日之本元極功法


年初から、環排シリーズをバージョンアップしています。

「はじめて環排」、「つづけて環排」、「寝たまま環排」の三つです。

これは神からの強い要望が有って、実現したものです。

以下、神からの依頼の言葉を公表します。

---------------------------------------
我々の意図は、出来るだけ現代人の生活スタイルにあった、

そして尚且つ要求にあった功法にしていただくことですから、

修練で眠ってしまわない程度に短く終わることが重要だと考えています。

今後、修練効率がもっと上がっていくことを考えると、多くのエネルギー不足の者たちは、

眠ることが仕事のようになってしまいますから、

忙しく動作をすることで、眠っておられないような時間にすると良いと考えています。

しかし、貴男は、「按摩法」や「手当法」を、それほど短い時間にしたくはないと考えています。

そういう意図を感じていますから、それはそれで貴男が思うとおりでよいと思います。

しかし、我々としては、ひとつ「環排」こそは短くしたいのです。

短い功法だからと、好まれて修練されている「炎色水香」や「清昇濁降」などの例を見ても、

我々は「環排」が短くなることが、第一の重要な要点だとおもっています。

いろんな功法があって、これらを修練して元気になろうという気力が有る人々にとって、

最初の入門講座で学ぶ「環排」の功法が短くなるというのは、

親しみやすいという条件として、極めて重要だと思います。

最初の段階で、修練時間が短くて、効果が高ければ、

次のステップに上がって行く意欲を生み出します。

現在でも子供達であれば、これだけを修練する者もいます。

この功法が導入として修練し易いというのは、皆成功し易くなるでしょう。

収功をすると、すっきりと身体が元気になるという方向にしてくれれば良いと思っています。

日之本元極功法

甲状腺の悪い人が、「免疫力活性適正化手当法」の修練をすると、

甲状腺にたくさんのエネルギーが入ります。
そうすると、首を絞められるような不快感が、訪れたりします。

そのことは好転反応として全く心配の無いことですが、

本人にとってみれば、この不快感は、不安で我慢が出来ないようなことがあります。

そういう場合は、陰陽の調和を取る為、収式調和を多くすると良いでしょう。

少々取り入れすぎた気を「瀉(しゃ)」として流して、十分な回復が望めます。

「めぐりみ」「めぐりき」など気を巡らせる錬功も適切なのですが、

免疫のバランスが悪い者は、よく このような好転反応を起こしますから、

修練者の不安を取り除くには、「好転反応緩和用収式調和」が最適です。

好転反応だからといって、修練者に我慢させるだけではなく、

指導者として、陰陽のバランスの悪さが引き起こしていると見抜く力も必要です。

日之本元極功法

「心を支配せよ、でなければ支配される。----ホラティウス」

## クィントゥス・ホラティウス・フラックス

BC.65~BC.8  南イタリアの詩人

こう言うならば、ホラティウスは心を支配出来ていたのであろうか、

いな、出来てはいなかったであろう。

何故なら、その時まだ元極功法が存在していなかったからです。

人類史上、唯一、心の使い方を許された元極功法の前身、

太一道が起こったのでさえ、12世紀半ばになってからであるのだから・・・・・

自ら、心を支配出来なかったにせよ、ホラティウスの言ったことは、真実です。

心は、皆さんが自分だと思い込んでいる「顕在意識」

下位にいる「潜在意識」から派生して創られる意識だからです。

「顕在意識」が心や「潜在意識」を使い切れなければ、

それらに使われるようになることは、

私の元へ来ている多くの精神的問題を抱えている方々を見れば、すぐに判ることです。

自分で自分の心を自由自在に使えるようになる為、

元極功法は、唯一必須の功法なのです。


キャノンS90 

日之本元極功法

前回までに述べてきたように、中国では古来より、

有形の肉体以外に、何か存在するという感覚を持っていたようです。

事実、鍼や灸で現実に効果を上げてきました。

しかし現代医学では、そうしたはっきりとした結果があるにもかかわらず、

認めることが自分たちの足場を危うくするものと考え、

そうした無形のものの存在を、無視し続けてきました。

本来科学というものは、未知のものを既知のものにしていくべきであって、

判っているものだけが真実で有ると、判っていないものを排除するものではないはずです。

しかし、医学が自らの過ちを認めていない現在において、

無形の肉体の存在に気がついている我々こそが、

その真実を証明する役割を担っているのではないでしょうか?

