気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「個の存在の評価について」について、3回シリーズの2回目です。

***** ***** ******
  かと言って手段を選ばずに、何をしても許される訳ではありません。その時、その時代の歴史の背景があります。武蔵が生きた時代には、平和的な手段では、何事も達成できなかった訳です。そういう手段しか選ぶことが出来なかった結果なのです。

 今後、人の命を奪うことについては、もっと慎重に考えられるべきですが、全てを今の尺度で、過去の出来事を計ることは出来ないわけです。我々の尺度もまさにそうであるし、武蔵が生きてきた尺度も今では考えられないほどの「命」の尺度の問題があります。そのことは、しっかり鑑みて考慮されなければならないことです。

 また、悪事について一言、言及するならば、「目立ちたい」「注目を浴びたい」がために、わざと悪事を働く者がいます。「世間の注目を浴びて、話題に上りたかった。」といって悪事を働く者が少なからずいます。その者たちは、厳に謹んで処分されるべき(人が人を処分することを言っている訳ではない)です。

 後世に影響を与える事柄というのは、後世に希望を与えるような影響を残せるかどうか?というところが重要な問題です。そうではなく、ただただ目立つために奇異を衒(てら)って、独自の議論を拡げるために、自分の欲のために、世間に影響を与えようとする者がいてはならないのです。

 個の存在、個の評価に関わっては、時間という一つの空間を越えて考えなければいけません。その存在そのものが、どれだけ多くの者の幸せを求めて活動できたか?に関わってきます。人と人との関
わり、自然と自然との関わりの中でどんな生き方が出来たかということです。そのことと同じように、時間も過去から未来に、未来から過去に同時に流れているのです。

続く・・・


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-スクール QI-GONG 日之本元極


PHOTO by Panasonic DMC-LX3

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「個の存在の評価について」について、3回シリーズの1回目です。

***** ***** ******
 個の存在が、どれほど有意義に生きることが出来たのか?という評価は、生き方そのものではなく、個の存在が、過去、現在、未来を通じて、どう生きたか?ということが重要になってきます。すべては、時の流れの中で、個の存在が決定されます。生き方そのものの、その時の善し悪しではなく過去から未来にかけて、その者が生きた結果が、歴史の中でどう影響を与えたか?どれほど多くの者たちに、そして歴史に影響を及ぼしたか?ということが大切な評価の基準なのです。

 困ったことに、目の前の事柄に執着して、物事を早急に解決することばかりに、誰もが心を奪われます。それは、その事柄を「その時」に正確に判断することが出来ないからです。しかし、目の前の事象にとらわれてはいけません。

 その者が置かれている状況がどうであれ、充実した生き方が出来たならば、それはそれで満足できるでしょう。しかし、その満足というのは、過去、現在、未来を通じて充足感が得られるかというとそうでないことも多いわけです。

 究極の例をひとつ挙げましょう。
宮本武蔵は、13歳で初めて試合を勝利して以来、29歳で巌流佐々木小次郎を破るまで60余回の決闘をして人を殺しています。その後も大阪夏の陣、冬の陣を始め、島原の乱、等にも出陣しています。人を殺すという一点で見れば、最悪のことをしている訳ですが、その後彼は自らの足跡について、悩み迷って人生を送っています。座禅すること、書画に没頭すること、「五輪書」や「兵法三十五箇条」等の兵法をまとめることが、それを現しています。そしてその後、世に残したものや影響の大きさ故、偉大な評価を受けています。その武蔵が死の病床においてまとめた「独行道」二十一箇条は、晩年武蔵の思いの凝縮とも言えるでしょう。

「独行道」
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯(えこ)の心なし
一、身をあさく思い、世をふかく思ふ
一、一生の間、欲心思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、恋慕の道思いよる心なし
一、物ごとにすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別 よの道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨て名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
         保弐年五月十二日 新免武蔵 玄信


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-年末ジャンボ NHK 気功


PHOTO by Panasonic DMC-LX3

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「毛孔竅穴とは何か?」についてお伝えします。

***** ***** ******
 日之本元極功法では、全ての功法を始める前に、「開三門、毛孔竅穴」と意識します。
これは、天門・地門・人門の三門と、毛孔竅穴を開けてから修練を始めるということです。このとき、けして「毛孔竅穴」を「毛穴」と意識したり、説明してはいけません。

