気功講義今後の課題, 元極, 元極功, 対応の仕方, 日之本元極, 気功, 気功教室, 講座時間, 高山

あなた方の功法をプラスに思う者もいれば、マイナスに思う者もいる。
それらの者たちが同席して講座を受講するのです。
其れを考慮するのであれば、講座の時間を長引かせるとか、
丁寧に話しすぎるとか、一緒に食事をするとか、
そういう余分な事柄をあえてする必要が無いことを伝えておきます。
縁があれば、誰が講座をしてもつながっていきます。
さらりとした関係であれば良いのです。
あなたがた、二人(かめ爺と婆タヌキ)ともに相手に対する思い入れが強くて、
なんとかしてあげたいと思い込みすぎます。
やり過ぎることが多いと思います。
今後は一人の講座はしないとか、講座時間を短くすることを検討下さい。 

万物の三原則として、この世の中の者たちには、
攻撃する者、賛成する者、無視する者がいるのです。
こういう事情を分かっていて対応するのと、
そうでは無くて押しつぶされるのとではダメージが大きく異なるのですから、
まずは婆タヌキが体験してみることです。
判ってきたら対応の仕方にも、道筋がつくことと思います。
すべて承知しておいて下さい。

その上で、講座の善し悪しが

次の講座につながっていくものではありません。
プラスになるようにと考えて、
あれこれ延長しなくても良いわけです。
講座の時間内で終了する。
余分な説明もあまり加えなくて良いです。
決まり事だけを伝えていく講座でよいわけです。

講座の時間内で、すべてが終了する簡素な講座にする。
講座時間を短縮する等の工夫が今後の課題となります。

特にはじめて受講する者たちに、

かめ爺と婆タヌキが担当することになれば、
エネルギーの量が多すぎて、好転反応は半端ではなく、
このような結果を招くことにもなりかねません。

肉体的なことであれば、症状が出て

身体が元気になって良かったで済むことかも知れませんが、
精神的な事ともなれば、邪気、末性が出て、
攻撃的な困った結果になる訳です。
講座時間を短縮することを、我々は望みます。

気功講義元極, 元極功, 効力, 受講者, 対応の仕方, 日之本元極, 気功, 気功教室, 講座時間, 高山

先日新規で受講した者について、お話をします。
なぜ、わざわざ遠方より講座について
不満をいう者をよこしたのですか?

この者は、はじめから講座を受けても興味は全く無いし 

修練が出来ないし、講座を受講することも無意味だと判っていました。
無意味だと言うよりも、マイナスにさえ働く人であると判っていました。
判っていて、あなたの元に送りました。

我々は あなたが万能だと思っている部分に注意を与えました。
我々でさえ、万人に効果が届くということを自慢にさえ思っていました。
しかしながら、世の中には 

これほど攻撃的で箸にも棒にもかからない自爆的な人がいるのです。

これまでに来た者たちは、あなた方を攻撃した者たちも含めて、

直接的に、叱責するような攻撃をする者はほとんどいませんでした。
これほどマイナスなことをののしる人はいませんでした。
これは各地でこの言葉が彼女を通じて、
天に向けて言われ続けることになります。

あなた方の功法をプラスに思う者もいれば、マイナスに思う者もいる。
それらの者たちが同席して講座を受講するのです。
其れを考慮するのであれば、講座の時間を長引かせるとか、

丁寧に話しすぎるとか、一緒に食事をするとか、
そういう余分な事柄をあえてする必要が無いことを伝えておきます。
縁があれば、誰が講座をしてもつながっていきます。
さらりとした関係であれば良いのです。
あなたがた、二人(かめ爺と婆タヌキ)ともに
相手に対する思い入れが強くて、なんとかしてあげたいと思い込みすぎます。
やり過ぎることが多いと思います。
今後は一人の講座はしないとか、
講座時間を短くすることを検討下さい。 

気功講義

新宮修練舎で、暫く前にスタッフや修練者を叱ったことがあります。

あくまで叱ったのであって、怒ったのでもシカトしたのでもありません。

怒るのは、自分の感情を相手にぶつけることで、

相手の成長とか向上を考えてのことでもありません。

シカトは、無視するだけで、これまた相手のことを考えてのことではありません。

私のいつもの癖で脱線してしまいますが、シカトの語源をご存じですか?

