、何事も達成できなかった訳です。
そういう手段しか選ぶことが出来なかった結果なのです。

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生き方

個の存在が、どれほど有意義に生きることが出来たのか?
という評価は、生き方そのものではなく、
個の存在が、過去、現在、未来を通じて、どう生きたか?
ということが重要になってきます。

すべては、時の流れの中で、個の存在が決定されます。
生き方そのものの、その時の善し悪しではなく過去から未来にかけて、その者が生きた結果が、歴史の中でどう影響を与えたか?
どれほど多くの者たちに、そして歴史に影響を及ぼしたか?
ということが大切な評価の基準なのです。

困ったことに、目の前の事柄に執着して、物事を早急に解決することばかりに、誰もが心を奪われます。
それは、その事柄を「その時」に正確に判断することが出来ないからです。
しかし、目の前の事象にとらわれてはいけません。 

その者が置かれている状況がどうであれ、充実した生き方が出来たならば、それはそれで満足できるでしょう。
しかし、その満足というのは、過去、現在、未来を通じて充足感が得られるかというとそうでないことも多いわけです。

究極の例をひとつ挙げましょう。宮本武蔵は、13歳で初めて試合を勝利して以来、29歳で巌流佐々木小次郎を破るまで60余回の決闘をして人を殺しています。
その後も大阪夏の陣、冬の陣を始め、島原の乱、等にも出陣しています。

人を殺すという一点で見れば、最悪のことをしている訳ですが、その後彼は自らの足跡について、悩み迷って人生を送っています。
座禅すること、書画に没頭すること、「五輪書」や「兵法三十五箇条」等の兵法をまとめることが、それを現しています。
そしてその後、世に残したものや影響の大きさ故、偉大な評価を受けています。

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生き方

高山市宮小学校の田中校長先生が、「がりゅう通信」の中で、二年前のある講演会でのお話を紹介してみえます。

『「私の妹はとっても可愛い三つ子です。それでお母さんは毎日朝から晩まで赤ちゃんのお世話で大忙しです。だから私は少しでもお母さんが楽になるように自分のことは自分でしっかりやったり、お手伝いしたりして頑張っています。」という内容の「私の妹」と題する作文で、ある三年生の女の子が文部科学大臣賞を受賞しました。

東京での授賞式の帰路、お母さんが「すばらしい表彰式だったね。実はお父さんから、ご褒美に何でも買ってあげなさいとお金を預かっているの、何がほしい。」と聞きました。
暫くして「何にもいらないよ。」と女の子が応えました。
「遠慮しなくてもいいんだよ。何でも言ってごらん。」と再び聞きました。
しかし、「本当に何もいらないよ。」と相変わらずの返答です。新幹線からバスに乗り換え、降車する近くになって初めて「お母さん、おんぶして」と囁(ささや)きました。

さて、家に帰って、赤ちゃんを寝かせた後、お母さんは娘をおんぶして近くの公園へ散歩に出かけました。
暫くすると、お母さんは首筋に生暖かいものが流れてくるのに気づいたそうです。
そして、お母さんは、
「ごめんね、ごめんね。」と娘を抱きしめ、親子で泣き合った。』

と、いった内容です。
最近、自閉症などのお子さんやお母さんと、ご一緒することが多く、子供への接し方について考えることも多々あって、胸を打たれたお話でした。
むやみに何でも買い与え、『甘やかす』のではなく、本当の意味で子供が甘えなければいけない時期にしっかりと『甘えさせて』あげたいものです。

生き方

日之本元極の講座の中で一番重要な講座は、「さとりの法(のり)シリーズ」です。その三回のシリーズ講座の中では、「その人その人の役割を果たす」ということが、繰り返し繰り返し出てきます。

そして、その役割を果たすにはたいそうな苦労があることも話されています。
では、その大変な苦労を乗り越え、役割を果たすとどうなるのか?

それは、次なるもっと大変な苦労を伴った役割が与えられます。
「なんだよ。役割を果たしたら、暮らし向きが良くなるとか、幸せになるとか無いのかよ。あほらしい。」と、思わないで下さい。

役割を果たした後に、また更なる大きな役割が与えられる。
このことが、凄いことなのです。

文藝春秋の最新号に、ソニーの会長であった井深大さんの言葉が載っています。
「仕事の報酬は仕事だよ。」

さすが、一大企業を興された方だけに、宇宙の道理をお判りになっていたんですねぇ!!

「役割の報酬は役割です。」


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