厳密に言うと、「毛孔竅穴」は立派に、竅穴です。毛穴ではありません。
人は、毛穴を一つの出入り口として、邪気を排泄するようには、出来ていません。

全身の経脈と繋がって、そこからエネルギーの出し入れをしたり、邪気の排泄をすることが出来るのは、元極功法を学んだ者だけです。

毛穴から汗が噴き出す汗腺と同じように考えて、その延長線上に邪気の排泄口があると思っては大間違いなのです。毛穴と言ってしまえば、単純に考えてしまいがちですが、そこは厳密に考えて、「毛孔竅穴」と正しく表現してください。無形のモノが往来する元極特有の出入り口です。

元極功法にて開発された「毛孔竅穴」は、排泄のみならず、天地万事万物からの先天三元の取り入れ口としても大きな役割を果たします。
具体的に申し上げれば、天からの天陽、地からの地陰、万物からの元音(情報エネルギー)の出入り口として働くのです。

この体表における三元の出入り口、中継地としての竅穴は、全身で約十二万八千個あるといわれます。この膨大な数の竅穴を活性化することが出来れば、個々に潜んでいる偉大な潜在能力を花咲かせることが出来、以後人生の強力な助っ人として働いてくれる事、間違い無しです。

日之本元極 カメ仙人


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-イラスト 腎盂炎 気功 日之本元極


PHOTO by Panasonic DMC-LX3

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「功法と修練段階」について、6回シリーズの最終回です。

***** ***** ******
 それではその養徳について少しお話ししてみましょう。
功力や特殊な力の伝承は、師から弟子へ、弟子からその又弟子へと脈脈と伝えられてきています。これは神界でも同様です。神々の力は、その下の次元から上がってくる神々へと渡されていて、自分が上の次元に上がれば上にいる神々から相応の力を渡されるような仕組みです。この宇宙では上下関係は絶対のものであるといえます。
上下・師弟関係を破ることなどは、その伝達経路を断ち切ることになり、功法の伝達を一番阻害するものです。養徳標準の中でも「尊師重道」に一番重きが置かれるのは、そういった理由からです。

次に大切なことは、私と公の「情」についてです。
牛痘を我が子に接種したジェンナーは、その病を克服できるようになるまで、周りからの迫害やいろいろの困難を乗り越えた上、息子などにその効果を試すことをした訳です。
これは美談と取られがちですが、大きな問題を含んでいます。世界中の多くの人々は、自分の家族と他人を秤にかければ、ほとんど家族を取るでしょう。しかし本当の「情」とは、そうした「私情」を断ち切る所から始まります。親子の情、夫婦の情、兄弟の情などを乗り越え、すべての人間を平等に見て、社会に貢献できるかが本当の「情」の重みなのです。
ジェンナーの魂は4次元、顕在意識は5次元の座に位置します。
この「情」を乗り越えることは、養徳の上で大きなハードルです。
そういった意味では通常のボランティアは、自らの位置を確保した上でのことですから、人々が考えているより養徳上の評価は高くはありません。
この「情」を乗り越え、本当の徳積をして戴きたいものです。

日之本元極 カメ仙人


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-レクチャー セミナー 気功教室


PHOTO by Panasonic DMC-LX3

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「功法と修練段階」について、6回シリーズの5回目です。

***** ***** ******
 一つ目、「功法の力と、神仏の存在を信じていること」
二つ目、「その段階に見合った徳があること」

一つ目の「功法の力と、神仏の存在を信じていること」によって、三元エネルギーの体内に入る為の入り口が開かれ、エネルギーは入ることが出来ます。信じていなければ体表で感じることは出来るでしょうが、体内に入ることなく過ぎ去っていきます。貫頂するときなどよく分かります。信じていない人にするときは、体内に入っていかないので、「もったいないなあ」と思いながらすることになります。

