日之本元極功法


以下、青字は増田、黒字は達磨大師の発言です。

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このときに、糞・尿も排泄されますか??

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人は逆に考えがちですが、小腸や大腸に返すということは、

腸管から再吸収されて、再び腎臓にも返るということですから、

腎臓にも腸にも負荷がかかるのです。

勿論、大小便に影響があらわれます。
これが出来なければ、増田の設計図が叶いません。

この下黄庭の処理機能が叶えば、増田の設計図が上手く機能します。
処理するところが叶わなければ、あなたの設計図が叶わないのです。
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ということは、三次元以前の静功では、この機能を入れない方が良いということですか???

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三次元以上の修練をしている者は、よりスムーズに排泄されて、

一次元、二次元、または階むの段階の者は、

修練段階に応じて録音教材が手伝うことになります。

従って、録音教材が下黄庭の処理機能を手伝って、

下黄庭を醸成していくことになりますから、

階むの期間が長い者は、それほど苦労せずに、三次元まで上がれることになります。

日之本元極功法


  易筋経と 洗髄経 のこと

何人かの修練者の感覚では、今までの清昇濁降や手当法の易筋経というのは、

まるで周囲から輪ゴムを はめて移動させているかのようなマッサージ効果を施して、

気の流れをよくしている感じがするということでした。

ところが、階ふたの按摩法になると、その輪ゴムをはめたようなマッサージ効果のような気の流れ方をしないで、

手を当てている筋肉の中に直接的に気の流れる経脈ができあがっていって、

どんどん気が流れている感じするといいます。これは、どういうことでしょうか?

清昇濁降は、洗髄経に重きを置いています。

易筋経も取り入れていますが、洗髄経に重きを置いているのです。

同時に骨と筋肉を癒すことが行われていますが、

その作用は洗髄経の目的を十分に果たすがための補助的な役割を含んでいます。

筋肉が柔らかく解放されなければ骨が洗われにくく、

骨が筋肉の囚われから解放されることは非常に難しいことです。

そうでなければ骨が身体にとって正しい位置に矯正されていくことも難儀なことだからです。

ですから、洗髄経が流れるような、回転するような気の流れを伴って、

移動しているのに応じて、筋肉も外側から和らげるように

「押さえて離す」

という出毒素風呂と同じような原理を使って、

筋肉の中の気の流れを良くしています。

日之本元極功法


以下、青字は増田、黒字は達磨大師の発言です。

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今の増田の提案で、振動を付け加えた洗髄経・易筋経によって、

格段に有形の邪気が下黄庭に集まることになりました。

その集まった邪気を、有形のものから無形のものに変換する機能は、

ある程度下黄庭の機能がきちんと働かないと処理しきれないのです。

まだ下丹田とか、尾閭関の修練をしている者は、録音教材の効果によって、

あるところまでは無形に変換することは出来るけれども、

あなたが意図した効果を上げるためには、

下黄庭の修練までが終了しているかいなかで、その効果は大きく違ってきます。
下黄庭に邪気を無形に変える装置があるということは、

この下丹田の位置に大きく関係しています。

小腸のど真ん中、そして中脈上に位置するということが、

有形の肉体と無形の肉体とが、ちょうど重なって同じ役割をしているところになります。
有形のものを無形のものに変える作業など、ただ事では無く、

これは肉体に有形の物質を作用させて、無形に昇華させるということですから、

適切に肉体の中に無形となるべきものを昇華させて、

肉体に返しますから、肉体にも負荷のかかることになります。
つまり、肉体の随所から集まってきた有形の邪気を、

小腸や大腸に返しつつ、無形の形でも昇華させるという、

この仕組みが尋常ならざることなのです。

日之本元極功法


身体全体に、足全体、腕全体に、輪ゴムを締めて放すというような

筋肉に対して増田が発明した出毒素風呂に応用した

(血液、体液、気の流れに対する締めて放すことによる流れの強化)

そういうマッサージ効果を出現させています。

ただ単に、輪ゴムをはめたのでは勿論ありません。

その部分に負荷をかけることで、身体の奥の方からの凝りを和らげていくような効果もありますし、

出毒素風呂で応用されているように、その奥から邪気が表面に出て、

さらに外に排出され易いような条件を創るという作用も併せ持っています。

骨を洗う、筋肉を和らげる、そのことによって、座り続けても苦痛も無く、

まさに楽々と座り続けて、心を定めることが出来たのです。

そして更にそれだけではなく、座り続けることで、血流が悪くなって身体がやせ細ることもなく、

座り続けるにふさわしい筋肉が創られて、

100年座っても直ぐに立って歩けるという筋力が、座っているだけ培われたわけです。

それが、洗随経と易筋経の極意です。

日之本元極功法


以下、青字は増田、
黒字は達磨大師の発言です。

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増田の下黄庭のことを口外してはいけません。

しかし、細川の下黄庭を公開しなさい。

細川の下黄庭を公開して、下黄庭の働きを知らしめなさい。

下黄庭は、物質的な邪気を無形の邪気に変換する装置があるところです。

変換した物から、次々に中黄庭に昇華していき、

中黄庭でそれらは無形の空間に放り込まれていきます。

そのことは、すでに増田には話をしたところです。

下黄庭が、どれほど重要な働きをしているのか。

むしろ中黄庭よりも、重要な働きをしているのです。

中黄庭の働きは一定しており、すぐに外邪・内邪を外に吐き出しています。

無形の空間に連接して吐き出すことは高度ではありますが、

下黄庭よりは容易い(たやすい)ことです。

下黄庭の働きを、もう少しお話しなければなりません。

日之本元極功法


静功で、洗随経と易筋経双方とも生かされているのですか?

その双方が合わさった時の作用はどんなものなのでしょう?