本当は「鹿十」と書き、「しかとう」と言うのが正解。

花札から派生した言葉です。

今時花札なんて、見たこともない人が殆どかもしれませんね。

TVゲーム機のメーカー任天堂は、その昔、花札を作るのが本業だったんですよ。

*******語源由来辞典から***************

シカトは、花札の十月の絵柄「鹿の十(しかのとお)」が略された語。

十月の札は、鹿が横を向いた絵柄であるため、

そっぽを向くことや無視することを「シカトする」言うようになった。

警視庁刑事部による『警察隠語類集』(1956年)には、

「しかとう とぼける。花札のモミヂの鹿は十でありその鹿が横を向いているところから」とあり、

この頃はまだ「シカト」ではなく「しかとう」で、

賭博師の隠語であったことがわかる。

その数年後には、不良少年の間で使われ、「しかとう」から「シカト」に変化している。

やがて、一般の若者にも「シカト」は使用されるようになった。

******************************

さて漸く本題に戻り、何故私が叱ったかというと、修練中に何人もの者が寝ていたからです。

どんなときに寝るか・・・・・静功や、手当法など座って目をつむる功法は勿論、

立ってする動功でも、立ったまま寝てしまう人まで居ます。

寝れば、どの功法でも、勿論姿勢は悪くなるし、

念訣などもしていないのですから、効果はほぼゼロになってしまいます。

集中力を持続することが出来ないことと、

高い三元エネルギーに身体が耐えられないということもあります。

しかし、そういった人々には、修練への心構えがしっかりしていないことが多いのです。

常に楽をして効果を得ようという気持ちが働いています。

なるべく楽な姿勢の功法を選んでしようとしています。

静功や、手当法に寝る人が多いのは、寝るべくして選択されているからです。

それでも、あなたは「眠ってしまうんだから、しょうがないじゃない。」と、言われるでしょう。

それでは、どうしたら寝ないで修練出来るようになるのでしょうか?

