日之本元極功法

意識5

元極功法には、心を任意の場所に置いたり
(心は、有形である心臓や脳などのように、特定の一箇所のみに固定されているのではありません)、
周りからの情報を受け取り、他の四つの意識にその情報を受け渡すことを可能にする功法が、
順にプログラムされています。

「心竅合一法」等の秘伝を駆使し、心を顕在意識が自在に操る事が出来るようになります。

この心の使い方を、理論付け、系統づけて学ぶ事が出来る功法は世界広といえど、元極功法のみでしょう。
見えないものを教える事は、至難の業です。

しかし、元極功法ではその秘技を順を追って無理なく習得出来るように、
功法が構築されています。

心の使い方と共に、天目の効能を磨き、竅穴を作る作業と相まって、
人の潜在能力が発掘されていきます。

元々人に具有されているものだけに、こうした力を発揮させなければ、
誠に持って勿体ない人生を送ってしまう事になります。

また、自分が生きる事によって果たさなければならない役割を、
きちんと成就することなく、はかなく宇宙の藻くずと消えてしまう事になるでしょう。

日之本元極功法


意識 4

そして、「顕在意識」、「潜在意識」、「本性」、「魂」これら四つの意識を包括的に
「心」という五つ目の意識が和合するように働いています。

この五つの意識の中で、「心」は、ちょっと性格が他と異なります。
「心」は、他の四つの意識を和して働くように調和させる事が、大きな仕事の一つです。

これら五つの意識は、受精後約四ヶ月で肉体にセットで入る事となりますが、
心は潜在意識から分かれるようにして派生する意識で、
分かれた後は全く別物として働き、独自の動きをします。

そして、また、その人物が肉体を失った時に潜在意識に吸収されるように消滅します。

心には上述の四意識の調和という仕事の他に、
各意識間の情報伝達をするという仕事があります。

「もとつきわみ図」を見ていただければお判りのように、
心は他の全ての意識と接しています。
よってそれぞれの意識間に介在するように、情報の媒介をします。

また、最外郭に位置していますから、外部からの情報(元音)も各内部の意識に渡すことが可能です。

しかし、この心の存在すら明確に認知していない現代人が、心を上手く使えるはずもなく、
殆どの人が顕在意識と物体としての肉体のみで生きるという、
自らの役割を果たすことなく生き切ってしまうような事に成り下がっています。

元極功法では、連綿たるその長い歴史の中で、
高徳の士達の厳しい修練で開発された心の制御法等を、
独自の「伝訣」や「伝音」という伝達方法によって、今に伝えてきています。


日之本元極功法


意識 3

前述のように、実際の人の構造は一般で認識されているものと大きくかけ離れています。

自分が認識している人の構造と言っても、改めて聞いてみると、

「心とは何か、意識・人格とは?」
など、はっきりと定義出来る方は希でしょう。
いや、殆ど存在しないと言い換えた方が適切かもしれません。

 旧中国元極学功法では、下図「元極図による人間の構造モデル」のように、人は新陳代謝系統の本命と、
情報系統の本性の統合体であると説明してきました。

一面それはやむなく方便としての真実ではありますが、
人の本質はもっと複雑な構造をしています。

それをここで初めて明らかにしていきましょう。

 人には物質としての肉体があることは明らかで、どなたもこれに異論を唱えることはないでしょう。
この3次元物質世界で、我々は肉体を基礎として精神活動も営んでいます。

この精神活動が問題で、心や意識がどこにありどんな構造なのか、
長い人類の歴史の中で未だ解明されていない重大かつ難解な全人類探求必須の大課題なのです。

この難題の回答を元極功法は長い期間と多くの高徳の士達のきびしい修練の蓄積結果として、
保有伝達されてきています。

簡単に言ってしまえば、今まで本性としてきたモノは、
下図「もとつきわみ図による
人間の構造モデル」のように「本性」、「魂」の二つの意識に分けられます。

また、本命は、物質としての肉体の基礎の上に、
「顕在意識」、「潜在意識」という二つの肉体意識が存在します。

日之本元極功法


意識 2

我々は普段、顕在意識の今世のみ(生まれてから今まで)の情報で生活をしています。
しかし、魂や本性というのは、顕在意識より遙かに多くの生まれ変わり、生き代わりしているので、
これまでに生きてきた膨大な情報や宇宙の情報をも持っているのです。