二つ目の要件、「その段階に見合った徳があること」
「徳」は、三元エネルギーを竅穴に接着させて貯蔵するような働きを持ちます。
よって、徳の量以上のエネルギーを体内に入れたとしても、竅穴に留めることは出来ません。
体内に入ったエネルギーは、「徳」によって竅穴に留められなければ、本人には判りませんが、またすぐ体外に排泄されてしまいます。入る感覚、出る感覚が同時に起こる為、本人はものすごいエネルギーが入ってきたと錯覚することが多いものです。
外から見ると、エネルギーが留まっていないのはわかるのに、本人は膨大なエネルギーを取り込んでいるように錯覚しているというのが、「徳」のない者の悲劇と言えます。

続く・・・


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-飛鳥路 東大寺 大仏 気功


PHOTO by Panasonic DMC-LX3

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「功法と修練段階」について、6回シリーズの4回目です。

***** ***** ******
 では、何故同じ高い三元エネルギーの場に入っても、そのエネルギーを受け取れる人と受け取れない人の違いが出てくるのでしょうか?
通常の修練をしていない人は、体内のエネルギー貯蔵の場として、臓器が充てられています。
臓器の「臓」は、月偏は身体を表し、「蔵」は倉で貯蔵する場所の事を言います。臓器に蓄えられるエネルギー量は自らの身体を育んでいく、保っていくのに必要な量を蓄えておくのみです。
その点、元極功法の修練者は、修練によって「竅穴」という三元エネルギーの貯蔵庫を順番にいくつも造っていく事になります。そして造り上げた貯蔵庫に、これまた修練によってエネルギーを貯めていく事が出来るのです。受け取れる三元エネルギーの量は、各自の貯蔵庫の総量、つまり貯蔵キャパシティの問題だということです。

「腑」の「府」も倉の意味を持ちます。「蔵」は隠して貯蔵するの意味があるのに対して、府は公にして貯蔵するような意味合いを持ちます。「臓」が無形のエネルギーを貯める臓器で、「腑」が主に物質的な倉を意味して名付けられたのだと思われます。
それでは修練を良くして貯蔵庫をいっぱい造れば、三元エネルギーは体内に溜まるのかと言えば、それだけでは叶いません。二つの要件があります。

続く・・・


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-ミラクル 神秘 秘技 超人


PHOTO by Panasonic DMC-LX3

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「功法と修練段階」について、6回シリーズの3回目です。

***** ***** ******
 時として、入門当時から非常に敏感な方がいます。いや、入門前からいろいろ見えたり、聞こえたり、感じたりする方もいらっしゃるものです。
往々にして、本人も一緒に修練している周りの方々も、そうした感受性の高い人の効力が高いと思いがちです。しかし実際は、修練初期における感受性の高さと功力は殆ど関係がありません。寧ろ当初は何も感じないけれども、功法の力を信じて、実直に黙々と修練を続けるタイプの者が永い目で見ると力を着けている気がします。
勿論感じない方が良いのではなく、功力と感受性は関係がないから、特別視しない方がよいといっているのです。
信じて続ける事(信定持以恒)が、功力を上げる最大のコツです。

感受性と関連して、場についてお話しします。三元場の良いところで生活する事は非常に有益な事です。しかし場の良い所に居さえすれば、その場の三元を受け取れるかと言えばそうではありません。修練段階に相応した三元エネルギーしか取り入れる事は出来ないのです。感受性の高い人は、そこの場のエネルギーの強さは判りますが、判るからといって受け取れているとは限らないのです。気のエネルギーですら、そうですから、まして元光や元音にいたってをや・・・・。
元光を取り入れ、生発出来る「階ふた」の段階にいる修練者や、更にその上で元音を操る事が可能な「階み」の修練者の偉大さがわかろうというものです。

続く・・・


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-修行 気功 日之本元極 仙人


PHOTO by Panasonic DMC-LX3

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「功法と修練段階」について、6回シリーズの2回目です。

***** ***** ******
 「階む」や「階ひと」の初期段階では、修練量と身についてくる功力はほぼ正比例します。
しかし「階ひと」段階の中盤からは、そこに前述しました「徳」のレベルが徐々に、そして上に昇れば昇るほど、大きく関与するようになってきます。