ここでは、免疫力についてのみお話しするつもりでおりましたが、

人の存在、構造全般のお話になってしまいました。

この「免疫力活性適正化手当法」には、

衛気など無形の肉体にしか存在しない物の強化により効能を上げています。

この功法は、今後、流行るであろう、

いろいろな疫病の氾濫にも耐えうるような力を備えています。

この功法を実施して、効果を実感していらっしゃる修練者の皆さんに、

無形の肉体の存在をも、その理論の根底においたこの功法の有用性を、

是非広めて頂きたいと念じております。


日之本元極功法

黄帝にお聞きしてみました。

心包絡は営気の方を送り出して、中丹田、命門は衛気の方を送り出すのですか??

貴男が悟った通りです。

つまりは心包絡からは、より肉体に関連するような営気を送り出し、

中丹田と命門は、より無形の肉体を司るような、衛気を送る役割をしています。

そんな役割を持った三角形ができます。

従って衛気の起点は、中丹田です。

「黄帝内経」の中で述べている、

衛気が「皮膚の下」を通っているという表現は、

曖昧でわかりにくいと思いますが、無形の肉体が有形の肉体に重なっている、

そういう表現であって、皮膚のすれすれの所を覆うかのように、

皮膚の下というよりは寧ろ、皮膚の上に衛気が重なって、

外界から肉体を無形の気で覆って守っているというような事が言えます。

皮膚の下という表現しかすることが出来なかった。

その当時は分からなかったのです。

多くの敏感な者たちが衛気の存在、

すなわち人の身体の表面を覆うオーラのような存在を感じて、

そのような表現に仕立て上げたわけです。 

様々なようすに見える衛気を、皮膚の下というようにしか、

表現出来なかったのです。

貴男が思っているように、やはり有形の肉体の外側に見えるような、

有形の肉体から放たれている気であると、

解釈しても何ら問題は無いのです。

正しくは、有形の肉体から放たれているのではなく、

無形の肉体が有形の肉体と重なっていると表現した方が良いのです。

無形の肉体の気が充実してくれば有形の肉体を遙かに超えたような大きさになって、

有形の肉体からエネルギーが迸(ほとばし)り出るような、

そういう感覚を持つようになります。

あなた方のオーラが何層も有ると、敏感な修練者が表現しているように、

肉体から気のエネルギーが出ていると、

多くの者たちは受け取るでしょう。

しかし、厳密に言うならば、有形の肉体と無形の肉体とは重なっていて、

それぞれ連動しつつも、別個のものであるといえます。 

日之本元極功法

黄帝が、中焦の形と場所を教えて下さいました。

あなた方が、今、痛いと言っている、その場所が中焦の場所です。

その場所を知らせています。

(横隔膜のすぐ下、膏肓のあたりが痛い)

今日は右側、先日は左側が、痛かったと思います。

このように、中焦を中心にして、楕円形のような形ではなく、

中心部は細くて、横に拡がっている細長い蝶の羽のような、蜂の羽のような、

そういう形を思い浮かべてください。

これが中焦です。

中丹田を中心にして、横に拡がって、背中を通じて臍で小さくなっている。

それが中焦の形です。

なぜ、このようになっているのかというと、全身に気を送るためです。

まるで、細いところから全身に行き渡るために、

中丹田にすべての中焦の気のエネルギーが集約されています。 

そこから、命門と中丹田と心包絡、

三つの三角点を起点として、気が循環しているということです。

その気の循環がなされている、三角形の頂点が気を押し出しています。

その気を押し出したときに、気が全身に拡がるときに、

衛気も充実していく。

そういうタイミングがあります。

日之本元極功法

黄帝に伺います。

当時、無形の肉体と有形の肉体が、

重なっているという概念はなかったのでしょうか?