集中力が続かないのですから、続くように工夫するしか有りません。

1 立って大きく動く功法をなるべく選ぶ

こうした人達は、大きなエネルギー量に身体が慣れていなくて耐えられないということもありますから、

エネルギー量に身体が慣れるまで、ある程度身体を動かすような功法を選んですることです。

例えば、生気功、生光功、めぐりみ・めぐりき 等です。

そして、按摩法も手当法も立ってやりなさい。

2 念訣を強める

このような修練者は、寝ている時は勿論、寝る前から録音教材に頼り切り、

念訣をしていないか、弱いことが多いものです。

再生される功訣や十二字真言を、

ただ聞くだけで動作するのではなく、必ずご自分でも強い意識で黙念することです。

すぐ黙念出来なくなってしまう方は、慣れるまで小さな声でも良いですから、

声念(声に出して念ずること)するようにします。

3 しっかり目を開けて修練する

目をつむって修練すれば、当然のことながら、寝てしまい易くなります。

どうしても目を閉じて修練しなければならない功法は、静功と手当法の肝臓の所だけです。

その他の功法の時は、しっかりと目を開け、

正面のもとつきわみ図の皇極を見つめて修練して下さい。

4 常に姿勢を正しく保つ

姿勢が崩れると、効果が落ちるだけではなく、精神的にもだらけてしまいます。

当然のごとく眠くなるのです。

ですから、立ってやるにせよ、座って行うにせよ、

正しい姿勢を崩さないよう、常に自分を見張っています。

少しでも崩れたと思えば、修正します。

この緊張感が集中力を持続させます。

5 夜寝る前に修練するより、早朝に起きて修練するようにする

一日のうちで、一番肉体的にも、精神的にも疲れている時を避け、

早朝の清々しい邪魔されない時間帯を選んで修練すれば、

一日爽快に仕事や、勉学に励むことが可能です。

起きたばかりに眠くなることもないでしょう。

それには、夜サッサと寝ることです。

こうした対策も必要ですが、一番は「修練をしっかりやろう」という固い決心にあります。

そして信心。効果を固く信じて疑わない気持ち。

この二つの心が、恒心・続ける心を育てます。

決心、信心、恒心。

これらを中国では気功のような見えないものの効果を上げる為の基礎として、

「三心」と言い、永く大切にしてきています。


キャノンS90  

気功講義

このところ、「あおいとり」さんのブログ(ブログ続き)に「気のゆるみ」と体調の事が書かれています。

クリック クリック 

これについては、入門講座「階ひと」初級教科書に「内因」として既に述べています。

過度な感情が、臓器の不調を引き起こし、

反対に臓器の不調があると、それに関係する感情が出やすくなります。

この中の膵臓については、歴史的にも解明されてきませんでしたので、

七情の中には入れられていません。

日之本元極が始めて膵臓の機能を、明らかにしました。


(2)内因

内因は、人のうちにある無形無象の感情(七情など)によるものです。

   七情=人の精神活動で、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚のことです。

それに焦という感情が加わります。

   七情とは、外界事物に対する情緒反応のことであり、通常は発病因子とはなり得ません。

しかし、突然、強い精神的な刺激を受けたり、同じ精神的刺激を長期に受け続けたりして、

生理的に調整可能な許容範囲を超えてしまうと、

体内の陰陽、気血、臓腑の機能失調が引き起こされ、発病に至ります。

①喜 心を損傷する=気が緩む

②怒 肝を損傷する=気が上がる

③憂 肺を損傷する=気はちぢむ

④思 脾を損傷する=気が固まる(結する)

⑤悲 肺を損傷する=気が消える

⑥恐 腎を損傷する=気が下がる

⑦驚 腎を損傷する=気が乱れる

⑧焦 膵を損傷する=気が離れる


シグマDP2Merrill(メリル)  

気功講義

「かのととり」のときがきました。
辛酉のときとは、新たな切り替わりのときのことです。

 中途半端に「新乾坤」のことを知っている者の多くには、恐怖心が心を支配しています。
恐怖心だけが、彼らの心を支配して、「自分は助かりたい、その怖さから逃れたい。」
そう思っています。
自分が助かりたい気持ちの延長線上に、人に尽くす気持ちが存在しています。それでは、根本的に逆転した発想です。「坤 <――> 乾」
「しんこんけん」に向かって、風が吹きます。

あな ひがし、 あな ひがし
東風(こち)から 風が吹き始めます。
あな ひがし、 あな ひがし。こちから 風が吹き始めます。

西の風も吹きます。東の風も吹きます。
その風に乗って、「ひ」が燃えさかります。
「しんこんけん」が来ます。

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気功講義

 神が采配する世の中は、終末の世となり、新たな希望の道を歩く世の中となります。次元の上昇は、近づいています。それほど長い時間は残されていません。

 けれども、慌てたり、焦ったりすることはありません。恐れることもありません。ただただ身を捨てて、世のため、人のために働く気持ちを持ち、欲を捨てて全てを手放し、物や感情に囚われない生き方をすればよいのです。

 次元上昇のことを聞きかじり、右往左往する者の中に、判っているような振りをしているにもかかわらず、次元上昇のその時までに何をするべきなのか、と問う者たちがいます。
それに応えて言うならば、「何もするな」、「何も出来ない」と答えるしかありません。

 「ひのもと」に集まって、心豊かに残された時間を歩き、心安らかに、時を過ごし、穏やかに修行の道を歩く、そして、自分の生き方を見つけて、欲をそぎ落としていく、そういう生き方をすることです。

 「何もするな」というのは、「欲を手放す生き方」をしなさいという事です。
欲を手放した生き方は、崇高ですが、そのために生きる目的を見失ってしまう者もいます。只ひたすら、身を捨てて人のために、世の中のために働く、それだけを考えればよいのです。難しくはありません。しかし、なかなか出来ない生き方です。

 終末の世が近づいています。「しんこんけん」を迎えて希望に向かって、生きる道を選択するべきです。

つづく…

気功講義


 もう、おととしになりますが「新乾坤(しんけんこん)」について、書いたことがあります。
元極秘録にある、「しんけんこん」です。

元極秘録の表現の中には、漢詩の形態を取る為、韻を踏んで「新坤乾」と書かれていると解釈されている所もあります。

  混沌初開法:功訣三の四行目 「一元復始新坤乾」
  混沌初開法:功訣四の一行目 「四維上下一乾坤」

しかし、「一乾坤」の「乾坤」と、「新坤乾」の「坤乾 」では、意味が違います。只単に、韻を踏んでいるだけではないのです。

 新しい世がきます。新しい世の中が来ます。神が采配する新しい世の中です。
それが「しんこんけん」です。
今の世から、その新しい世の中への移行のことを、「次元上昇」=「アセンション」とスピリチュアルな人々?が言っています。