伝えておきます。

先だって伝えたように、洗随経は上から下までが約1分30~40秒程度の移動で、

終了と飽和と準備の時間を経て、また上に戻るよう、上昇していきます。

それは手足、尻から頭というように、順番に上がっていきます。

手は肩の辺りを中心として、また別個の巡り方をします。

その動きは、増田が創った環排の経脈を使った気の流れを意味します。

易筋経も同時に働かせるとすれば、洗随経の気の動きと同じように、上から下へ、

または下から上に上がっていくのですが、その時にゴムのバンドを締めて放す、

また締めて放すというようなことを繰り返します。

日之本元極功法


以下、青字は増田、
黒字は達磨大師の発言です。

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達磨大師が修練した時は、別に病に冒されていた訳ではありませんでしたから、

重力方向に振動を与えるなどという機能が必要ではなかったでしょうが、

今の修練を志す者には必要に思われます。

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あなたがいう、振動を与えるという方法は、すでに清昇濁降で取り入れられており、

さらに易筋経と洗髄経が加わったことによって、

清昇濁降の澱みない気の流れを保証していくという点で必然的に効果があがっています。

これに加えて、さらに効果を上げていくということですね。

太って体重が重い者には、地球の重力を十分に使って、

健康である身体が与えられて、強い骨が形成されます。

痩せて栄養が不足している者は、骨が弱くなります。

骨を丈夫にするためには、よく働くこと。

働けない者は弱っていく。

それが自然の摂理でした。

今後の食べ物が十分に無い世の中では、人々は細くなって動きも出来ない。

病気でどんどん死んでいく。

そんな世の中にあって、

じっとして修練をしているだけでも元気になって行く貴男の功法が、

そういう目的のために使われることを歓迎します。

それでは、あなたは設計図を作ってください。

日之本元極功法


洗随経の力を、静功でも使えるように、静功でこそ、その力を発揮させることが重要です。

上から下に、右回りに気のエネルギーが降りてきます。

洗髄経が働きます。
身体の周りを、右回りに骨の周りを巡ります。

胴体だけでは無く、手も足も右回りに巡ります。

頭 ――> 胴体 ―> 尻 ―> 足 
   ˈ―> 手

上から下に、右回りで気が降りる。(この時間は約1分くらい)

いくつもの気の輪っかが、体中に巻き付き、右回りに上から下へと下りていきます。

その後、30秒ぐらいは飽和状態になって、気は充満しています。

右回りがゆっくりと止まって、飽和して調和、その後ゆっくりと下から上に上がっていきます。

左回りの準備を始めます。

再び気のエネルギーの輪が、身体に巻き付くように、骨に沿って移動し始めます。

下から上に上がっていきます。

左回りに、ある程度のスピードを保ちつつ移動します。

下から上がっていくときにも約1分程度。

上に上がってしまうと、気のエネルギーは飽和状態になって、次の準備を始めます。

その回転の終了と飽和状態、そして次の回転の準備時間は、やはり30秒ほどです。

頭 <―― 胴体 <― 尻 <― 足 
 ↑
    ˈ― 手

これをずっと繰り替えしながら、静功であっても、身体には常に気が巡り、気が満ちて骨を洗い、筋肉をほぐしています。

少しの動きも無い静功ですが、常に気は動き、身体を癒し、

心は定まり、一向に動じず、定心は恒常的に継続されます。

身体のこりや不調和はなく、塊のように動かずにいて心安らかに動じない。

これが叶う静功となります。

易筋経は身体の外側の筋肉に働くだけでは無く、内臓にも働きます。

内臓には邪気を搾り出すような力が働くようになっているのです。

日之本元極功法


以下、青字は増田、黒字は達磨大師の発言です。

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達磨大師の洗髓経では、骨と髄を洗うのに螺旋状の気の流れを使っていらっしゃいましたが、

それに加え骨の機能を高めるために、重力方向に無形の振動を与えることで、

もっと洗髄経の効能を上げることは出来るのではないかと考えます。

それについてお応えください。

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重力方向に無形の振動を与えることによって、下に下にと排泄していく方法ですか??

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下に排泄していくということと、

重力方向への振動によって骨粗鬆症などへの有形的な効果があるし、

骨本来が持っている機能を強化するためにも効果を上げられるのではないかと考えました。

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易筋経が、洗髄経に影響を 大きく与えていますから、骨の髄を洗うということは、

回転する気の流れを持ってして骨の周囲の筋肉にも気を流して、

まつわりつくような汚れを下に排泄するようなことを、私は考えていました。

それのみです。

ですから、重力方向に無形の振動を与えて排泄するということは、

私には全く考えが及んでいません。

とくに私はじっとして座っていても、身体が楽で筋肉が緩み、

骨の痛みが無いという点で、これだけで十分に機能していました。

そして、骨粗鬆症につきましても、気が螺旋状に充満して流れるということで、

十分な潤いがあるので、それだけで満足しておりました。 

日之本元極功法

洗髄経は、骨の働きを良くするために、血液を循環させ、

循環させることによって、骨の働きが良くなって、血液を生み出す。

歩くのに、右足を出した後には必ず左足を出すようなものです。

修練にしても、功を高めて、徳を高める。功を高めて、徳を高める。

というように、車の両輪のようにして上がっていくわけで、

片方のみでは先には進めることは出来ません。

それと同じことを、肉体と心、肉体と心、というように、

達磨大師は上がっていかれたのでしょう。

それを表しているのが、太極図だという事。

つまり、全ては入れ子の状態で進展していくのであって、

絶対的な原理一つで何かを進めるのではないという事です。

そのように宇宙の仕組みというのは、階層の違いはあれど、

皆同じような仕組みの繰り返しが行われているものなのです。