そういう考え方は、無かったといえば無かったのですが、

あったといっても間違いでは無いのです。

しかし、明確に重なっているという認識は持てませんでした。

何かしら肉体上を気が走り、気の存在を認めていたものの、

それが同じように肉体上に重なっているという、

明確な認識は出来なかったのです。

ただし、物質とは違う、無形の気の存在が、

物質に先に指令をして動かしている感覚は分かりました。

我々が解明できたのは、この程度です。

ですから、書物の中には、このことは書かれていません。

肉体をとおしての感覚でしか、気の存在には触れられていません。

しかし、無形の存在があるように感じていました。

われわれは、西洋医学とは違い、人の身体を切り刻んで、

中の内臓などを物質的に掌握することを好んでしていませんでした。

生きている者の身体から、推察するということをしていました。

死に至った者、病に至った者の身体を切り刻むということは、

死者の意向に沿わないという気持ちから、それらのことが出来なかったのです。

しかし、致し方なく外傷などで、亡くなった者たちの内部を見る機会はある程度あり、

内部の様子と肉体の様子で、

見極めていくということをしていた者は、おりました。


 シグマDP2メリル

日之本元極功法

黄帝は、むろん神でいらっしゃいますから、お呼びしてみました。

黄帝より

王の私を呼び出したところで、何を伝えることがあろうや。

私など、医学的な身体のことなど、何一つわかることなどありません。

しかしながら、その分野の卓越した者たちを集めて、

厚くもてなし、彼等に思い通りの仕事をさせた、

そういう功績が私にはあるだけのことです。

様々な埋もれている逸材を呼び出して、

彼等の中でざわざわと騒ぎを起こさせて、

その中で真実を読み取っていく者たちの、

意見を戦わせて出来たモノが、黄帝内径です。

私など、その者たちの感謝の気持ちを得て、

私の名前がつけられただけのことです。

私が何をしたというのでしょう。

仕方なく運命を受け入れて、生まれてきたのです。

私は、初めからその任務を受け取って、

仕事をするために神として生まれてきた人です。

何事も大成したのではなく、すべては神からもたらされたことを、

まとめ上げただけのことです。

私がまとめたのはなく、私の下に働く者たちがまとめあげたのです。

私が受け取った一言を言えば、それをきちんとまとめ上げる。

受け取った一言を言えば、きちんと整理する。

そういう者たちが居ての「黄帝内経」だと理解してください。

致し方なく、与えられた任務を遂行するために生まれてきた者であると、伝えておきます。

あなた方に話をしたいと思います。  

あなた方に情報をたくさん渡しましょう。

しかし、間違わないようにしなさい。

昔の「黄帝内経」が、すべて正しいと思わないでください。

間違っているところがたくさんあります。

当時は許されなかったことが、たくさんあります。

許される範囲でしか書いていません。

そのことを把握した上で、ひもといてください。


 シグマDP2メリル

日之本元極功法

「黄帝内経」の「霊枢」に営気、衛気、宗気、神気などについての記述があります。

その「黄帝内経」を基礎として、

中国では衛気の役割について次のように捉えられてきていました。

過去形で申し上げているには訳があります。

国でも今般、西洋医学の波に押され中医学は蔑(ないがし)ろにされているからです。

特に気功の類においては、

政治的理由からほんの一部の功法を除いて普及が禁止されています。

それでも面々と続いている中医学の中で、衛気は、

1.体表において、外邪を防ぐ

2.体温調節をする

3.腠理(そうり:皮膚の表面と筋肉の間のすき間)のコントロール

等の役割を果たしているとされています。

現代医学での免疫作用とは、この衛気の存在を全く無視して構築されています。

我々修練者には、その流れや存在をはっきり感じられるにもかかわらず、

物質のみの研究に没頭している医学者達にちょっとした失望感を覚えます。

「免疫力活性適正化手当法」では、その教科書の中で、

衛気について一言も触れていませんが、

実は大きな比重を占めて、この衛気の強化がされるよう、

功法の中では作用しています。

何故、重要な作用を及ぼすよう創られているにもかかわらず、

言及していないかは、前にも申し上げた通り、

敲門講座「階む」の段階の方々では、まだまだ物質的な考えから逸脱出来ず、

どうしても無形のものを無視したり、

有形の物のみを真実と思い込んでいる方が殆どだからです。


 シグマDP2メリル

日之本元極功法

今まで、20年ほどの間に世界中いろいろな地域の伝統的な医療から、

最新の医療まで神様から知識をお渡し頂いてきました。

元極功法を学びに何十回も訪れた中国はもちろん、

オーストラリアの青の医療、アメリカ大陸インディアン達の赤の医療、

わざわざケニアまで行って教えて頂いたアフリカ土着の医療、

チベットやインドの医療等々、

個性溢れる健康法や治療法などを習ってきました。

その中でも、中国の医学が一番、

無形の肉体の存在を認識していたように思われます。

ツボや経絡をしっかりと把握し、鍼や灸に生かし、

気功のような功法を創り上げた肉体への観察力は素晴らしいものだと思います。

しかし、その中医学でも本当にはっきりと無形の肉体を認識していた訳ではありませんでした。

唯一、元極功法のみが、その構造を知らされていましたが、

門外不出の掟で封印されていました。

日之本元極に到って、漸くその封印を解くことを許されました。

前回添付しました

「人間の有形・無形の肉体と、有形無形の五臓の関係図」

などもその中の一部です。


中国で、伝統的に無形の肉体に気付いていたのではないかと思われる記述は、

現存するものの中では、「黄帝内経(こうていだいけい)」が最初です。

黄帝は、三皇五帝(さんこうごてい)の中の一人で、

中国の神話伝説時代の帝王。

現在ではこれらは実在の人物とは考えられていません。

三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされています。

伝説では、最初の世襲王朝夏の以前の時代とされ、

治世、紀元前2510~2448年と言われています。

今から4500年ほど前のことです。


 シグマDP2メリル