通常は、それらの情報を顕在意識の上にのせることはほとんどありません。
顕在意識も何回かの生き変わりをしていますが、
顕在意識の過去世の記憶を現世にダブらせることは混乱になりますから、
前世までの事は、すべて忘れてこの世に誕生してきます。

しかし、そうした情報の中で有益なものだけを顕在意識が的確に受け取り認識し、
今後の人生に有効に使っていけるようにする必要があるのです。

そこで魂や本性の持っている情報を、顕在意識にその都度引き渡し、
誤った道を歩かないよう、指導するのが魂の役割で、本性はそれを補佐します。

潜在意識は、顕在意識のを助けて、肉体コントロールに関与します。
しかし、あくまで黒子、裏方に徹しなければならない立場にあるのです。

そうしたそれぞれの意識が自分の役割をしっかりと果たす事が出来ている人々は、
現代では非常に少ないのです。

特に、顕在意識は他の意識の指導を受けて行動を決定しなければならないにも関わらず、
その声を聞こうともしていません。

物質的な欲と、感情にに左右されて生きている人が圧倒的に多いのが実情です。

日之本元極功法


意識 1

人の構造はこれだけではありません。
意識とか、心(心も意識の一つです)と呼ばれるものの存在が何かを突き止めなければ為りません。

実は一人の人間の意識は、一つだけではないのです。

奇異に思われるかもしれませんが、一人の人間の中には、
五つもの意識が協力し合って存在しているのです。

今、この文章を読み、その内容がまともなものか考えている、
今の貴方のその意識の裏で、貴方を支えている意識が他に四つあるという事です。

有形有象の物質的な肉体と、無形無象の肉体が重なって出来ているということだけでも、混乱しているというのに、
更に貴方をコンフューズさせて申し訳ありませんが、事実ですのでお伝えしているのです。

貴方が普段認識している意識の事を「顕在意識」と呼びます。
そしてその他に下図のように、「潜在意識」、「本性」、「魂」、「心」の四つの意識が「顕在意識」をサポートしています。

通常、「顕在意識」は、表面に位置して意識のすべてであるかのように支配しています。

五つの意識は分業制で働いています。
その中で「顕在意識」は、肉体を動かす意思を決定し、コントロールするのが役割なのです。

裏に隠れてサポートしている意識の存在を認識して、協力しながら肉体をコントロールするのが本来なのに、
なかなかそうは行っていないのが実情です。

もとつきわみ意識図

日之本元極功法


肉体 2

一般には往々にして、症状としての有形有象の不都合のみを取り去ろうとして、
無形の肉体側にある根本原因を放置したままにしておくので、
繰り返し繰り返し同じような症状が出てしまう事になるのです。

ですから根治するには、どちらが原因でどちらが結果としての症状なのか、
或いは双方が影響し合っている場合もありますので、どちら側からの治療が有効なのか、
或いは両方側からの治療が必要なのかを良く見極める必要があります。

そして更に肝要な事は、どちらの肉体もそれぞれの脳によってコントロールされている事を忘れてはいけません。

脳が全身に信号を送り制御しているのですが、有形の脳と無形の脳もそれぞれ信号を送り合っていますし、
たすき掛けのように有形有象の脳から無形無象の臓器や全身にも信号は、送られているし、
無形無象の脳から有形有象の臓器や全身にも信号は、送られています。