 新しい世は「しんこんけん」です。

「しんこんけん」の「しん」は、「新しい」、そして「真実」、新しい神の「しん」です。
新坤乾、真坤乾、神坤乾。

つづく…

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

今回は「せっぽう-さとりののりしろ」について、4回シリーズの最終回です。

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「せっぽう-さとりののりしろ」について 4/4

 「せっぽう-さとりののりしろ」の値段は、受け取る能力の面からいえば、値段の付けられないような高額なものになってしまうでしょう。価値のある人と、全く価値のない人がいるということです。価値無く、話を聞いただけになってしまう人もいます。それは、その人の受け取れる力によって、それぞれ違ってきます。それが、高い金額であれ、低い金額であれ、その人の力によって、与えられます。値段に関わりなく、そのものの力に応じて与えられていきます。

 力は必ず渡すけれども、その力が生かされるかどうかは、その人の努力次第です。非常に大きな力になる人もいれば、与えられた力を生かせない人もいます。受け取る者の力によります。

 しかし、この「せっぽう-さとりののりしろ」は、「日之本さとりの法」を受けた者でなければ、これらの効力が確定的に保証されません。この「せっぽう-さとりののりしろ」だけを受けただけでは、不十分です。「日之本さとりの法」を受けた者がこの「せっぽう-さとりののりしろ」を受けることで、この効力が充分に保証されるということを伝えます。

日之本元極  亀仙人

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

今回は「せっぽう-さとりののりしろ」について、4回シリーズの3回目です。

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「せっぽう-さとりののりしろ」について 3/4

「デジャヴュ=既視感」

 今までこの現象は、科学的に解明されていませんでした。人の構造を知り得ていないが故、解明は絶対にあり得ません。人の構造が判ってさえいれば、原理は簡単なことです。魂や本性、潜在意識など他の意識の既に体験した事柄が、顕在意識によみがえって、今の感覚に重なるということです。顕在意識の今まで体験していなかったことの感覚が、三つの意識の経験を受け取って重なっている瞬間であるという意味合いです。

 「せっぽう-さとりののりしろ」を受講すると、既視感が増えるというよりは、もう一歩進んで、そう感じたときにどうすればよいのかというような、直感で受け取ることが出来ます。すでに体験した感覚を受け取ったところで、プラスにはなりません。もうすこし、一歩すすんでひらめく状態にまで高めなければいけません。既視感というよりは、むしろ、ひらめきという感覚で、どうすればよいのか、ということを受け取れると思います。

 思ったことが実現する力が、備わるということは、密接に全ての事柄が関連してくるということです。もちろん、先ほどの理論の通り、願いに応じて、神界が動いていく力だといえます。

続く・・・

気功講義

我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。

今回は「せっぽう-さとりののりしろ」について、4回シリーズの2回目です。

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「せっぽう-さとりののりしろ」について 2/4

力を与える中身

 悟った事柄をしばらくは、意識の上に置いておいて、そのことがらに出会う。出会えるような偶然を掴む、そういう力です。偶然に偶然が重なって起こってくるような力です。そういう力を与えます。一般にシンクロニシティといわれる事を随意で起こす力です。今後、この功法を聞いた者に対して、その時に効力を発生させることは、もちろんですが、継続的にも効果を顕すように働きかけます。

 「せっぽう-さとりののりしろ」で渡す力=シンクロニシテイの力というのは、偶然に遭遇する、偶然に出会う力です。偶然は創られる、そういう力を渡します。つまりは、皆さんが思っている「願ったことが実現する力」です。思ったこと、願ったことが実現していく力を渡すということです。

 しかし、悪いことが実現すると思えるような場合もあります。それは、同時に予知する力が備わってしまうからです。悪いことを思ったから、それが実現するという意味ではありません。予知出来てしまうので、それに伴った事実が起きるということですから、そこの解釈を間違えてはいけません。

 「さとりの法」で魂から顕在意識に情報を伝えます。「こうした方がよい」という情報を伝えるルートが出来る訳だけれども、それに合わせて魂や本性が持っている「こういうことが神界で起きているから、次には顕界でこういうことが起きるよ」という情報までも「さとりののりしろ」で伝えるようにするから、予知能力の様なモノが備わるのです。シンクロニシテイが起きるということは、顕在意識が思ったことが、魂に伝わり、神界に伝わって、神界で物事が起こって物事がまた、顕界に返ってくる。そのようなしくみです。

 それに関わって、一部の敏感な方では「デジャヴュ=既視感」の起こる頻度が上がってしまう方が出て来るかも知れません。

続く・・・


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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-LX3 高山 弥生