「徳」は毎日の生活の中で、自らの生活態度を「元極養徳標準」と常に照らし合わせ、少しでも理想に近づくように、修正をしつつ暮らすような心がけが必要です。
その節目となるのが、月に4回ある接功日です。
これは毎月の1、3、13、15日の0時の前後1時間、つまり前日の23時から当日の1時までの2時間の中で、掌門人に繋がって静功をしながら、反省をするという元極功法独特の修練方法です。

「階む」と「階ひと」の功法、合計7段階のやり方を覚えるのはたやすい事なれど、本当にそれらを身に付けマスターする事は並大抵の事ではありません。
事実、現在まで「階ふた」に実質的に進んでいる者は、十名に満たない数しか存在していません。ご自分ではその段階にいると思いこみ、「階み」までの功法を実施している者が結構いるのです。実質的な修練段階が、自らの「徳」レベルと判断すべきです。しかし、なかなか自分のレベルを正確に、そして謙虚に、受け入れられる者は少ないものです。

続く・・・


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-日本人 ルーツ 天皇 気功


PHOTO by Panasonic DMC-LX3

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「功法と修練段階」について、6回シリーズの1回目です。

***** ***** ******
 日之本元極功法は、大きく分けて12段階の修練段階があります。
「階む」、「階ひと」、「階ふた」「階み」、「階よ」、「階いつ」「階むゆ」、「階なな」、「階や」、「階ここ」、「階たり」、「階う」の12段階です。
世の中の殆どの気功法、功法、方法、手段、ヒーリング等の功力が、この12段階の内、下からの2段階目(「階ひと」)の中位にもとどかない事で、この功法の凄さが判ります。
現在公開されているのは、「階む」から「階み」までの4段階です。

上述の様に、大きく分けて12段階の修練段階がある、日之本元極功法。
その一つ一つの段階の中が、更にまたいくつかの段階に分かれています。
例えば、公開されている「階む」は一段階ですが、「階ひと」は六次元、「階ふた」も六次元、「階み」は九次元に分かれています。この段階を日々の修練の積み重ねと「養徳」によって、上り詰めていきます。
この昇っていける階段の高さは、その人の「徳のレベル」と「修練量」によって自ずから決定されてしまいます。
その12段階に分かれた日之本元極功法の段階は、厳密にパワーの質と量と強さが変化していくように創られています。
よってある段階に達してもいないのに、上の段階の功法をしようものなら痛い目を見ます。痛い目のみならず、危険でもあるのです。指導通りに順を追って修練する事は、自らの為にも厳守すべき重要項目です。

続く・・・


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-気功 レベル 超能力


PHOTO by SIGMA DP1

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

「正常眼圧性緑内障」について、5回シリーズの最終回です。

***** ***** ******
 三元エネルギーそのものも遺伝的な操作で組み替えられていきます。構造についても全く同じです。ムケイのエネルギーが身体を取り巻いて、操作して、働いている。そのことを理解しなければ、有形のモノだけで証明していこうとすると大きな間違いがおきます。いや、起こしています。

 有形のもの、現在そのことだけで、説明をしようとすると帰って誤解や間違いや、歪曲が起きますから、気をつけたいところです。

 細胞の一つ一つが三元のエネルギーで満たされて構成されています。その小さな細胞の一つ一つの三元エネルギーと、一個の物質、一個の臓器の集合体が、元音の働きを得て、一つの構造体として、任されます。もちろん、そのためには、三元エネルギーが欠かせません。物質が存在するには、三元エネルギーが関わっていることを理解しなくてはいけません。

 眼に見えることだけで、理解しようとすることは土台無理なことなのです。そうすることが、誤りの根本原因になります。全ての事柄を有形のモノ、物質的なモノ、化学反応の現象的なものの結果で判断するところに、現代科学、医学の限定された結果が生まれています。

 それは、真理のひとかけらです。そのひとかけらのために、時間を使うべきではありません。それぞれの病気の回復のために、説明も必要なわけですが、それは無用なことに、今後はなってきます。

 ひたすら光を失う時を待つだけでなく、日之本元極功法を実践することで、視力の改善を錬功という努力で自らもたらすべきです。

日之本元極 亀仙人


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-カメ仙人 ルーツ ドラゴンボール


PHOTO by SIGMA DP1