よく「脳は本来の20%位しか使用されていない」と言われていますが、
とんでもない事です。

見えない領域で充分働いているのです。fig.12
に人間の有形・無形の肉体と、有形・無形の内臓関係図を示します。

日之本元極功法


肉体 1

現代医学では、人を物質のみで出来上がっていると断定して、研究を進めていますが、
人の肉体は、有形有象の物質的な肉体と、無形無象の肉体が重なって出来ています。

これは、天目が開いたりしている特殊効能者では判る事ですが、
一般の人々には理解できないことです。

ある修練レベルを超えた者には判る事です。

一般的には、fig.1の有形有象の世界、つまり左側からしか見ていないという事になります。
ところが特異効能者は、肉体をfig.1における左側から見る方法と、
fig.2における右の無形無象の世界側から観る方法の二つの方法を持っているのです。

つまりfig.2を右側から観る方法をも可能にしているのです。
fig.1やfig.2にある「肉体太極図」のように肉体は表裏一体となっています。

有形有象の肉体と無形無象の肉体はお互いに立脚し、お互いに影響を与え合っています。

有形有象の肉体が悪くなれば、無形無象の肉体も不調になりますし、
その反対も勿論成立します。

fig.2の、各内臓名は無形の内臓であって、有形の内臓とは一致していません。

例えば無形の心臓は、有形の心臓のみを指すのではなく、血液を全身に循環させる機能・役割全てを受け持っています。


日之本元極功法


人の構造は、正確に認識されてない 2

どんな方でも、自分には心があると思っているでしょう。
しかし、その心がどこにあり、どんな形をしているのか、はっきり示せる人は殆どいないでしょう。
また、感情が何故わいてくるのか、一人一人の人格がどのようにして形成されているのか、
説明出来る方は居ないと思います。

にもかかわらず、人体内の細胞だの、物質だのを重箱の隅をつつくようにして、
心のありかや喜怒哀楽を突き詰めようとしているのです。

人に関わる見えないものの存在は、修練を通じて天目を開発することしか、解明出来ません。

八百年余に及ぶ代々高徳の士達の厳しい修練とその伝達によって、
元極功法は、その全貌を手中に収めています。

「一子相伝、門外不出」の掟がその公開を阻んでいましたが、
時節到来し、公開が許されました。

よってここに初めて「人の全貌」が明らかにされます。

日之本元極功法

人の構造は、正確に認識されてない 1

人の構造については、人類の歴史上においても、科学が急速に発達した近代~現代においても、
正しく捉えられては来ませんでしたし、現時点においても未だに解明されて居ません。

それは、現代科学が見えるもの主体、物質主体にしか捉えようとしていないからです。

一部、中国では、古くから経絡やツボの存在を認知し、治療に役立ててきています。
しかし、その中国ですら、現在では西洋医学に浸食され、
見えないものからの治療が徐々に葬られかけてきています。

一時その効果の大きさ故、持て囃された気功法なども、
政治的理由から中国国内では、普及が困難な状態になっています。

そんな状態であったにせよ、真実を曲げることは出来ません。

太一道、元極道、元極学、日之本元極と受け継がれてきているその功力と理論は、
見えない真実を見る無形である第三の目、「天目」によって、人の構造をはっきりと見極めています。

その構造を理解することで、病の改善や、潜在能力の開発を可能にしてきています。

日之本元極功法


Bさんの場合には、邪気がおならとして排泄されているのです。

この方の場合には、いつも邪気を探して、気にしているので、
人の二倍も、三倍もの邪気を身体に吸い込んでしまいます。

これが、邪気をため込む原因です。
邪気を貰う事を気にするがあまりに、人の何倍かもの邪気を反対に貰ってしまうのです。

こうして、いっぱい貰った邪気を、すわいしょうをすることで、
全身からも、両手からも、そして「おなら」としても、吐き出す事が出来ているのです。

「すわいしょう」の功法としての効果は、確かに発揮されては居ますが、
総合的な結果としては、問題が残ります。

邪気をガードする意識は必要ですが、
あまりに過剰な意識は、反対に邪気を呼び込む事になってしまいます。

場の悪い所はなるべく避けられれば避けた方が良いのですが、
重い病気の方などを、避けるような行為は養徳上からも感心しません。

邪気をあまりに毛嫌いする意識を、なくすることです。

すわいしょうの練功は立派に出来ているのですから、
常日頃抱いている、その邪気を極端に嫌う意識を払拭する事です。